気仙沼

一条真也です。

一関駅で国際経営の井上社長と落ち合い、わたしたちは車で気仙沼に向いました。
ブログ「九州からの祈り」にも書いたように、わが社の佐久間進会長が気仙沼の親善大使を務めており、震災後もすでに数回訪れています。
わたしも、足の怪我が治ったら真っ先に訪れたい場所でした。


                      被災地にて


また、わが社の“おくりびと”たちの葬祭サポート予定地も気仙沼でした。
わたしは骨折中も、ずっと「気仙沼に行かなくては!」と思い続けていました。
のどかなイメージの岩手県の一関から宮城県気仙沼に近づくにつれ、周囲の風景画一変しました。いたるところ建物が崩壊しており、ガレキだらけです。


                いたるところで建物が崩壊しています

                    ガレキの山だらけでした


きわめつけは、陸上に漂着した船の姿でした。
まるで「宇宙戦艦ヤマト」のような船の異様な光景に慄然としました。
2011年3月11日は、日本人にとって決して忘れることのできない日になりました。
三陸沖の海底で起こった巨大な地震は、信じられないほどの高さの大津波を引き起こし、東北から関東にかけての太平洋岸の海沿いの街や村々に壊滅的な被害をもたらしました。その被害は、福島の第1原子力発電所の事故を引き起こし、いまだ現在進行形の大災害は続いています。


                  陸上に漂着した船の前で


大量死の光景は、『古事記』に描かれた「黄泉の国」がこの世に現出したようでもあり、また仏教でいう「末法」やキリスト教でいう「終末」のイメージそのものでした。
この国に残る記録の上では、これまでマグニチュード9を超す地震は存在していませんでした。地震津波にそなえて作られていたさまざまな設備施設のための想定をはるかに上回り、日本に未曾有の損害をもたらしました。じつに、日本列島そのものが歪んで2メートル半も東に押しやられたそうです。
わたしは、今も海の底に眠る犠牲者の御霊に対して心からの祈りを捧げるとともに、「ぜひ、祖霊という神となって、次に津波が来た時は子孫をお守り下さい」との願いを込め、数珠を持って次の歌を詠みました。
「願はくば海に眠れる御霊らよ 神の心で子孫をまもれ」


          願はくば海に眠れる御霊らよ 神の心で子孫をまもれ


2011年9月8日 一条真也