被災地の月

一条真也です。

ブログ「石巻」で紹介した石ノ森章太郎の「萬画館」のすぐ前には教会がありました。
この建物も、津波の被害ですっかりボロボロになっていました。
ふと空を見上げると、月が上っていました。それはそれは美しい月でした。
わたしは、「ああ、被災地にも月が上るのだなあ」と思いました。


                  石巻の教会の上空に月が・・・


それから、土葬が行われた公営地に向いました。
わたしが想像していたよりも、ずっと街中にあったので驚きました。
「撮影禁止 石巻市」の看板がいくつも掲げられていました。おそらく、無神経に鎮魂の土地をカメラに収めようとする輩が後を絶たなかったのでしょう。
当初、2年後の三回忌を目安に掘り起こして火葬にするとされていましたが、火葬場などの復旧を受けて、多くの遺体はほぼ掘り起こされて火葬され直したようです。
ただし、一部の身元不明遺体はそのまま土葬の状態です。
そこには、「火葬して遺骨を手元に置いておきたい」「先祖と同じ墓に入れてあげたい」「変わり果てた姿をそのままにして土葬しておくのはしのびない」など、さまざまな考えがあるでしょうが、「人並みに火葬にしてあげたい」という遺族の強い想いは共通しています。ひっそりと静まりかえる土葬の地の上空にも月がありました。


                  石巻の海の上空にも月が・・・


さらには近くにある石巻の海の上空にも月がありました。
それを見ていると、月こそ「あの世」であるという想いが自然と湧いてきます。
月は日本中どこからでも、また韓国や中国からでも、アメリカからでも見上げることができます。その月を死者の霊が帰る場所と見立てればいいと思います。
これは決して突拍子もない話でも、無理な提案でもなく、古代より世界各地で月があの世に見立てられてきたという人類の普遍的な見方を、そのまま受け継ぐものです。 



世界中の古代人たちは、人間が自然の一部であり、かつ宇宙の一部であるという感覚とともに生きていました。そして、死後への幸福なロマンを持っていました。
その象徴が月です。彼らは、月を死後の魂のおもむくところと考えました。
月は、魂の再生の中継点と考えられてきたのです。多くの民族の神話と儀礼において、月は死、もしくは魂の再生と関わっています。規則的に満ち欠けを繰り返す月が、死と再生のシンボルとされたことはきわめて自然でしょう。
夕暮れ時の石巻の上空にかかる月を見上げながら、わたしは次の歌を詠みました。
「天仰ぎ あの世とぞ思ふ望月は すべての人が帰るふるさと」
このたびの被災地をめぐる鎮魂の旅路では、いろいろなことを考えさせられました。
自然について、文明について、人間について、生と死について・・・・・。


         天仰ぎ あの世とぞ思ふ望月は すべての人が帰るふるさと


わたしは、震災の直後に被災地に行くことができなかったことにも意味があるのではないかと思いました。もし、あのとき被災地をすぐに訪れていたら、想像を超えた惨状を前にして、わたしは呆然となり、無力感を感じて、何もできなくなっていたかもしれません。
実際に被災地に行けなかったことによって、わたしは被災者の方々のことを思いつめるくらいに深く考えることができました。
被災地を直接訪れなくても、被災者の方々のサポートをさせていただく方法も見つけることができました。その1つが、ブログ「北九州へ!」にも書いた北九州市内での就労サポートであり、それから、被災者の方々が抱えておられる死別の悲しみが少しでも軽くなるようなグリーフケア・サポートの本を書くことでした。
わたしは、ようやく怪我が癒えた今、三陸海岸を訪れました。
津波で多くの人命が奪われた海と空の月をながめながら、わたしは「今こそ、生き残った方々への言葉を綴ろう」と心の底から思いました。
これから、いよいよ『生き残ったあなたへ』(佼成出版社)を書き上げます。


2011年9月8日 一条真也