南三陸

一条真也です。

気仙沼から南三陸に向いました。
途中で、三陸線の鉄道線路がブツッと切れていました。
わたしは、多くの人命を奪った三陸の海をしばらく眺めました。


                  三陸線の線路が途切れていました

                    三陸の海をながめて


南三陸町は根こそぎ津波にやられており、一面が廃墟という有様でした。
そんな中に、かの防災対策庁舎がありました。津波が来たとき、最後までマイクで避難を住人に呼びかけ続け、自らは犠牲となってしまった女性職員がいた庁舎です。
ここは建物の廃墟の前に祭壇が設えられ、花や飲み物やお菓子などが置かれていました。そして、多くの人々がこの場所を訪れていました。


                    廃墟となった南三陸町

                    国際経営の井上社長と


それにしても、見渡す限り一面が廃墟です。
この場所のみならず、東北一帯で多くの人が亡くなりました。
地震と大津波で、3・11以降の東北はまさに「黄泉の国」となりました。
黄泉の国とは『古事記』に出てくる死後の世界で、いわゆる「あの世」です。
古代、「あの世」と「この世」は自由に行き来できたと神話ではされています。
それが日本では、7世紀頃にできなくなりました。
それまで「あの世」に通じる通路はいたる所にあったようですが、イザナギの愚かな行為によってその通路が断ち切られてしまいました。
イザナギが亡くなった愛妻イザナミを追って黄泉の国に行きました。
そこまでは別に構わないのですが、彼は黄泉の国で見た妻の醜い姿に恐れをなして、逃げ帰ってきたのです。イザナギの心ない裏切りによって、あの世とこの世をつなぐ通路だったヨモツヒラサカは1000人で押しても動かない巨石でふさがれました。


                   防災対策庁舎の前で祈る

         みちのくの よもつひらさか開きたる あの日忘るな命尽くまで


このたびのマグニチュード9の巨大地震は時間と空間を歪めてヨモツヒラサカの巨石を動かし、黄泉の国を再び現出させてしまったのではないか。
そのような妄想さえ抱かせる大災害でした。
わたしは、「東北でヨモツヒラサカが再び通じた3・11をけっして忘れず、生存者は命が続く限りおぼえておこう」という願いを込め、数珠を持って次のような短歌を詠みました。
「みちのくの よもつひらさか開きたる あの日忘るな命尽くまで」


                  グニャグニャになった自動車


防災対策庁舎の横には、グニャリと曲がった自動車がありました。
まるで、サルバドール・ダリの描いた熱で曲がった時計の絵のような光景です。
そんなシュールな光景をながめながら、わたしは目に映る非現実的な世界が紛れもない現実であることを確認していました。見ると、昭和35年の「チリ地震津波水位」を示した看板が倒壊しており、非常に切なかったです。


                  チリ地震津波水位の看板前で


2011年9月8日 一条真也