杖は知恵のシンボル

一条真也です。

ブログ「孔子の後継者たち」に書いたように、今日は北陸大学で試験を行いました。
わたしは、杖をついて試験問題を解く学生たちを見守りました。
わたしの持っている杖は、一昨年、オーストラリアで求めたものです。
グレートバリアリーフで足を負傷したので求めたのですが、日本ではあまり見ないようなカラフルなデザインで、分解してコンパクトに収納もできるので気に入っています。


                        小松空港にて


杖といえば、昨日読んだ本の内容を思い出します。
小松空港へ向う飛行機で読んだ本なのですが、杖のことが出ていました。『古代往還』中西進著(中公新書)という本で、その中に「転ばぬ先の杖」という項目があります。
ギリシャ神話によるとテーバイ王の子オイディプスは怪物スフィンクスから謎をかけられます。「朝は四本足、昼はニ本足、晩は三本足をもつ動物は何か」と。
正解は人間でした。幼児は四本の手足で這い、成長すると二本足で歩き、やがて年老いて杖にすがるわけです。すなわち、杖とは人間が創造した第三の足なのです。


                  杖をついて試験を見守りました


ヨーロッパでは昔、足が悪くなくても聖人や学者は杖を持ったそうです。
なぜなら、それが知恵のシンボルとされたからです。
そういえば、かのモーセも杖を持って、紅海を二つに割りました。
魔法使いも杖を持って、いろんなものの姿を変えました。
アイルランドでは杖で泉を湧かせ、地中の金を掘り当てたそうです。
オーケストラの指揮者は今でこそ軽やかな指揮棒を振りますが、昔は重い杖でした。
杖には人々をリードする力があると信じられていたのです。
ロシアの文豪トルストイは大地主でしたが、広大な邸宅のどこかに幸福の杖が埋まっているという伝説を信じ、終生それを探し続けたといいます。


                   杖は知恵のシンボルだった


博覧強記の中西進氏は、「こうしてみると、人類が杖に対して抱いてきた感情は、並なみならぬものがある。知恵や幸福がやどるもので、杖に指揮されて生きてきたといってもよかったほどだった」と述べています。
わたしは、この本を読んでから、なんだか杖に愛着が湧いてきました。
足の怪我が完治した後も、杖を持ち続けようかなとも思いました。
そして、西洋の聖人のように、東洋の聖人は杖をつかないのかなと考えました。
孔子孟子が杖をつきながら「人の道」を説く姿を想像すると、楽しくなってきます。


                   わたしの杖は分解可能です


2011年7月13日 一条真也