『GOTH』

一条真也です。

『GOTH』乙一著(角川文庫)を読みました。もともとは『GOTH リストカット事件』として角川書店から単行本として出され、本格ミステリ大賞を受賞した作品です。
文庫化にあたって「夜の章」、「僕の章」の2冊に分けられました。
「夜」というのは主人公の1人である女子高生・森野夜のことです。
この「夜」と「僕」の2人が、さまざまな猟奇殺人に立ち会う物語となっています。


                  本格ミステリ大賞受賞作


いつものように、ネタバレにならないように各巻のカバー裏の内容説明を紹介します。
まず、『夜の章』のカバー裏には、以下のような内容説明があります。
「森野夜が拾った一冊の手帳。そこには女性がさらわれ、山奥で切り刻まれていく過程が克明に記されていた。これは、最近騒がれている連続殺人犯の日記ではないのか。もしも本物だとすれば、最新の犠牲者はまだ警察に発見されぬまま、犯行現場に立ちすくんでいるはずだ。『彼女に会いにいかない?』と森野は『僕』を誘う・・・。人間の残酷な面を覗きたがる悪趣味な若者たち―“GOTH”を描き第三回本格ミステリ大賞に輝いた、乙一の跳躍点というべき作品。『夜』に焦点をあわせた短編三作を収録」



次に、『僕の章』のカバー裏には、以下のような内容説明があります。
「この世には殺す人間と殺される人間がいる。自分は前者だ―そう自覚する少年、『僕』。殺人鬼の足跡を辿り、その心に想像を巡らせる『GOTH』の本性を隠し、教室に潜んでいた『僕』だったが、あるとき級友の森野夜に見抜かれる。『その笑顔の作り方を私にも教えてくれない?』という言葉で。人形のような夜の貌と傷跡の刻まれた手首が『僕』の中の何かを呼び覚ます。彼女の秘密に忍び寄った彼が目撃するのは…。圧倒的存在感を放ちつつ如何なるジャンルにも着地しない乙一の、跳躍点というべき一作。『僕』に焦点した三篇を収録」



収録作品ですが、『夜の章』には「暗黒系」「犬」「記憶」の3篇、『僕の章』には「リストカット事件」「土」「声」の3篇が収められています。
相変わらず、著者のストーリー・テリングは秀逸です。
しかし、文庫化に際して本書を2分冊にしたことには疑問を抱きました。
単行本で330ページくらいですので、文庫だと440ページくらいでしょうか。
これぐらいのボリュームなら1冊本として出したほうが良かったと思います。
また、「夜」と「僕」という2人の登場人物に焦点を当てた作品で二分したというのも失敗だったのではないでしょうか。
やはり時系列で狂ってしまいますので、読者が混乱してしまいます。もちろん、それぞれの作品は独立した短編なのですが、時間の順序に沿っていたほうが前の作品の情報が後の作品に生かされて、各作品の魅力が際立ってくるように思いました。



正直に言うと、本書を読むことはあまり気乗りがしませんでした。
これまで乙一のほぼ全作品を読んできたのですが、本書だけは読む気が起こらなかったのです。それには、2つほどの理由があります。
1つは、本書のタイトルが気になったのです。
ブログ「魔女狩りの教会」を読んでいただければわかりますが、わたしはゴシック(GOTHIC)なるものが嫌いです。そして、「GOTH」とはゴシックなるものを愛する人々のこと。
『夜の章』の「記憶」では、森野夜について「黒っぽい服を身につけ、病的な顔をしている。外で遊ぶよりも、家で本を読むことを好むような、不健康な気配を持っている」と描写されていますが、それに続いて次のように「GOTH」そのものが説明されます。
「一部ではそういった人々のことをGOTHと呼ぶ。GOTHというのは、つまり文化であり、ファッションであり、スタイルだ。ネットで『GOTH』や『ゴス』を検索すると、いくつものページがヒットする。GOTHは、GOTHICの略だが、ヨーロッパの建築様式とはあまり関係がない。この場合は、ヴィクトリア朝ロンドンで流行した『フランケンシュタイン』や『吸血鬼ドラキュラ』などの小説、つまりゴシック小説のGOTHICがもとになっている。森野もおそらく、GOTHに分類されるだろう。彼女はしばしば、人間を処刑する道具や拷問方法などに興味を示す。GOTH特有の、人間の持つ暗黒面への興味である」
ここで著者は、「ゴシック様式」と呼ばれるヨーロッパの建築様式とGOTHとは関係がないように書いていますが、わたしは根底に流れる精神は同じだと思っています。
ちなみに、わたしはゴシック小説は嫌いではありません。
でも、ゴシック・ファッションやゴス・ロリは苦手です。



しかしながら、著者はあまり深く考えずに本書のタイトルを『GOTH』としたようで、ゴス文化を愛する人々からの抗議をかなり受けたそうです。
それについて、著者は『夜の章』の「あとがき」に次のように書いています。
「配慮の足りない題名でした。作品を読んでいただくとわかりますが、僕はゴス文化について深く掘り下げて書いていません。むしろゴス文化と殺人事件を結びつけてしまう結果になってしまいました。僕はゴスという文化の魂の部分を考慮せず、ファッションのひとつとして小説に適用して読者への売り文句にしてしまったのです。いつか謝罪文を書かねばならないと思っていたとき、読者からお叱りの手紙をいただきました。手紙に書いてあったことは僕が日頃から考えていた反省そのままで、読んでいる最中、頭が下がりました。お返事しようと思いましたが、住所等が記されていなかったので、この場を借りてお詫びを申し上げます。ゴス文化を利用してしまい申し訳ありませんでした」
ここまでの謝罪の言葉を作家が「あとがき」で書くというのは珍しいですが、よほどその「お叱りの手紙」がこたえたのでしょうね。
でも、著者の謝罪の言葉からは深い反省の念と誠実さを感じます。



さて、もう1つ、本書を読む気にならなかったのは、この作品が「グロ系ライトノベル」と呼ばれているからでした。「グロ系」も「ライトノベル」も、趣味に合わないのです。
まず、「グロ系」ですが、本書にはとにかく残虐な場面がたくさん出てきます。
殺人であっても、とにかくその殺し方が非常に猟奇的なのです。
それから、遺体をモノのように扱う場面が多いのが不愉快でした。
ブログ『夏と花火と私の死体』で紹介した著者のデビュー作からちょうど10年後に本書は書かれましたが、死者の尊厳がこの上なく踏みにじられている部分で両作品は直結していました。『夏と花火と私の死体』で芽生えた幼い「インモラル」は、本書『GOTH』で恐るべき「インモラル」へと成長したと言えるでしょう。
主人公の1人である「僕」は、殺人現場を歩いたり猟奇殺人などの記事を集めるのが趣味な男子高校生です。『僕の章』の「声」には、次のように「僕」が森野夜と会話を交わす場面が出てきます。
「『人間には、殺す人間と、殺される人間がいるね』
『突然、何を言い出すの』
人を殺す人間が、確かに存在している。どんな理由もなく、殺したくなるのだ。成長する過程でそうなるのか、生まれつきそうなのかはわからない。問題は、その性質を隠して、それらの人々は、普通の人間として生活しているということだ。この世界にまぎれこんで、見た目には普通の人と何ら変わらない。
しかしあるときふと、殺さずにはいられなくなる。社会的な生活から離れて、狩りへ赴く。僕も、そのうちの一人だ」
これがインモラルでなくて、何がインモラルでしょうか?



健全な青少年にとても本書を読ませる気にはなりませんが、困ったことに本書は圧倒的に青少年の愛読者が多い「ライトノベル」というジャンルに属すのです。
わたしはライトノベルとかケータイ小説の類を読みません。
著者は『夜の章』の「あとがき」で、「『GOTH』はもともとライトノベルというジャンルで発表された小説です。ライトノベルの定義はややこしいので書きませんが、特筆すべきことは『ライトノベルに授ける賞など当時はひとつもなかった』という点です。つまり『GOTH』が何らかの賞を獲得するなどという可能性は、小説が執筆される前から皆無のはずでした。ライトノベルを書いている作家は賞がもらえないことを前提として執筆活動を続けていて、僕もその一人だったわけです」と書いています。



その著者が書いた『GOTH』というライトノベル本格ミステリ大賞を受賞したことは、きわめて異例だったわけです。著者は『僕の章』の「あとがき」で書いています。
「出版界で活動し始めてみると予想外のことが起こりました。自分の人生にまさか影響があるとは思っていなかった『ライトノベルの地位の低さ』という問題が何度も関わってくるではありませんか。僕が出版界で受けたライトノベル差別をすべて書き出していると殺伐とした文章になってしまうのでここには書きません」
そして、ミステリそのものの地位は高いことを知った著者は、「ライトノベルでミステリを書けばいいんだ。そうすればライトノベルしか読んでいない人でも、ミステリという形式を知って、そこから読書の守備範囲が広がるに違いない。僕はそう考えて『GOTH』を書きました」と述べています。自由闊達に物語を紡ぎ出しているイメージのある著者に、意外な志があったことに少し驚かされました。
わたしにはライトノベルの何たるかがよくわかりませんが、本書を読んで「マンガの原作みたいだな」と思いました。本書の場合は、かつて愛読したホラー・コミック誌『ハロウィン』とか『ネムキ』とかに出てくるマンガみたいな話が多かったです。
「本書をマンガ化するなら、伊藤潤二がベストだな!」とも思いました。
富江」とか「うずまき」といった陰鬱で狂気に満ちた作品を描く人ですね。



本格ミステリとかライトノベルとかに関係なく、著者はやはり非凡な作家です。
本書のすべての作品には、ラストでのどんでん返しという「サプライズ」がありました。
とにかく「主語」で読者を騙すのが上手な人で、「主語の魔術師」と呼びたいくらいです。
しかし、あまりにもサプライズにこだわりすぎているような感も受けました。
CGのアイドルをCMに出して話題にした後で、実際のコンサートで特殊メイクで実在の人物のように見せる・・・・・そんな力づくのサプライズに近いものを感じるのです。
それは、著者が複数の名義で「覆面作家」として活動していることにも通じるのでしょうが、とにかくトリッキーなのです。
トリックも連発すれば、飽きられてしまう。サプライズも続ければ、マンネリになる。
実際、本書の作品にはすべてラストで意外な真犯人が明らかになりますが、著者のトリックのパターンがわかってオチが見えた作品もありました。
著者は間違いなく非凡な才能を持っているのですから、読者の価値観を根底から揺るがすようなへヴィノベルにも挑戦してほしいと思いました。
蛇足ながら、本書は非常に面白い小説であり、映画化もされています。
「僕」を演じた本郷奏多「夜」を演じた高梨臨がともに強烈な存在感を放っていました。原作とはまた違った雰囲気で、とても美しく幻想的な映像が印象に残ります。
ただ、気になった点もありました。高校の図書館で2人が本を読むシーンがあるのですが、「夜」が読んでいるのは『図説 切り裂きジャック』(河出書房新社)でした。
これは、まあ何の不思議もないですが、「僕」が開いている本がすごかった!
Sleeping Beauty:Memorial Photography in America』という洋書なのですが、この本はアメリカの葬儀の場面や遺体を撮影した写真集なのです。
かの名作ホラー映画「アザーズ」にも登場した超マニアックな写真集です。
「こんな本、絶対に高校の図書館には置かれてないだろ!」と思いました(笑)。
映画版「GOTH」はDVDも発売されていますので、機会があれば御覧下さい。


2011年8月26日 一条真也