『押入れのちよ』

一条真也です。

『押入れのちよ』荻原浩著(新潮文庫)を読みました。
著者は、コピーライター出身の売れっ子作家です。
渡辺謙主演で映画化もされた『明日の記憶』などの小説を書いています。
本書は、1999年から2004年にかけて各社の小説誌に掲載された8編に、書き下ろし1編を加えた9編からなる短編集です。


                必死に生きる人間と幽霊の物語


収録されている作品は、「お母さまのロシアのスープ」「コール」「押入れのちよ」「老猫」「殺意のレシピ」「介護の鬼」「予期せぬ訪問者」「木下闇」「しんちゃんの自転車」です。
いずれも巧みな語りによるアメージング・ストーリーで、どの作品にも最後に「あっ」と驚く仕掛けが用意されています。でも、それぞれの作品のジャンルは微妙に違います。
「お母さまのロシアのスープ」は、いわゆる“奇妙な味の短篇”で、ラストの1行が秀逸。
「コール」「押入れのちよ」「しんちゃんの自転車」は、生者と死者、つまり人間と幽霊の交流を描いた佳作です。「老猫」は“化け猫”を、「木下闇」は“神隠し”をテーマにした、それぞれ正統的なホラーと言えるでしょう。
そして、いずれも「小説すばる」に発表した「殺意のレシピ」「介護の鬼」「予期せぬ訪問者」の3作は、筒井康隆を彷彿とさせる“ブラック・コメディ”といったところです。
この3作とも、そのままフジテレビの「世にも奇妙な物語」の原作として使えそうです。



わたしは、やはり表題作である「押入れのちよ」が一番の傑作だと思いました。
失業中サラリーマンの恵太は、東京都内で風呂付にもかかわらず家賃3万3千円という超お得な格安アパートの一室に引っ越します。
その部屋の玄関脇の押入れからは、推定身長130cm後半の、かわいらしい女の子が「出て」きました。しかも、その子は明治39年生まれの14歳だというのです。
ままならない世の中で、必死に生きざるをえない人間と幽霊の交流をユーモラスに描いています。「格安の物件に出る幽霊」というのは、これまで小説・コミック・ドラマなどで無数に繰り返されてきたパターンですが、この作品は一味違います。
泣けるのです・・・・・。だんだんと少女が生きていた頃の様子、そしてなぜ彼女が死んだのかという事情がわかるにつれて、とにかく泣けるのです。
こんなに哀しくて、優しい幽霊の話は久々に読みました。ネタバレになるので詳しくは書けませんが、「コール」や「しんちゃんの自転車」も、哀しくて、優しい幽霊の話でした。



ブログ『遠野物語と怪談の時代』で紹介した文芸評論家の東雅夫氏が本書の解説を書いているのですが、東氏は「押入れのちよ」のことを「ジェントル・ゴースト・ストーリー」であると述べています。日本語に直せば「優霊物語」とでも呼ぶべき怪談文芸のサブジャンルです。東氏は次のように説明します。
「gentle ghostとは、生者に祟ったり脅かしたりする怨霊悪霊の類とは異なり、残されたものへの愛着や未練、孤独や悲愁のあまり化けて出る心優しい幽霊といった意味合いの言葉で、由緒ある邸宅に幽霊がいるのは格式の内と考えるお国柄の英国などでは、古くから怪奇小説の一分野として親しまれてきた」
西欧の幽霊小説の嚆矢とされるダニエル・デフォーの短篇「ヴィール夫人の幽霊」をはじめ、キップリングの「彼等」、キラ=クーチの「一対の手」、マージョリ・ボウエンの「色絵の皿」など、これまで多くのジェントル・ゴースト・ストーリーが書かれてきました。
英国と並んで怪談文芸が盛んであった日本でも、上田秋成雨月物語』の「浅茅が宿」「菊花の契り」をはじめ、室生犀星「後の日の童子」、橘外男「逗子物語」、三島由紀夫朝顔」などがこの系統に属する小説であると東氏は分析します。


さらに有名な近年の作品があります。映画化もされた山田太一の「異人たちとの夏」、浅田次郎の「鉄道員(ぽっぽや)」です。わたしも、この両作品の映画を観て、ハンカチを濡らしたことを憶えています。この「押入れのちよ」も、ぜひ映画化してほしいものです。
もし実現したら、きっと両作品のような感動作になると思います。
それにしても、こんなに切なくて愛おしい幽霊を描く著者の筆力には感服しました。
ブログ『かたみ歌』で紹介した本の著者である朱川湊人と並んで、いま最も「幽霊を生き生きと描く(変な表現ですが)」ことができる作家ではないでしょうか。


2011年6月25日 一条真也