自分の葬儀

一条真也です。

今朝の「西日本新聞」に、わたしのコメントが写真入りで出ています。
「路地裏オトナ倶楽部〜講師から」というコーナーの第1回目です。
ブログ「西日本新聞講演」の講師を務めた関係で、今回の取材を受けました。


                 「西日本新聞」10月1日朝刊


「自分の葬儀思い描いて」というテーマで、以下のような内容でした。
「『死』は不幸ではありません。高齢者の中には『死ぬのが怖い』という人がいるが、死への不安を抱えて生きることこそ一番の不幸です。不安を解消するには、自分自身の理想の葬儀をいま具体的に思い描くことが大切なのです。
親戚や友人のうち誰が参列してくれるのか。そのとき参列者は自分のことをどう語るのか。理想の葬儀を思い描けば、いま生きているときにすべきことが分かります。参列してほしい人とは日ごろから連絡を取り合い、付き合いのある人には感謝することです。
生まれれば死ぬのが人生です。死は人生の総決算。葬儀の想像とは、死を直視して覚悟することです。覚悟してしまえば、生きている実感がわき、心も豊かになります」



コメントの内容は、わたしがいつも話しているものです。
同新聞社の後藤支局長がよくまとめて下さいました。
ちょっとだけ、補足説明させていただきます。
自分の葬儀を具体的にイメージするとは、どういうことか?
それは、あなたがこれからの人生を幸せに生きていくための魔法です。
ぜひ、自分の葬義をイメージしてみて下さい。
そこで、友人や会社の上司や同僚が弔辞を読む場面を想像するのです。
そして、その弔辞の内容を具体的に想像するのです。そこには、あなたがどのように世のため人のために生きてきたかが克明に述べられているはずです。



葬儀に参列してくれる人々の顔ぶれも想像して下さい。そして、みんなが「惜しい人を亡くした」と心から悲しんでくれて、配偶者からは「最高の連れ合いだった。あの世でも夫婦になりたい」といわれ、子どもたちからは「心から尊敬していました」といわれる。 
どうですか、自分の葬儀の場面というのは、「このような人生を歩みたい」というイメージを凝縮して視覚化したものなのです。そのイメージを現実のものにするには、あなたは残りの人生を、そのイメージ通りに生きざるをえないのです。
これは、まさに「死」から「生」へのフィードバックではないでしょうか!
よく言われる「死を見つめてこそ生が輝く」とは、そういうことだと思います。
「路地裏オトナ倶楽部〜講師から」には、今後も何度か登場する予定です。


2011年10月1日 一条真也