鎌田東二先生、来る!

一条真也です。

1300本目のブログ記事になります。
今夕、「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生が小倉に来られました。
昨日、鎌田先生は下関の梅光女学院で講演をされたそうです。先生は下関から、わたしは出張先の鳥取から駆けつけて、小倉の松柏園ホテルで落ち合いました。


                     鎌田東二先生と 
                 

ブログ「骨折しました!」に書いたように、鎌田先生とは本当は5月21日にお会いするはずでした。それが、わたしの骨折というアクシデントによって中止され、今日改めて再会したわけです。松柏園のロビーでコーヒーを飲みながら、2人で東日本大震災の話題を中心に意見を交換しました。わたしが現在、『生き残ったあなたへ』(佼成出版社)という被災者へのグリーフケアの本を執筆していることから、考えていることを先生に投げかけ、いろいろとアドバイスを受けました。
鎌田先生は、原発事故の問題を含めて、大震災の問題はいまだに終わっておらず総括することなどできないと言われていました。
そこに、父である佐久間進会長も加わって、しばらく3人で語り合いました。



その後は、鎌田先生とわたしの2人で夕食をともにしながら、色々な問題を話しました。
先生が放射能の問題を深刻にとらえられ、日本の未来に大きな不安を抱かれていることが印象的でした。先生は被災地入りしたとき、海や川が汚染されていて禊ができなかったことに大変なショックを受けられていました。
今後、日本が禊ができない国土になってしまえば、神道の存亡に関わります。
その強い危機感は、わたしにも痛いほど伝わってきました。
わたしは、「ブッダなら、原発についてどうコメントするか」などという話をしました。
会話の内容のすべてをここに書くことはできませんが、いつもと同じように今夜も先生から多大なインスピレーションを頂きました。
次回の「ムーンサルトレター」で詳しく書きたいと思います。



食後は、カラオケボックスに行き、歌いまくりました。
いつものように、SHIDAXの禁煙ルームです。
先生は、加藤登紀子の「琵琶湖周遊歌」をはじめ、鎮魂の歌をたくさん歌われました。
わたしも、森進一の「港町ブルース」を鎮魂の心を込めて歌いました。
先生がザ・フォーククルセイダースの「悲しくてやりきれない」を歌われたときは、食事時に語り合った原発問題を思い出して、やりきれない思いがしました。
まさに、「悲しくてやりきれない」は東日本大震災のテーマソングだと思いました。
でも、2人で「いつでも夢を」をデュエットし、少し希望が湧いてきました。「悲しくてやりきれない」から「いつでも夢を」への大転換が、被災地でも実現することを願っています。


                 ブルーハーツを熱唱する鎌田先生


また、河島英悟の「時代遅れ」のカラオケ映像には、わたしたちの義兄弟である近藤高弘さんの父上が登場されていて、驚きました。たぶん30年ぐらい前の映像でしょうか。
最後は、鎌田先生が十八番のザ・ブルーハーツの「キスしてほしい」を熱唱されました。
雨が降ったせいで外はだいぶん涼しくなりました。
でも、SHIDAXの禁煙ルームは熱気ムンムンでした。
明日は、朝から松柏園で鎌田先生と朝食を御一緒します。



2011年8月20日 一条真也