『困ってるひと』

一条真也です。

『困ってるひと』大野更紗著(ポプラ社)を読みました。
「難病女子による、画期的エンタメ闘病記!」として、いま大変話題の本です。
ウェブマガジン「ポプラビーチ」に連載されたものに加筆修正したものだそうです。


                 難病女子によるエンタメ闘病記!


帯には「ある日、原因不明の難病を発症した、大学院生女子の、冒険、恋、闘い、――。知性とユーモアがほとばしる、命がけエッセイ!」というキャッチコピーが記されていますが、そのままの内容です。さらに、「絶賛発売中!!」ではなく、「絶賛生存中!!」というショルダー・コピーがすべてを語っていると言えるでしょう。
1984年、福島県生まれの著者は、上智大学国語学部フランス語学科卒。
現在は、上智大学大学院グローバルスタディーズ研究科地域研究専攻博士前期課程休学中となっています。



本書の目次は、以下のようになっています。
「はじめに 絶望は、しない 〜わたし、難病女子」
第1章  わたし、何の難病? 〜難民研究女子、医療難民となる
第2章  わたし、ビルマ女子 〜ムーミン少女、激戦地のムーミン谷へ
第3章  わたし、入院する 〜医療難民、オアシスへ辿り着く
第4章  わたし、壊れる  〜難病女子、生き検査地獄へ落ちる
第5章  わたし、絶叫する 〜難病女子、この世の、最果てへ
第6章  わたし、瀕死です 〜うら若き女子、ご危篤となる
第7章  わたし、シバかれる 〜難病ビギナー、大難病リーグ養成ギプス学校入学
第8章  わたし、死にたい 〜「難」の「当事者」となる
第9章  わたし、流出する 〜おしり大虐事件
第10章 わたし、溺れる 〜「制度」のマリアナ海溝
第11章 わたし、マジ難民 〜難民研究女子、援助の「ワナ」にはまる
第12章 わたし、生きたい(かも) 〜難病のソナタ
第13章 わたし、引っ越す 〜難病史上最大の作戦
第14章 わたし、書類です 〜難病難民女子、ペーパー移住する
第15章 わたし、家出する 〜難民、シャバに出る
最終章  わたし、はじまる 〜難病女子の、バースデイ
「あとがき」



本書を書いたのは、いかなる人物か。一体、何を困っているのか。
「はじめに」の冒頭で、著者は次のように自己紹介を行っています。
「わたしは、この先行き不安、金融不安、就職難、絆崩壊、出版不況、鬱の嵐が吹き荒れ、そのうえ未曾有の大災害におそわれた昨今のキビシー日本砂漠で、ある日突然わけのわからない、日本ではほとんど前例のない、稀な難病にかかった大学院生女子、現在26歳。ちなみに、病名は、Fasciitis−panniculitis syndrome(筋膜炎脂肪織炎症候群)とついている。皮膚筋炎という、これまた難病も併発している。自己免疫疾患の専門医でないかぎり、病名からは、どんな病気かの推測はほとんどできないと思う」



筋膜炎脂肪織炎症候群? 皮膚筋炎?
なんだか、あまり聞いたことのない病名ですが、本書を読めば、これがじつに厄介な難病だということが痛いほどわかります。
リーマン・ショックで破産した人、東日本大震災地震津波原発事故の被害に遇った人など、今の日本には世の中には困っている人がたくさんいますね。
しかし、本書の著者ほど困っている人はなかなかいないと思います。
著者がいかに困っているかは、「はじめに」の次の一文からもわかるでしょう。
「わたしの病気は、免疫のシステムが勝手に暴走し、全身に炎症を起こす、自己免疫疾患と呼ばれるタイプの難病。免疫そのものがおかしくなっているので、人それぞれ特徴はあれど、全身あらゆる組織に症状が及ぶ。『治す』というより、病態をステロイド免疫抑制剤で抑えこんで、付き合っていくしかないのだ。そして、さらには、それらの薬の及ぼす深刻な副作用とも、お付き合いせざるを得ない。
この原稿を打ち込むキーをたたいている今も、1日ステロイドを20ミリグラム服用し、免疫抑制剤、解熱鎮痛剤、病態や副作用を抑える薬、安定剤、内服薬だけで諸々30錠前後。目薬や塗り薬、湿布、特殊なテープ、何十種類もの薬によって、室内での安静状態で、なんとか最低限の行動を維持している。
それでも症状は抑えきれず、24時間途切れることなく、熱、倦怠感、痛み、挙げればきりのないさまざまな全身の症状、苦痛が続く」



このように著者が抱えている難病の厄介さはハンパではありません。
それを深刻ぶらずに、暗くならずに、著者はきわめて明るくユーモラスな言葉で綴ってゆきます。たとえば、著者は次のように書いています。
「困難に困難を塗り重ね、試練のミルフィーユか!わたしゃブッダか!とひとり自分に突っ込みを入れてみる。
難病患者となって、心身、居住、生活、経済的問題、家族、わたしの存在にかかわるすべてが、困難そのものに変わった。当たり前のこと、どうってことない動作、無意識にできていたこと、『普通』がとんでもなく大変。毎日、毎瞬間、言語に絶する生存のたたかいをくりひろげている。
まあとにかく、難民を支援したり研究したりしていたら、自分が本物の難民になってしまったわけだ。わたしは、要は、『困る』ことについて、最果ての現状を見聞きし、自分自身も最果ての状況に陥った、若干エクストリームな『困ってるひと』なのである」



本書は、かの正岡子規の『病床六尺』を彷彿とさせるほどの壮絶な内容が描かれていますが、著者は「闘病記」とは一線を画しているようで、次のように述べています。
「この本は、いわゆる『闘病記』ではない。もちろん、その要素も兼ねざるを得ないけれど。いま、わたしにとって、生きることは、はっきり言ってチョー苦痛。困難山盛り。一瞬一瞬、ひとつひとつの動作、エブリシング、たたかい。
ひとりの人間が、たった1日を生きることが、これほど大変なことか!
それでも、いま、『絶望は、しない』と決めたわたしがいる」



「わたしゃブッダか!」と自分でツッコミを入れる著者は、狭いカプセルに体を横たえるMRIの際に、本当に自分をブッダだと思い込もうとします。連日のMRIは閉塞感のみならず、ものすごい騒音で、著者は大きなストレスを覚えます。
その攻略法を必死に考える著者は、まず1階の自動販売機でウレタン製のマイ耳栓をゲットし、防備します。耳栓でちょっと騒音がましになったところで、大学院でバングラデシュを研究している友人が、かの大ヒット漫画の『聖☆おにいさん』を差し入れてくれました。著者は、次のように書いています。
ブッダとキリストが立川で下界のヴァカンスとして同居生活を営むという、こうして文章化し説明しようとするとまったく意味不明のユーモアに満ちた漫画だ。
しかし、わたしはこれを読んでひらめいた。あの長時間の閉塞感と騒音に打ち勝つには、『わたしは、ブッダだ』作戦しかない。無我の境地だ。修行だ。何も考えてはならない。眠るように、無意識へ沈むのだ。以来、MRI室へ臨むわたしは、かなりセイントな、生き仏たるたたずまいを心がけるようになった」
著者のこの作戦は、その後もMRIを受けるたびに行使されました。
「わたしはブッダだ・・・・・・わたしはブッダだ・・・・・・」
目を閉じ、耳を塞ぎ、45分間、聖なる修行の世界にたゆたうのです。
「これはけっこう、効果があると思う。ぜひお試しください」と、著者は述べています。



本書は、たしかに単なる難病モノを超えて「生とは何か」根本から考えさせてくれる名著だと思います。しかし、書き手が25歳の若い女性ということもあってか、中年男性のわたしとしては違和感を覚える箇所も正直言ってありました。
たとえば、「大学院女子」とか「ビルマ女子」とか「難病女子」といったように、何でもかんでも「女子」をつけたりする独特の文体などです。
また、目次を見ればわかるように、すさまじい「わたし」のオンパレードには少々引いてしまいました。異様にハイテンションな文体で綴られる「わたし語り」よりも、現代日本の医療のリアルを冷静に描いている場面が本書の醍醐味ではないかと思いました。
著者は、日本の大病院について次のように書いています。
「大病院では、いろんなものがシステマティックに処理され、1人の医師が1日何十人と診察する。例えば、日本の大学病院の総本山(あくまでも一般庶民としてのイメージだが)、東京大学医学部付属病院の1日の外来患者数が何人か、知っていますか?
だいたい、1日4000人くらい。わたしは、東大病院で1日何人の先生が外来診察をしているのかはわからないので、単純な想定の計算だが、100人の医師が診察をしているとしても1人の医師が1日40人。200人の医師が診察していたとしても、1人の医師が1日20人の患者を診察することになる。何時間も待って、いわゆる「5分間診療」問題が発生するのも必然というものだ。患者は当然疲弊するし、医師だって疲れ切ってしまう。この悪循環、どういたしましょうか」



また、病院の「小児神経科」での次のような体験も印象的でした。
「わたしは、人間として、ほんとうに恥ずべきことに、内心、絶句した。
おそらく、頭蓋骨が先天的に変形していて、ヘッドギアのような装置を付け、電動車いすで目の前を通過していく男の子。
眼球が飛び出し、ベッド上に寝たきりで、人口呼吸器を付けながら移動してゆく女の子。
重度の障害、難病を抱えた、子どもたち。
わたしは、わたしは、わたしは。わたしは、ただ、その場に座り、見つめることしかできなかった。何も、言葉は思考として浮かばなかった。その意味を咀嚼したり、理解できるようになるのは、まだまだ、ずっと、先のことで」


 
「小児神経科」がある同じ病院の「神経内科」に著者は検査入院していました。
そこには、いわゆる精神の病を抱えた患者なども入院しており、彼らの姿に著者はショックを受けます。そして、精神的にもボロボロになった著者は、退院後に書いています。
「今思えば、あの病院は、わたしにいろんな大事なことを教えてくれた。重度の障害や、難病、あるいは精神疾患を抱えた人たちが、日本社会の中で、どういう扱いを受けているか。『現実』とは『矛盾』とは、何か。弱者にされるとは、どういうことか。研究室にいくら籠っていようが、一生、実感として学ぶことはなかっただろう」



本書がベストセラーになり、大きな話題になっているのは、おそらく内容の重さにそぐわない著者の文体の軽さのせいだと思います。
本書の帯にたくさん書かれている読者の感想文や、アマゾンのレビューなどを見ても、そこに魅力を感じている人が多いようです。
しかし、わたしは無理に明るく軽く書いた箇所よりも、つい地が出ているというか、本音が漏れているというか、暗く重いシリアスな箇所に心を動かされました。
ブッダは「生老病死」を人間の苦悩と見なしました。
病と死に直面している著者は、次のように述べています。
「ひとが、病や死に直面するというのは、ドラマや小説のようなものじゃない。瀕死の状態、手術中、そういった劇的な『瞬間』は、すぐに過ぎ去ってしまう。病に限らず、現実のものごとに『向き合う』という作業は、長く、苦しい、耐久デスマッチみたいなものだ。そして、その苦しみは、身体的苦痛だけがもたらすものではない。病の症状に耐えるだけで大変な患者を決定的に追いつめるのは、社会のしくみだったりする。患者にとってのデスマッチの相手、『モンスター』は、社会そのものだ」



難病を抱える著者は、紛れもなく重度の身体障害者です。
しかし、自己免疫疾患系の難病であるがゆえ、見た目には彼女が「困ってるひと」であることが他人にはわかりにくいという大問題があります。
わたしは足を骨折しましたが、足にギプスを巻いて松葉杖をついているわたしのほうが、正真正銘のエクストリームな「困ってるひと」である著者よりも困ってるように見えてしまうのです。このあたりの問題について、著者は次のように書いています。
「日本には、現在、身体障害者福祉法という法律が存在する。そして、それに基づいて手帳は発行される。わたしがこの時申請したのは、<肢体不自由>という枠の身体障害者手帳である。それ以外にわたしが申請できる枠はない、と先生から言われた。この<肢体不自由>というコンセプトは、日本の障害者支援制度が、戦後、旧厚生省のもとで、第二次世界大戦で障害を負った軍人さんへの救済対策の一環としてはじまった、ということに深く根付いているような気もする」
「戦後、戦争で怪我を負った軍人さんの保護を主たる目的に始められた日本の障害者福祉施策においては、『目に見える生涯』=『身体障害』という概念が、いまだにメインストリームとして引き継がれている」



著者は、<Fasciitis−panniculitis syndrome><皮膚筋炎>という難病くじを、なぜか引きました。発病するまでは難民の研究をしていましたが、著者は「難」の「観察者」ではなく、「難」の「当事者」となります。しかし、一難去って(去ってはいませんが)、また一難。著者の「困ってるひと」ロードは果てがありません。
おしりが崩壊して、血と膿が体内から流れ出すという悲惨な体験をした後、著者は友人たちの訪問を受けます。いずれも、これまで著者をいろいろとサポートしてきた3人の親友たちでした。著者は、次のように書いています。
「『おしり洞窟』からドバドバと、『元おしり』液体が流出し続けるなか。難病女子は、3人の、長年心を通わせてきた親友たちに囲まれていた。うら若き女子の集いにもかかわらず、和やかな雰囲気は一切排されている。全員がまるでシベリア抑留を宣告されたかのように、神妙な表情で硬直する。ベッド周辺は、ただならぬ緊張感に満ち満ちていた。
『もう、無理だと思う』
わたしの脳内に、友人の声が、こだまする」
親友たちも、サポートするのに疲れきっていたのです。
3人は言いました。「いろんなひとの、負担になっていると思う」「こんなことを言うのは残酷だと思うけれど、周囲でも噂になっているんだよ」「それは、更紗にとって、いちばんよくないことだと思う」
これらの言葉を聞いて、著者は絶句したそうです。なぜなら、このいまの自分の状況こそ、著者が大学生活4年間のすべてを注いで研究してきたはずの、難民への援助の矛盾にぴったり当てはまっていたからでした。
ちなみに、著者の学部の卒業論文のタイトルは、『援助は誰のものか』だったそうです。
孤独の淵に押しやられた著者は、次のように述べています。
「『救世主』は、どこにもいない。ひとを、誰かを救えるひとなど、存在しないんだ。わたしを助けられるのは、わたししかいないのだと、友人をとことん疲弊させてから、大事なものを失ってから、やっと気がついた」
悲惨なエピソード続きの本書の中でも、最も悲しい場面でした。
著者は、去ってゆく友人たちに「今まで、ありがとう」とは言ったのでしょうか?
わたしは、そのことが気になって仕方がありませんでした。


 
さて、著者は「オアシス」と呼んでいた病院を退院し、現在は都内某所で暮しているそうです。病気が治ったわけではないので、病院には通院しているのでしょう。
ともかくも、いま現在、著者は生きているのです。
そして、ウェブマガジンに文章を書き、単行本化され、多くの読者を得ました。
本書の「おわりに」で、著者は次のように書いています。
「長く短い劇的な日々のすべてを語ろうとすると、とても本1冊にはおさまりません。広辞苑10冊ぶんくらいになりそうです。ここに書けたことは、ほんの一部の一部です。
この後の在宅生活、そして東日本大震災。生存ギリギリ、アメイジングの基準値をどんどんふりきっていく未知すぎる毎日を生きています。
オアシスで出会ったお友達のなかには、書いている途中で物言わず亡くなっていった方々も何人かいらっしゃいました。こんな言い方が妥当かはわかりませんが、本当に、おつかれさまでした。勝手にバトンを託された思いです」



本書は、あらゆる意味での困っている人が読むべき本だと思います。
発病してからの彼女が生きた世界は、はっきり言って、前人未到の道でした。
人どころか、獣も通った跡がないような道を自ら開拓しつつ、著者は今日まで生きてきたのです。そういう人の体験には、もう有無を言わせぬ圧倒的な迫力があります。
そう、その言葉には圧倒的な説得力があるのです。
いま、いろいろと世の中が混乱しており、困ってる人も多いようです。
そういう人たちに、ぜひ読んでほしいと思います。
今後の治療費用がいくらあっても足りないと思われる著者は、ぜひ莫大な印税を手に入れていただきたいです。そのためにも、この本は図書館で読んだり、人と貸し借りしたりせず、ぜひお金を払って購入していただきたいと思います。
わたしの本など買わなくていいですから、どうか、本書をお買い求め下さい。
著者の快癒を心から祈る一読者からのお願いです。


2011年8月7日 一条真也