『悲しむ力』

一条真也です。

『悲しむ力』中下大樹著(朝日新聞出版)を読みました。
サブタイトルには、「2000人の死を見た僧侶が伝える30の言葉」とあります。
帯には「お釈迦様は、悲しんでばかりいた人でした」と赤で大書され、「ホスピス・震災・孤立死・自殺・・・それでも人生を肯定する希望の物語」と続きます。


             2000人の死を見た僧侶が伝える30の言葉


著者は1975年生まれ、大学院でターミナルケアを学び、真宗大谷派住職の資格を得たそうです。その後、新潟県長岡市にある仏教系ホスピス(緩和ケア病棟)にて末期がん患者数百人の看取りに従事しました。
退職後は東京で超宗派寺院ネットワーク「寺ネット・サンガ」を設立し、代表に就任。
現在は寺院や葬儀社、石材店、医療従事者、司法関係者、NPO関係者などと連携し、「駆け込み寺」としての役割を担っているとか。



本書の構成は、以下のようになっています。
「はじめに」
第一章  ホスピスにて
第二章  孤立の現場から
第三章  被災地にて
「おわりに」



「はじめに」で著者は、タイトルの「悲しむ力」について次のように述べます。
「仏教では、『悲しみ』の心をとても大切にしています。たとえば、『慈悲』という言葉は『いつくしみ』と『あわれみ』を組み合わせていますが、これは『悲しみ』から『慈しみ』が生まれるのだと私は解釈しています。悲しむ力は、確実に、私たちを強く、やさしくしてくれます。私はホスピスや在宅介護、自殺と貧困、孤立死の現場で500人以上の方を看取り、2000人以上の方の葬儀を行ってきました。そのなかで感じたのは、悲しみから目をそらさずに受け止めることができた方ほど、おだやかな気持ちになれる、安らかな最期を迎えられる、ということです。しかし今の日本は悲しみを避け、悲しい出来事を『なかったこと』にしようとしているような気がしてなりません。私は葬儀や看取りに関わる中で故人のご家族から、『あんな人とはもう関係ない』『遺骨は勝手に処分してくれ』という声を何度も聞きました。面倒なこと、つらいこと、悲しいことを切り捨てるたびに、人と人との縁も絶ち切られていってしまいます」



そして、著者は自分自身について次のように述べています。
「私自身も、いくつかの悲しみを抱えています。私は偉そうに仏の教えを説きながら、人の不幸で食べている人間です。葬儀や法事の導師を務めることでお布施を頂き、それで生活しています。そして僧侶という仕事には、何の生産性もありません。医師であれば患者さんの命を救うことができるし、農家であれば人々に食料を提供することができます。しかし、今の日本人の多くは宗教を必要としていません。自殺や貧困・孤立死対策の現場に出向いても、『なんだ坊主か』とがっかりされることが何度もありました。また、家族の問題にも関わっていますが、実は私自身が自分の家族との問題を解決できていません。しかし私は、それを自分の悲しみとして受け止めようと思います。悲しみを自覚することなしには、何も始まらないからです。自分の弱さと向き合っていくことからしか、救いは生まれないのです」
そして、「はじめに」の最後で、著者は「悲しむ」とは「見つめる」ことでもあると述べています。悲しみの力を借りることで、わたしたちは自分のやるべきことを知り、本当の意味で生きる力を得ることができるというのです。



第一章「ホスピスにて」では、冒頭が「死を前にした人たちが教えてくれたこと」となっています。ホスピスでの看取りの現場体験をふまえて、著者は述べます。
「まったく問題のないご家族というのはむしろ少数派で、半数以上の方はなんらかの手助けを必要としていました。患者さんが『家に帰りたい』と願っても、ご家族側の事情で帰宅が叶わないということはたくさんありました。
家族や親戚と絶縁状態にある患者さんも珍しくはありませんでした。患者さんの多くが、肉体的な苦痛や死の恐怖とともに、孤独にも苦しんでいたと思います。
こうした現実は、私にとって衝撃でした。私自身は、家庭の温かさを知らずに育ちました。母子家庭でしたが母親からやさしい言葉をかけてもらったこともありませんし、祖父の暴力におびえていました。しかし、そんな自分が例外なのであり、世の中にはいわゆる『温かい家庭』や『家族の絆』が当たり前に存在していると思っていたのです」


 
そのような家族の現実を現場体験から知った著者は、「悲しみと向き合う人ほど強くなれる」として、次のように述べます。
「私は、家族や親戚、友人などたくさんの方に囲まれて亡くなるのが幸せで、そうでなければ不幸だなどと言うつもりはありません。ご家族やご親戚と絶縁状態にあり、看取ってくれる人が病院のスタッフ以外にいなくても、おだやかな最期を迎えた患者さんはいます。そうした患者さんに共通していたのは、現実を見つめ、自分のなかにある悲しみを静かに、しかし正面から受け止めている、ということでした。反対に、悲しみから目を背けていると、他人を攻撃したり責め立てたりすることが止められません。そうした患者さんは、最期の最期まで苦しんでいたように見えました」



第二章の最後には「葬式はいらない?」というコラムがあります。そこで島田裕巳著『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)を取り上げて、著者は次のように述べます。
「しかし、私はやはり葬儀は必要だと思います。葬儀とは、故人に『さようなら』を伝え、あの世での成仏を願い、死について正面から考える大切な『悲しみの儀式』です。残された人々は葬儀を通して、徐々に死を受け入れていきます。こうした儀式をないがしろにすることは、故人への思いや悲しみの感情を軽視することにもつながります。
ただ、生前に考えることすら『縁起でもない』と言われてきた葬儀やお墓について、『元気なうちから準備しておかなければ』と前向きに捉える方が増えてきたことはよいことです。お金をかけなくても、十分に満足のいく葬儀はできます。しかし、それには家族間での話し合いはもちろん、専門家への相談も不可欠です。生きているうちによい葬儀とはどういうものかを考えることが、『死』や『悲しみ』を見つめ、今の生活を見直すことに繋がってくると思います」



また、続いて「悲しむ時間としての葬儀」では、次のように述べています。
「葬儀は死者のための儀式であると同時に、遺された方に悲しむ時間を提供し、死を受け入れていってもらうためのものでもあります。親しくしていた同僚がある日突然、置き手紙一つで会社を辞めてしまったら悲しくなるのと同じです。
生前、故人と親しくしていたにもかかわらず葬儀に参列できなかった方は、悲しむための大切な儀式を奪われてしまったことになります。それはせっかく生前築いてきた繋がりを、断ち切ってしまうようなものなのです」
わたしは『葬式は必要!』(双葉新書)という本を書きましたが、著者が主張する葬式必要論は至極当然な話であり、特別な感想などは抱きませんでした。
本書で一番読み応えがあったのは、第三章「被災地にて」です。
そこには、東日本大震災という未曾有の大災害における最悪の埋葬環境、葬儀環境がリアルに描かれていました。



「ママにしてくれて、ありがとう」では、赤ちゃんを失った母親の話が出てきます。
宮城県石巻市にいる友人が亡くなったという知らせを受けて、著者は震災発生から一週間後に現地に赴きました。石巻の遺体安置所には、これまで2000人もの死を見てきたという著者でさえ衝撃的な光景が待っていました。
何百という遺体が毛布やブルーシートにくるまれて体育館の床に並べられ、むき出しの足の裏が規則正しく入口の方向を向いていたそうです。それを「死」に対する感覚を麻痺させるには十分な光景であったとする著者は、次のように書いています。
「通常の葬儀では、お一人おひとりに対し、花を手向け、生前を偲び、お名前を読み上げ、死を悼み、弔います。しかし、ここではそのようなことは叶いません。『○月○日○時○分、○○で発見。焼死体。身長○○cm』という手書きの紙切れが毛布の上に貼り付けられており、身元がわかればまだ『運がいいほう』です。大切な方を亡くしたにもかかわらず、十分な弔いさえできない方々のお気持ちを思うと、胸が苦しくなりました」
そして震災発生から1ヵ月後、著者はまた同じ遺体安置所に赴きました。
著者が僧衣を身につけて読経していると、近くにいたある女性から、「すみませんが、亡くなった私の子どものためにもお経をあげてくれませんか」と話しかけられたそうです。
その女性に導かれ、子どもの遺体の前に行き、著者はお経をあげました。遺体は小さなブルーシートに包まれており、まだ胸で抱きかかえることのできるくらいの大きさでした。
いたたまれない気持ちになった著者がお経を読みはじめてしばらくすると、その場にいた誰もが一斉に手を合わせ、祈りを捧げたそうです。
読経が終わると、その女性は小さな遺体に向かって涙を流しながら語りかけました。
「ほら、お坊さんがお経をあげてくれたよ。ちゃんと安らかに眠ってね。ママにしてくれてありがとう。短い時間だったけど、ママは幸せだったよ」
著者は、次のように述べています。
「我が子を喪った悲しみは、この先も完全には消えることはないでしょう。日常のふとした瞬間、この女性を襲い、苦しめるかもしれません。悲しみとは、そういうものです。しかし、祈りの儀式を通じて悲しみを見つめ、受け入れようとすることが、これからを生きる力に繋がっていくのではないかと思います」



「また会おう」では、友人の遺体と対面した警察官が登場します。
3月末、著者が遺体を納棺しているとき、被災地の遺体安置所にやっと柩が届きました。そのとき手伝っていた1人の警察官が、合掌して深々とご遺体に頭を下げたそうです。そして、その後に毅然とした態度で「また会おうな」とやさしく遺体に呼びかけ、柩の蓋を閉めたといいます。その言葉を聞いた著者は、涙が出たそうです。
死という別れの場面において、「さよなら」ではなく「また会おう」という言葉を口にした警察官の姿に感動したのです。その警察官は、死は終わりではなく、旅立ちなのだということを改めて著者に教えてくれました。「人は死ぬ。死があるからこそ、今、この瞬間を生きていくことができるのです」と悟った著者は、次のように述べています。
「私たちは日々『また会いましょう』と口にしていますが、それらの多くは仕事の用事やご近所づきあい、社交辞令だったりします。そうした世俗の事情を超え、純粋な魂の関係として『また会おう』と言える人が何人いるでしょうか。そうした関係を、これからどれだけ作ることができるでしょうか」
わたしには『また会えるから』(現代書林)という著書があります。
わたしは、死者とは必ず再会できると信じています。



また、「お疲れさま。やっと楽になれたね」には、同じ痛みを抱いて祈りを捧げた人が登場します。宮城県内で瓦礫の撤去を行っていたとき、中から遺体が出てきました。
遺体を確認するや、その場で誰もが自然に手を合わせ、故人に祈りを捧げたそうです。
その後、瓦礫の中から掘り出された遺体は、丁重に毛布でくるまれました。
無言で作業を進む中、誰かがぼそっと、「今までお疲れさま。やっと楽になれたね」とつぶやいたそうです。その声をたまたま聞いた著者は、次のように述べます。
「死を悼むとは、こういうことなのだと思います。津波にのまれ、3週間もの間、瓦礫の中に埋もれていた名前も知らないご遺体に対し、その場にいた誰もが同じように心を痛め、悲しむ。亡くなられた方の苦しみを思うと、私も胸が痛くなります。しかし、皆が同じ悲しみを抱いて祈りを捧げたとき、私は『1人じゃない』と感じることができたのです。
その後、自衛隊の車でご遺体は安置所に運ばれていきました。私たちは全員、自衛隊の車が見えなくなるまで手を合わせ、祈りを捧げました。
翌朝、同じ場所を訪れると、すでに一輪のお花が手向けられていました。瓦礫の中に光明を見いだしたように感じました」



昨年、「葬式は、要らない」とともに「無縁社会」という言葉が流行しました。これまで繰り返し書いているように、わたしは「無縁社会」というのは妄言だと思っています。
そもそも「無縁社会」という言葉は日本語としておかしいのです。
なぜなら、「社会」とは「関係性のある人々のネットワーク」という意味だからです。ひいては、「縁ある衆生の集まり」という意味だからです。
「社会」というのは、最初から「有縁」なのです。ですから、「無縁」と「社会」はある意味で反意語ともなり、「無縁社会」というのは表現矛盾なのです。
無縁社会」という言葉が流行語になったとき、多くのマスコミから取材を受けたという著者は、本書の第三章「被災地にて」で次のように述べています。
「2010年にホスピスを退職してからの私は、家族・地域・会社といった繋がりが希薄になる中で起きるさまざまな悲劇を目の当たりにしてきたからです。
しかし、被災地で聞いたのは『家族の○○が・・・・・・』『近所の○○さんが・・・・・・』という言葉ばかりでした。誰もが誰かを、思いやっていました。
『娑婆』とは、悲しみの世界という意味でも使われます。しかし、世知辛い世の中にあっても『人の悲しみを自分の悲しみのように感じる力』を忘れていない方がいる。それは私を『人間って、捨てたものじゃないな』という思いにさせてくれました」



本書の「おわりに」でも、著者は「無縁社会」に対する反論を次のように述べます。
「そもそも、私たちは縁がなければ、この世に生まれて来ることはできません。父親と母親がいて、はじめて私がいる。生まれてくるだけで、必ず誰かとの縁がある。そして社会で生きていく中では、それ以上の縁が必要です。縁がないわけではなく、うまく機能しなくなっている。もしくは、縁の形やあり方が大きく変化しつつある」
また、次のようにも述べています。
「私たちは日々、仕事や生活に追われています。少し気を緩めれば、誰かに追い抜かれてしまうかもしれない。一度追い抜かれたら、そのまま脱落してしまうかもしれない。仕事だけでなく、生活そのものを失ってしまうかもしれない。そんなプレッシャーを感じながら、厳しい競争にさらされています。だからこそ私たちは、悲しみをできるだけ見ないようにやり過ごしています。誰かの悲しみを自分のことのように悲しんだり、自分の中にある悲しみを見つめたりすることは、時間の損失にしかならないからです。そうする中で私たちは、『縁』を磨いたり、つないだり、育んだりする方法を、忘れてしまったのではないでしょうか」
このへんのくだりは、ブログ『もう、ひとりにさせない』で紹介した牧師である奥田知志氏の考えにも通じているように思いました。奥田氏もまた「無縁社会」を乗り越えて人間の絆づくりに尽力されている1人です。仏教者とキリスト者の違いはあれど、「絆」を大切にすることは宗教者共通の使命なのでしょう。



最後に、「おわりに」には、次のようなエピソードが綴られています。
「先日、被災地で私が弔いをさせていただいた小学生の男の子のお母さんから、お手紙が届きました。最愛の息子さんを亡くし、つらい日々が続いているようでしたが、最後には力強い字で、『中下さん、息子の死を忘れないでね。息子の分まで、あなたが精いっぱい生きてあげて。そして人の痛みのわかる人になってくださいね。いのちを粗末にしないでくださいね』そう書かれていました。
このお母さんは火葬場で柩の蓋が閉められたとき、『もう一度蓋を開けて!』と言って柩にすがりつき、『起きなさい!学校に行く時間でしょう!』と冷たくなった息子さんに向かって泣き叫んだのでした。あまりの痛ましさに私たちは、ただその姿を見守ることしかできませんでした。そこまで激しい悲しみをぶつけた方が、このような『願い』を込めた手紙をくださったことを、とてもうれしく思いました」
わたしは、これを読んだとき、非常に感動しました。
小さなお子さんを亡くした方の悲しみは、わたしもよく知っています。
その悲しみの大きさと深さがよく伝わってくるエピソードでした。
本書には、他にも具体的な死や葬儀のエピソードがたくさん出てきます。わたしの編著である『最期のセレモニー』(PHP)の内容とも共通点が多いように感じました。


              メモリアル・スタッフが見た、感動の実話集


2011年9月20日 一条真也