スティーブ・ジョブズの志

一条真也です。

岐阜から名古屋を経て、小倉に帰ってきました。
新幹線のぞみ車内の電光掲示板ニュースで知ったのですが、米アップルの前CEOのスティーブ・ジョブズ会長が5日に死去したそうです。
前日の4日に、同社はスマートフォン(多機能携帯電話)の新機種「iPhone(アイフォン)4S」の発売をセンセーショナルに行ったばかりなので、大変驚きました。
ジョブズ氏の死因は「がん」でしたが、まだ56歳の若さでした。


                  亡くなったスティーブ・ジョブズ


iPhone4Sは、現行機種の外観を維持する一方で、データ処理速度が最大7倍に向上し、高精細の動画撮影が可能になりました。
また、肉声を使ってきめ細かく操作できるという新機能が衝撃的でした。
昨日の日本のテレビのニュース番組は、iPhone4Sの話題一色でしたね。
その矢先のスティーブ・ジョブズ急逝の報でした。ちょうど、カーマイン・ガロのベストセラーである『スティーブ・ジョブズ 驚異のプレゼン』、『スティーブ・ジョブズ 驚異のイノベーション』(ともに日経BP社)を読んでいたところでもあり、本当に驚きました。


アップル社のティム・クック最高経営責任者(CEO)は、ジョブズ会長会長の遺志を継ぎ、「彼が愛してやまなかった仕事に全霊を傾け続けよう」と、従業員に呼び掛けたそうです。また、クックCEOは「アップルは先見の明のある革新的リーダーを失い、世界は驚嘆すべき人間を失った」とした上で、「スティーブを失った悲しみや、ともに働けたことへの感謝は言葉では尽くせない」と、哀悼の意を示したといいます。
さらには、アップル取締役会も「才気と情熱、行動力で無数の革新技術をもたらし、すべての人々の暮らしを豊かにした」とジョブズ氏の功績をたたえる声明を発表しました。


わたしは、『孔子とドラッカー 新装版』(三五館)の「孝」の項に、企業というのは人が死なないために作られたのではないかと書きました。
ドラッカーには『企業とは何か』(上田惇生訳、ダイヤモンド社)という初期の名著がありますが、「企業」という概念は、孔子が説いた「孝」の概念、すなわち「生命の連続」に通じます。世界中のエクセレント・カンパニー、ビジョナリー・カンパニー、そしてミッショナリー・カンパニーというものには、いずれも創業者の精神が生きています。
エディソンや豊田佐吉やマリオットやデイズニーやウォルマートの身体はこの世から消滅しても、志や経営理念という彼らの心は会社のなかに綿々と生き続けているのです。
重要なことは、会社とは血液で継承するものではないということです。
思想で継承すべきものです。創業者の精神や考え方をよく学んで理解すれば、血のつながりなどなくても後継者になりうるのです。むしろ創業者の思想を身にしみて理解し、指導者としての能力を持った人間が後継となったとき、その会社も関係者も最も良い状況を迎えられるのだと思います。
逆に言えば、超一流企業とは創業者の思想をいまも培養して保存に成功しているからこそ、繁栄し続け、名声を得ているのではないでしょうか。
「企業」とは、人間が本当の意味で死なないために、その心を残す器として発明されたものではなかったかと思えてなりません。
そして、イノベーションによってすべての人々の暮らしを豊かにしたいというジョブズ氏の志はアップルという器に保存されていると思います。



スティーブ・ジョブズの肉体は滅んでも、彼の志は不滅です。
ちなみに、56歳で亡くなった人物には、ダンテ、リンカーンニーチェドビュッシーマックス・ウェーバーヒトラーなどがいます。いずれも善悪は別にして人類史を彩る錚々たる顔ぶれといえますが、スティーブ・ジョブズもけっして負けてはいません。
デジタルに疎いわたしは、スマートフォンが苦手でしたが、これで決心がつきました。
偉大なカリスマ創業者が人生を卒業したことを記念して、いま使っているドコモをアイフォンに替えることにします。ジョブス氏の御冥福を慎んでお祈りいたします。合掌。


                 創業者の志は企業で生き続ける
                

2011年10月6日 一条真也