過去最悪の貧困率

一条真也です。

金沢に来ています。こちらも非常に暑いです。
今朝の「北國新聞」のトップには「原発国有化含め議論」という見出しが出ていました。
昨日開催された、衆議院東日本大震災復興特別委員会に関する記事です。
政府による原発事業の国有化を含め、既存の民間電力会社から事業を切り離すことを検討するという菅直人首相の意見が紹介されていました。
重要な問題ですが、その横には「貧困率 過去最悪16%」という記事も出ていました。
もちろん原発問題も深刻ですが、こちらも非常に深刻な問題です。


                   「北國新聞」7月13日朝刊


相対的貧困率」というものがあります。全国民の中で生活に苦しむ人の割合を示す数値ですが、これが2009年は16.0%となったそうです。
12日に厚生労働省が発表した「2010年国民生活基礎調査(概況)」で分かりました。
16%という数字は、国が併せて公表した1985年以降の貧困率と比べても最悪の水準でした。18歳未満の子どもが生活の厳しい家庭で育っている割合を示す「子どもの貧困率」も15.7%と過去最悪の水準でした。
世帯構成を見ると、「高齢者世帯」が2010年の時点で1020万7000世帯(推計)と、初めて1000万を突破しました。全世帯(約4864万)のじつに21%を占めます。
日本で高齢化が急速に進行している実態を裏付けました。



16%という過去最悪の数字について、厚生労働省は「所得の低い65歳以上の高齢者や非正規労働者の割合が増えたため」と分析しています。
しかし、これはあくまで2009年の時点で調査された数字なのです。
この後、リーマン・ショックによる「100年に1度」の不況の影響が深刻化し、さらには2011年3月11日には東日本大震災が発生して日本社会全体が大きなダメージを受けました。今年の貧困率を予想しただけで、ゾッとします。
まさに、現在の日本には「困っている人」が溢れていると言ってよいでしょう。
わたしは、『隣人の時代』(三五館)で、「助け合いは人類の本能だ!」と訴えました。
困った人がいれば、救いの手を差し伸べる、また、自分が困ったときには他人から助けられる。まさに助け合うことは、人間の一番善良な部分の表れです。
その意味でも「福祉」というものが重要になります。



困った者、弱い者を大いに助け続けた人物といえば、かの上杉鷹山を思い出します。
米沢藩の改革で、彼は最初に藩内の身体障害者に対する虐待を禁止しました。
病人も助けました。鷹山は藩内各地に官選の医師を置いて、彼らに住宅地を与えるなどして厚遇しました。そのために、多くの病人の命が救われたのです。
鷹山はまた、「間引き」を禁止して、保育手当を支給しました。江戸時代にあって、堕胎としての間引きは日常化していました。
その要因は、子どもを産んでも育てられない生活の貧しさにありました。
鷹山は熟慮と協議を重ねた結果、育児資金をやりくりし、子どもを育てられない貧しい者にこれを与えることにしました。そして前後30年にもおよぶ努力の結果、ついに米沢藩における間引きの根絶に成功したのです。



さらには、鷹山は老人を助けました。200年以上前の米沢において、働けなくなった老人は、「口減らし」のためにしばしば野山に捨てられました。もちろん、生活苦ゆえです。
これを憂えた鷹山は、90歳以上の者には亡くなるまで食べてゆける金銭を与えました。現在でいう「年金」です。
70歳以上の者に対しては、村で責任をもって、世話をすることを決めました。
鷹山自らも敬老に努め、老人を大切にする孝子の褒賞に努めました。こうして、忌まわしい悪習を根絶することに成功したのです。
このように鷹山は、身体障害者、病人、妊婦、赤子、老人といった社会的に弱い立場の人々を助けに助けたハートフル・リーダーでした。
しかし、その福祉のすべてを藩財政で負担することは不可能です。
そこで鷹山は、次の3つの「助」を打ち出しました。すなわち、
1. 自助。すなわち、自ら助ける。
2. 扶助。藩政府が手を伸ばす。
3. 互助。互いに近隣社会が助け合う。
これら3つによる三位一体で、米沢藩の福祉政策は奇跡の成功を収めたのです。
社会的存在である人間にとって、一番大切なものは他者への「思いやり」です。
それを形にする具体的な方法論として、自助・扶助・互助の三位一体を考える必要があります。わたしは、かつて『龍馬とカエサル』(三五館)で、偉大なハートフル・リーダーとしての鷹山について書きました。



さて、わが社は冠婚葬祭互助会です。
互助会事業というのは、まさに「助ける」ことが仕事です。
経済的な余裕がなくて結婚式や葬儀があげられずに困っている人をはじめ、結婚相手がいなくて困っている人、年を取って余った時間を持て余して困っている人・・・・・いろいろな困っている人たちを助けてさしあげる仕事だと思っています。
本業の冠婚葬祭サービスの提供において、互助会は決して高価格戦略に走ってはなりません。常に庶民の味方であり、経済的な余裕がない方々の味方であるべきです。
互助会は、戦後の焼け跡の中から生まれてきました。
日本が最も貧困にあえいでいた時代に生まれてきたのです。
今また、日本には貧困に苦しむ方々が多くなってきました。
わたしは再び、互助会の出番が来たのではないかと思います。



さらに、今後の互助会は冠婚葬祭事業以外にもさまざまな相互扶助への取り組みを示すべきだと、わたしは考えています。
ホームレス支援もそうですし、被災者の就業サポートもそうですし、経済的に余裕のない高齢者が年金だけで暮らせる高専賃事業もそうです。
愛する人を亡くした人の悲しみを癒すグリーフケア・サポートもそうです。
もちろん、孤独死を減少させる「隣人祭り」の開催サポートもそうです。
困っている人がいたら、「どうやって助けるか」を考えること。
それが今後の互助会のあるべき姿だと思えてなりません。
また、あるべき姿になれば、互助会は互助社会実現へのエンジンとなります。
つまり、社会に最も必要な事業となり、国民から大きな支持を得るはずです。
国民といえば、ブログ「最小不幸社会」に書いたように、かつて日本の貧困率を減少させて「最小不幸の社会をめざす」と訴えた人がいましたね。
あのときは、上杉鷹山以来のハートフル・リーダーが誕生するかと大いに期待していたのですが・・・・・。それにしても、あの人はどうしちゃったんでしょうか?


                ハートフル・リーダーシップの研究


2011年7月13日 一条真也