主の祈り

一条真也です。

9・11米国同時多発テロの話題になるたび、わたしはキリスト教イスラム教の対立に思いを馳せます。そして、そのたびに必ず、1枚の絵を思い出します。
アルフォンス・ミュシャの「主の祈り」です。


                「主の祈り」(アルフォンス・ミュシャ画)


ブログ「9・11に思う」に書いたように、わたしは『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』(だいわ文庫)の中で、アポロの宇宙飛行士たちが月面で神を感じたことを紹介しました。そして、「すべての宗教がめざす方向とは、この地球に肉体を置きながらも、意識は軽やかに月へと飛ばして神の視線を得ることではないだろうか」と書きました。
いうまでもなく、ミュシャはアールヌーヴォーを代表する画家です。もともと好きな画家でしたが、2006年4月に『ユダヤ教vsキリスト教vsイスラム教』の発売日に東京・丸ビルの丸善ミュシャの展示会が開催されたとき、たまたま会場に足を運びました。
するとカラフルなアールヌーヴォーの作品群の中に、ひっそりとモノクロームリトグラフの作品が飾られており、「主の祈り」という題名がついていました。
それを見た瞬間、わたしの体に電流のようなものが走りました。



なんとそれは、地上でうごめく多くの人間たちが夜空の月を仰いでいる絵なのです。
しかも、その月は巨大な天上の眼でもあるのです!
驚いて学芸員の方にお聞きすると、1899年に描かれたこの絵はミュシャが最も描きたかった作品であり、それ以前の膨大なアールヌーヴォー作品の版権をすべて放棄してまで、この絵の制作に取り掛かったとのこと。
多忙な彼が下絵を何十枚も描いており、最初は空に浮かぶ巨大な顔(ブッダの顔のようにも見える)だったのが、次第に一つ目になり、それが三日月になっていったそうです。
その絵につけられた解説文には、「月は主の眼であり、その下に、あらゆる人間は一つになるのであろう」といった内容が記されていました。つまり、ユダヤ教徒キリスト教徒もイスラム教徒も、月の下に一つになるというのです。
わたしは本当に仰天し、かつ、非常に感激しました。
そして日本には1枚だけしかなく、19世紀象徴主義を代表するというその絵を、それこそ「神の思し召し」と思って即座に購入したのです。
もちろんミュシャがそのような絵を描いているなどとは、まったく知りませんでした。
自著の内容とシンクロして、夢みるように会場へと導かれ、運命の出会いを果たしたのです。わたし自身はスピリチュアルな体験であったと思います。



そのことを宗教哲学者の鎌田東二先生とのWeb上の文通である「シンとトニーのムーンサルトレター」第8信に書きました。
2006年5月10日、わたしの43歳の誕生日に書いたレターでした。
すると、鎌田先生からは次のような返信レターが届きました。
「シンさん、ミュシャの『主の祈り』の絵、まさに邂逅ですね。なまなましく、リアルで迫力のある絵ですね。絵でも文学でも哲学でも宗教でも、出逢い、邂逅があると思います、運命的な。シンさんが43歳の誕生日のまさにその日に、丸善のギャラリーで、三日月に向かって祈りを捧げる人々の姿を描いた絵画と出逢い、すぐさま購入したというのは、そのような運命的な邂逅に他ならないと思います。
今から11年前の1995年3月20日、44歳の誕生日の朝未明、わたしは大宮の自宅の寝床の中で、突然飛び跳ねるような寒気に襲われ、ガクガクと布団の中で激しく震え始めました。なぜ突然そのような寒気が襲ってきたのか、今に至るも理解できません。その日の朝8時頃だったか、東京の地下鉄丸の内線の霞ヶ関駅あたりで、『地下鉄サリン事件』が起きたのでした。
その事件でわたしは社会的なバッシングを受けたわけではありませんが、しかしそれ以上の『衝撃』を受け、それを受け止めかねて、3年間近く、荒れに荒れました。1997年6月に『酒鬼薔薇聖斗事件』が起こって、その『衝撃』が違うところから木っ端微塵に破砕されるまで、わたしは自分を持て余し、どうしていいかわからず、先行きに希望も持てず、絶望的な気持ちに陥っていました。自暴自棄になり、このポジティブなわたしが自殺まで考えたのですから、相当まいっていたのだと思います。もちろん、自殺などによって解決されるものでないことはよくよくわかっていましたが、まさに、ミュシャの『主の祈り』のような、光と救いと出口を求める日々でした。その頃わたしは『失楽園』のただ中にいたのです。ですから、この絵の世界はわたしには何か、生々しすぎます。ぞぞっと肌に触ってきます。フラッシュバックします」



この鎌田先生のレターを改めて読み返してみて、主の眼としての月は、地下鉄サリン事件酒鬼薔薇聖斗事件も、そして9・11同時多発テロも、すべてを見ていたのだということに気づきました。さらには、東日本大震災や台風12号も見ていたのでしょう。
天上の眼は、人災も天災も関係なく、人間界のすべての悲しみを見つめていたように思えてなりません。それは、明らかに神の視線でした。
ミュシャは「薔薇十字会」のメンバーだったそうです。メイヴ像やエリン像などに代表されるケルトの女神をたくさん描いていることでも知られます。
非常に秘教的な、宗教の根源に関わる「聖なるもの」を彼の絵には感じます。
「主の祈り」を見るたびに、魂が揺り動かされるような気がします。
またそれ以来、夜空の月を見ると、神に見つめられているような気がしてなりません。
「主の祈り」は現在、サンレー本社内の「ムーンギャラリー」に飾られています。


             ムーンギャラリー内に飾られる「主の祈り


2011年9月11日 一条真也