「ああ日本の社長」

一条真也です。

朝一番の便で小松空港を発ち、北九州に戻ってきました。
それにしても、日本中どこもかしこも暑いですね。
さて、タレントの宮尾すすむさんが肺炎で亡くなられました。
もともと食道がんの治療をされていたそうです。77歳でした。
どうも東日本大震災以来、芸能人の訃報が多いですね。


                  「日刊スポーツ」7月14日号


テレビ番組の司会やリポーターとして活躍された宮尾さんでしたが、何と言ってもテレビ朝日のモーニングショー人気企画「ああ日本の社長」が代名詞でした。
全国のユニークな社長さんが続々と登場し、豪華な自宅なども公開されて、高視聴率を誇り、日本中に大ブームを巻き起こしました。


じつは、わが社の佐久間進会長も1981年(昭和56年)4月に同番組に登場しました。
もう30年も前ですが、たしか九州の社長としては最初の登場だったと思います。
取材は、完全リニューアル・オープンしたばかりの松柏園ホテルの紹介をはじめ、茶室で佐久間会長が宮尾さんに小笠原流礼法の指南をしたりしました。
柔道7段(当時は5段)の会長が、柔道場で宮尾さんに稽古をつけたりもしました。
自宅の書斎や書庫も取材され、宮尾さんは蔵書の多さに驚かれて「ここは図書館ですか?」と絶句した後、「日本一、本を読む社長さんですね」とコメントされていました。
そのとき、宮尾さんが「ここにある本、全部読んだんですか?」という質問を受けた佐久間会長は「いや、読んでいません」と述べた後、「本は読むためだけじゃなく、考えるためにあるんです」と答えたことを思い出します。
じつは、この発言を会長にアドバイスしたのは息子のわたしでした。
もともとは経済学者の向坂逸郎の言葉だったのですが、それを父に教えたのです。
この発言を聞いて、宮尾さんは目を白黒させていました。


                    実家書庫の取材風景


「ああ日本の社長」は経営者の派手な私生活を紹介する趣向が強い番組でした。
しかし佐久間会長の場合は、そういった要素は一切示さずに、小笠原流礼法と柔道と読書の話をメインとした取材でした。同番組としては異例の内容だったと思います。
最後に、宮尾さんが「社長になれる秘訣を教えて下さい」と質問したところ、佐久間会長はすかさず「生活は低く、志は高く」と答えました。
テレビでその場面を観ていたわたしは17歳で高校3年になったばかりの生意気盛りでしたが、「おおっ、親父、いいこと言うなあ!」と感心したことを憶えています。
放送の翌日、わたしが登校すると、友人たちが集まってきて「おまえの親父さん、テレビに出とったな! スゲエやん!」と言ってきました(笑)。
地元の北九州での反響ですが、想像以上に大きかったようです。
マイ・ローヤー」こと弁護士の辰巳和正先生など、今でもその話をされます。
また、冠婚葬祭互助会業界でも同様に反響があったようです。
着流しで老けて見えますが、当時の佐久間会長は、なんと45歳でした!
現在のわたしより3歳も若かったという事実に驚いてしまいます。



放映から17年後ぐらいに「ああ日本の社長スペシャル」という2時間の特番企画がありました。これまでに登場した多くの社長の中から特に評判だった5人のその後を追うという内容でしたが、ここでも佐久間会長は登場しました。
よほどユニークな経営者だと思われたようです。当時の会長は発明に凝っており、電波による位置確認システムなどの発明などが紹介されました。
このときは、わたしの妻と生後3ヵ月だった長女も一緒に番組に出演しました。
宮尾さんは1934年(昭和9年)生まれですので、佐久間会長の1歳年長でした。
宮尾さんは大変な愛妻家としても知られ、奥様を亡くされた後に出演した「徹子の部屋」では、夜中に亡き妻を思い出すと眠れなくなり、「帰ってきてくれ!」と叫んでしまうと言われていました。きっと、天国で大好きだった奥様との再会を果たしておられるでしょう。
宮尾すすむさんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


2011年7月15日 一条真也