『いま、なぜ「武士道」か』

一条真也です。

『いま、なぜ「武士道」か』岬龍一郎著(致知出版社)を再読しました。
ブログ「マナー世界一」にも書いたように、東日本大震災後、日本人のモラルの高さが世界的にも評価を受けました。しかしながら、本書が書かれた2000年(平成12年)には、日本人の倫理観の退廃が叫ばれていました。


                  美しき日本人の精神(こころ)


今から10年前、「美しい国・日本」が叫ばれていました。
かつての日本は、たしかに美しい国でした。
しかし今(2000年)の日本人は美しいどころか醜く下品になり、日本人の美徳であった「礼節」を置き去りし、人間の尊厳や栄辱の何たるかも忘れてしまっている、と著者は言います。西洋の「罪の文化」と比較して日本は「恥の文化」といわれたものだが、その廉恥心さえも失ってしまったというのです。



なぜ、こんな国になってしまったのか。
著者は、健全な社会をつくり、美しい自己を確立するために、「かくあるべし」とする意思の力が最も必要とされると述べます。
その行動を裏づける倫理的な信念であり、意志とは「やる気」のことです。
どれほど他の条件がそろっていようと、この「やる気」がなければ何事も実現しません。
そして、その意志力を「自律心」という徳に高め、「かくあるべし」という気概の精神をもって行動の美学とした精神こそ、武士道でした。
日本人たる精神のバックボーンが武士道だったのです。



「かつて日本は美しい国といわれてきた」
「かつて日本人は礼儀正しい民族といわれてきた」
何にでも「かつて」という冠がつきます。
その「かつて」を「いまも」の現在形に変えるためにも、日本人の文化遺産ともいえる武士道の精神をいま一度、再確認してほしいと著者は訴えます。
「明治武士道」を確立した新渡戸稲造の名著『武士道』をベースに、著者が新たに示す「平成武士道」のススメが本書です。


本書が刊行されてから3年後、ハリウッド映画「ラストサムライ」が公開されました。
そのとき、映画の大ヒットにより世界に武士道ブームが巻き起こりました。
ブログ「サムライの涙」のように、サッカー日本代表は「サムライ」と呼ばれました。
日本人にとって、「サムライ」という言葉がそれだけで終わらないことを信じます。


2011年11月7日 一条真也