『人に向かわず天に向かえ』

一条真也です。

ブログ開始以来、ここまで600日間継続中だそうです。
さて、『人に向かわず天に向かえ』篠浦伸禎著(小学館101新書)を読みました。
タイトルだけを見ると何についての本だかわかりませんが、「脳外科最前線の臨床でわかった『人間学』の効用」というサブタイトルで内容が推測できます。


           脳外科最前線の臨床でわかった「人間学」の効用


帯には、「脳外科、脳科学、人間学を融合させた新しい医療を切り開きつつあるベテラン脳外科医の最先端臨床レポート」というコピーの後に、「『人に向かわず天に向かえ』という『人間学』の教えは、究極の『脳トレ』である。」と書かれています。
東京都立駒込病院の脳外科医長である著者が1冊の「人間学」の本を神経疾患(うつ、自律神経失調)の患者に手渡したところ、薬よりも効果が認められたといいます。
「それは、なぜなのか?」を追求したのが本書です。そこから、「人間学」の教えを実践することは究極の「脳トレ」であるという驚くべき結論が導かれていきます。
ちなみに本書のタイトルは、「人を相手にせず天を相手にせよ。天を相手にして、己をつくし、人を咎めず、わが誠の足らざるを尋ぬべし」という西郷隆盛の言葉に由来します。



本書の「目次」は、次のようになっています。
「はじめに」
第一章:右脳が弱ると、自律神経失調・うつになる
第二章:「動物脳」が暴走する現代
第三章:人間が人間であるための脳「大脳新皮質
第四章:人間学はなぜ、脳に効くのか
第五章:脳をより高度に使うには
第六章:ストレスに負けない脳の使い方
第七章:脳の使い方は自分で決められる
第八章:「志」を持てば脳が成長する
第九章:「死」に向かう動物脳、「生」に向かう人間脳
第十章:6種類の脳の使い方に見る人間の生き方
第十一章:永遠に生きる脳の使い方
「あとがき」



「はじめに」の冒頭で、現代がストレス社会であり、人間関係や仕事上のストレスは思った以上に人間の心と体に大きな影響を与えているとして、著者は述べます。
「このような、ストレスにより蝕まれてしまった人間の心と体に対して、私たち医師ができることは限られています。心身に不調を訴える患者さんに対して行われる、もっとも一般的な治療は、抗うつ剤精神安定剤を処方し、つらい症状を緩和することです」
投薬そのものはあくまで対症療法です。つまり、根本的かつ持続的な解決方法ではありません。著者のような医師たちは、治療と並行して患者の話し相手になったり、音楽や運動などを提案するなど、少しでもストレスを緩和し、リラックスできる方法を試みてきました。しかし、それで一過性の回復は見られることはあっても、根本的な解決には至らないのが現状でした。



そんな試行錯誤の中、著者が患者の回復に対して一番手応えを感じたのは、医学書に書いてある薬や音楽や運動など、これまで試されてきたどんな方法とも違うものだったそうです。著者は、その方法について次のように述べます。
「それは、私が個人的に愛読していた『人間学』に関する本(神渡良平著『安岡正篤 人間学』)をお渡しした多くのケースだったのです。『人間学』とは、端的に言えば、人間が平和に安心して生きていくために、自分の能力をどう生かしていけばよいかを示した学問です。私が初めて人間学の本を手にとったのは、ストレスで脳の機能に変調をきたした患者さんに、的確な治療指針が出せずに悩んでいたときのことでした。偶然手にとった書物でしたが、『安心立命』『人に向かわず天に向かえ』など、実在の人物たちが述べた人間の生き方に対する簡潔明瞭な言葉を何度も読み返していくうちに、これらの言葉を知ってそれを実行していくことこそが、患者さんに対してどんな医学書や脳科学よりも有効なのではないかと感じるようになりました」


 
「人間学」は、明治維新の時代や戦前の日本で人々の生き方の重要な指針となっていました。それらの時代は、今以上に生死に関わるストレスが多かった時代でした。
著者は、人間学とは、ストレスにどのように人間として対応して生きるかということを教える学問だったといいます。現代社会は、直接に命に関わるようなストレスは減ったものの、多くの人々が精神的かつ肉体的に重度のストレスを抱えています。
外来で患者に「人間学」の本を渡したことが元気になるきっかけを作ったように思えるのは、ストレスに対する上手な心の持ち方、すなわち「脳の使い方」のヒントをそこから得たのではないかとして、著者は述べます。
「この本では『人間学』の教える『公の精神』をヒントに、脳神経外科医としての私の経験と考察を生かして、人間の新しい脳の使い方を読み解いていきたいと考えています。脳という、ひとりの人間の人格を司るきわめて私的な器官と、公の精神という人の生き方を解いた人間学を組み合わせることは、人間の心の進化を実現するための大きな指針になると考えています。また、今よりもずっと生きていくことが困難だった時代に人を支えた『人間学』には、ストレスの多い社会で生きる多くの現代人にとっても有効な『生きるヒント』が伝えられているはずです」



本書の一章から三章までは、脳医学の専門的な話が続きます。
ここは、一般の読者にはけっこう読むのが大変だと思います。
ようやく、第四章になって、「人間学」の話題が出てきて安堵しました。
著者は、ストレス社会に生きる現代日本人について次のように述べます。
「人間を困難な状況から救うのは、知識ではありません。それは、感動であったり、人を思う心であったりするわけですが、医学という科学を基本にした学問には、そのような経験から派生した重要なことには触れられていません。ストレスにより弱まってしまった人間の心や体に対して、我々臨床医は、薬や従来の医学的な手法だけでは、決して問題の根本的な解決にならないことをうすうす感じています。つまり、ストレスを感じる仕事や家庭で、その人地震がどのように問題と正面から取り組み、それを解決するか、つまり、どんなストレスでも乗り越えることができる心を持つかどうかが大きな鍵になります。結局は、その人自身の生き方に行き着くのではないでしょうか。
今よりもずっと生きることが困難だった時代に培われた人間学には、様々なストレスに対処して脳のバランスを保つ生き方のヒントがあるのではないかと私は考えています。人間学の伝える「公」の精神や愛、特に弱いものに対する惻隠の情や義侠心という言葉で表現されるような考え方は、弱った心に不思議と活力を注いでくれるのです。これは、左脳が偏って使われる時代にあって、右脳を温かく刺激する力となり、結果的に脳全体をバランスよく活用させ、人間を人間らしく動かす強い力になるのではないかと考えています」


 
著者は、ここで認知症のひとつのタイプであるアルツハイマー病の初期は、頭頂部や後部に近い帯状回から血流が低下していくことが知られているという実例をあげます。
それは頭頂葉後頭葉から様々な情報を受け取る帯状回の血流を落とし、情報を遮断して内側に閉じこもってしまうせいではないかと推測し、著者は述べます。
「『憎まれっ子世にはばかる』と言いますが、世の中にいつまでも元気で生き残るような人は、認知症とは縁がないとも言えそうです。アルツハイマー病において帯状回後部の血流が落ちるということは、人に気を使い『いい人』でありつづけることに疲れた人が、様々な情報を入れる受動的な脳を、使いたくなくなってしまった。つまり外の世界から情報を自発的に得ることから逃げようとしている、ということが言えるのかもしれません。
一方で『他発的』に作用する能動性もあります。たとえば、日本という国が何か大きな変革を起こすときは、常に外圧つまり他発的なきっかけで能動的に動くという特徴があります。明治維新も黒船から始まり、大東亜戦争英米の外圧でジリ貧になるという焦燥感から始まったところがあります」



第六章「ストレスに負けない脳の使い方」の冒頭で、著者は「人間学」をストレスをチャンスに変えるものとして位置づけ、次のように述べます。
「ストレスは、その重圧により人間をだめにすることもあれば、その重圧を押しのけることにより、その人間を大きくすることもあります。戦争は人を不幸にする最たるものですが、その大きなストレスの中で思いもよらない人間愛が生まれることもあります。ストレスに打ち勝つために脳を必死で働かせることにより、平常時では得られないような『生きる』実感を味わうこともあるからです。『人間学』とはいわば人生のストレスにうまく対処してよりよく生きるための学問とも言えるでしょう。逆に言えば、ストレスこそ、『私』の動物脳に引きずられがちな人間が、『公』の人間脳を使う生き方を取り戻すための大きなチャンスにもなるのです」
動物脳が「私」に関わるものであり、人間脳が「公」に関わるものであるという説明は非常に説得力がありますね。



どうやら著者は、「人間学」を学んで人間脳を活性化させたほうが人はストレスを抱えなくてすむのだと主張しているようです。
たしかに動物脳が活発になって「私」のことばかり考えていると、私欲には限りがありませんから大きなストレスを抱えることになります。
著者によれば、動物脳は左脳、人間脳は右脳に対応します。
もちろん左脳ばかりでは困りますが、右脳ばかり発達しても生存していく上では困難です。あくまでも、右脳と左脳のバランスをとることが理想なのです。
戦前の日本においては、右脳を活性化させる教育システムがありました。
すなわち、『論語』などの人間学、つまり人間関係や人間の生き方を問う学問が教育の基本となっていたのです。この事実について、著者は次のように述べます。
「特に、これらの学問は、世の中で何かを成し遂げようとする人にとっての規範となっており、渋沢栄一湯川秀樹ら、かつて多くの傑出した人物たちが一様に論語に触れていたというのは周知の事実です。彼らは『論語』から学んだ精神を持って、それぞれの時代の困難な中を切り抜けて世の中を作り上げてきました。戦争の苦労を体験し、戦後の復興の中軸となって世の中を作っていった人々は、まさにそういう教育を受けてきた世代です。今は世界的な不況で、それらの人たちが作り上げた一流企業も厳しい洗礼を受けていますが、創業時の厳しい状況に立ち返って原点から出発することができれば、再び勢いを取り戻すことができるはずです」


 
さらに、左脳としての動物脳、右脳としての人間脳について、著者は述べます。
「動物脳と人間脳は、ひとことで言うと死に向かう脳と、生きる方向に向かう脳と言ってもいいと思います。動物脳は、自分より強敵が現れると機能を落とす方向に向かうことは前述しました。若くて強いもののみが生き残ることは、えさが限られている動物の集団が生き残るための知恵であり、自分より強い敵で機能が落ちることにより、集団が生き延びるのに足手まといの動物が淘汰され、死んでいくわけです。もちろん、若くて強いものも、年を経ると弱くなるわけであり、動物の脳は容易に死に向かいやすい脳と言えるでしょう」


 
著者によれば、人間脳を主体で使うか動物脳を主体で使うかで、その人の人生には大きな違いが出てくるといいます。いくら才能があっても、若い頃から自殺願望があったとされる作家の太宰治のように、もともと脳が死ぬ方向にプログラムされていると、そこから逃れられません。著者は、次のように述べています。
「これほどまでに強烈なパワーを持つ、動物脳の支配から逃れるには、左右の人間脳をバランスよく使いながら、動物脳をうまくコントロールする必要があります。けれどもそれは決して容易なことではありません。人たるものそのように生きよと、2000年以上前の論語や聖書の時代からいわれつづけていることなのに、世の中の多くの人々が未だにそれを実現できていないのを見れば明らかです。残念ながら、人間はなかなかそうした「人間的な脳」の使い方ができないような傾向を持っているのです。それを論語では「小人」と呼び、聖書では「肉(サルクス――信仰でも変えられない欲望)」と呼んでいます。そしてこれが、左脳的理性を中心とした科学技術の進歩に比して、右脳的な人間の感性である心が進歩しない大きな原因なのでしょう」



著者によれば、動物的な脳の使い方だけでも、技術は進歩するといいます。
権力や金銭欲などの欲望が戦争を引き起こし、急激な技術進歩につながることはよくあるとして、著者は次のように続けます。
「動物脳が『悪い』と言いたいわけではありません。動物脳の生命力に満ちた活気のあるパワーは、特に若い時代には非常に大きな行動の原動力になります。そのパワーをどこで、どのように使うか、ということをコントロールするのが人間の脳なのです。また、動物の脳は、食べることや自分の身を守ることなど、人間が生きていくための大切な行動を司る脳です」
さらに、著者は「死」という大問題を持ち出して、次のように述べます。
「動物脳を刺激し、不安と恐怖に陥れる一番大きな原因は、『死への恐怖』です。『人間脳』を意識して使うことで、人間は短絡的な『死への恐怖』から逃れ、未来を信じて生きることができるのではないか。私はそのように考えています」
このあたりは、拙著『法則の法則』(三五館)の内容にも通じる世界です。
同書で、わたしは「私」から「公」へと意識をシフトすることの重要性を説き、究極の成功法則として「志を立てること」を打ち出しました。


                    「私」から「公」への法則


本書を読んで、「私」ではなく「公」の視点を持つことが人間の幸福や成功につながっていくことの理由が明らかになりました。著者は、「公」について次のように述べます。
「『公』の視点を持つことは、それは、自分だけではなく、相手や世の中にとってはこの行動はどうなのかということを、常に意識することでもあります。当然、自分本位の考え方よりも、広くいろいろな部分の脳を使うことになります。それは結果的に、バランスのよい脳の使い方を実践することにもつながるのです」



そして、最終章である第十一章「永遠に生きる脳の使い方」で、著者は次のようにストレスの本質を解き明かしてくれます。
「人間は、どんな平時でもストレスはあります。ストレスがたまると、左右の脳が弱まり、動物脳が暴走します。そのことを自覚していれば、『ストレスだ』と感じたときに、逆に意識してそれをコントロールするためのよいきっかけになります。ストレスを受けると『動物脳』は動揺し、逃げ出したくなったり、爆発したりします。そんなときに冷静に、『私』の脳である『動物脳』を突き放し、できるだけ意識を『公』、広い視点で意識して見つめ直すことが、『私』の執着をときほぐしてくれます。



本書は、脳外科の臨床医が、私心にとらわれることなく「公」を考えることが脳に新しい回路を開き、「志」を持つことがストレスを乗り越える脳を作ると訴える画期的な本です。
ただし、第一章から第三章までが専門的すぎるのと、逆に第十章「6種類の脳の使い方に見る人間の生き方」の内容が俗すぎます。
第十章は、おそらく編集者のアイデアだと推察しますが、なんだか性格テストというか、かつてのテレビ番組「それいけ! ココロジー」みたいでチープな印象を受けました。
せっかく画期的な仮説を唱えた素晴らしい本なのですから、これは余計な章でした。
まことに失礼ながら正直な感想を言わせていただくと、本書から第一章〜第三章、それに第十章の合計四章をカットしてスリム化すれば、すごい名著になったと思います。


2011年10月7日 一条真也