「はひふへほ」の法則

一条真也です。
「はひふへほ」の法則を知っていますか?
ブログ「サンレー北九州賀詞交歓会」にも書きましたが、わが社の佐久間進会長が今年から唱えている法則です。賀詞交歓会は会長の「喜寿の祝い」も兼ねていたのですが、その冒頭の挨拶で初めて披露されました。


「はひふへほ」の法則とは?



佐久間会長は、東日本大震災後を生きる日本人が幸せになるための「はひふへほ」の法則について語りました。それは、以下の通りです。
「は」・・・・・半分でいい
「ひ」・・・・・人並みでいい
「ふ」・・・・・普通でいい
「へ」・・・・・平凡でいい
「ほ」・・・・・程々でいい



それを祝賀会の会場で聴いていた「バク転神道ソングライター」こと鎌田東二先生が大変感心されていました。その後の挨拶で、鎌田先生は「折口信夫が理論国学者だとしたら、佐久間会長は応用国学者だと思います。先程の『はひふへほ』の法則といい、わかりやすい説明と実践には感服しております」と述べられ、それから祝いの法螺貝を吹いて下さいました。後日、わたし宛のメールでも、「『はひふへほ』の法則は、本当に大したものだと思います」と書いて下さいました。
その後、上京して出版関係者などに「はひふへほ」の法則について話す機会があったのですが、みなさん非常に興味を持って下さいました。
出版寅さん」こと内海準二さんなど、「ベストセラーが作れる!」と叫んでいました。
内海さんによれば、西洋人は「はひふへほ」が発音できないそうです。
欧米の人々には子音の「h」がなかなか発音できないというのですが、なんだか「はひふへほ」は日本というか東洋の精神文化そのものとも関わっていそうですね。
また、ブログ「浄土真宗講演会」で書いた住職の方々との飲み会でお話したら、これまた大いに受けました。ぜひ法話で使いたいという方もおられました。
考えてみれば、「はひふへほ」の法則とは「足るを知る」ということです。
ということは、ブッダの考え方と同じだと言えるかもしれません。



わたし自身も、「はひふへほ」の法則には大いに感心しました。
そして、「これは本当に佐久間会長が考え出したのだろうか?」と思いました。
会長のオリジナルだといって広めたものの、じつは他人が先に言っていたとなると少々まずいからです。そこで、「はひふへほ」の法則をネットで検索してみました。
すると、主に3つの「はひふへほ」の法則が存在することがわかりました。
1つめは、人を小馬鹿にするための「はひふへほ」の法則です。
人が何かおかしなことを言ったとき、「はあ?」「ひぃ〜」「ふ〜ん」「へぇ〜」「ほぉ〜」と言って、相手をカリカリさせるのだそうです。ふ〜ん、なんかネガティブですな。



2つめは、パブリシティのための、すなわち新聞・雑誌・TVなどのメディアに記事として取り上げられるための条件としての「はひふへほ」の法則です。
ユダヤ人大富豪の教え』の著者である本田健氏なども唱えています。
それによれば、記事・ニュースを受け取る側は以下のことを求めているとか。
「は」・・・・・はっと驚くこと
「ひ」・・・・・ひ〜っと叫ぶほど悲惨なこと
「ふ」・・・・・ふふふと笑いたくなること
「へ」・・・・・へえ〜っと感心すること
「ほ」・・・・・ほっと暖かい気持ちになること



3つめは、相槌のための「はひふへほ」の法則です。
相槌とは、もともと2人の鍛冶職人が、槌で熱鉄を交互に打ち合うことだそうです。
転じて、「相手の話に頷いて、巧みに調子を合わせ、受け答える」の意味になりました。
相槌は「頷く」と「答える」という2つのアクションから成り立っています。
コクリコクリと首を縦に振るだけでいいので、頷くのは簡単です。
これに以下の「答える」行為を加えるといいというのです。
「は」・・・・・「ははあ」と納得する
「ひ」・・・・・「ひひひ」と笑う
「ふ」・・・・・「ふーん」と聞き流す
「へ」・・・・・「へーえ」と驚く
「ほ」・・・・・「ほほう」と感心する



ネットで調べると、どうやら佐久間会長の「はひふへほ」の法則はオリジナルのようです。会長に「何かを参考にしたのですか?」と尋ねると、「ヒントはあったと思うが、最後は自分で考えてまとめた」と言っていました。
やっぱり、会長は応用国学者でした。鎌田先生が言われるように、大したものです!
わたしは、応用国学とは「心学」にも通じると思いました。
かの石田梅岩は、江戸時代に神道や仏教や儒教の教えを「心学」として庶民にわかりやすく説きました。それは、まさに応用国学であり、応用仏教であり、応用儒教だったのではないでしょうか。そう、心学というものは「何でもあり」なのです。


幸福への入口は「はひふへほ」にあり!



心学といえば、小林正観氏が「心学研究家」を名乗っておられました。
ベストセラー『「そ・わ・か」の法則』(サンマーク出版)の著者ですね。
小林氏は、すべての悩みは「そ・わ・か」で解決できると説きます。
まず、悩みや苦しみというものをよく見てみると、大きく3つのジャンルに分かれるそうです。1番目はお金と仕事の問題。2番目が体と健康のこと。3番目が人間関係。
この3つを解決するものが、以下の「そ・わ・か」です。
「そ=そうじ」・・・・・お金が入る「トイレ掃除」の不思議
「わ=わらい」・・・・・心身を健康にする「笑い」のパワー
「か=かんしゃ」・・・・・悩みが消える「ありがとう」の魔法



そういえば、「般若心経」やいろいろなお経を見ると、一番最後が「薩婆訶(そわか)」で締めくくられているものがたくさんあります。
小林氏は、「般若心経」の最大のメッセージとは、「苦」とは「思いどおりにならぬこと」であり、それを受け容れることが楽になることだったとしています。
ブッダはこの世の悩み・苦しみの根源は「思いどおりにならないこと」と見抜いていた。だから、ブッダは「思いどおりにしようとしないで、受け容れよ」といったのであり、その最高の形は「ありがとう」と感謝することだったというのです。
小林氏はいいます。思いが強ければ強いほど、つまり「これをどうしても実現したい」「これをどうしても手に入れたい」「どうしても思いどおりにしたい」と思う心が強ければ強いほど、実は「いま自分が置かれている状況が気に入らない」ということである。ということは、その状況を用意している宇宙や神に対して「あんた方のやっていることが気に入らないんだ」と宣戦布告しているようなものだというのです。
小林氏は、著書『釈迦の教えは「感謝」だった』(風雲舎)で次のように述べます。
「思いどおりにしよう、思いどおりにしたいと思えば思うだけ、逆に、『感謝』というところからは遠いところにいる。これが宇宙の法則であり、宇宙の真実です。」
「宇宙を味方にする最良の方法とは、ありとあらゆることに不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言わないこと。否定的、批判的な考え方でものをとらえないこと。これに尽きるのです。」



これは、いわゆる「引き寄せの法則」に対する強烈なアンチテーゼではないでしょうか。たしかに考えてみれば、「思いは実現する」「強い願いは、対象を引き寄せる」のであれば、世の中にガンで死ぬ人も、無実の罪で死刑になる人も、会社が倒産して自殺する経営者もいないはずです。それらのガン患者、死刑囚、経営者の「生きたい」「無実を明らかにしたい」「会社を潰したくない」という願いはものすごく強烈であるからです。
その人たちは、常人の何十倍、何百倍の強い思いを抱きながら、無念のまま死んでゆくのです。だから、「強い思いを持てば、必ず思いどおりになる」というのは「法則」どころか、きわめて当たりくじの少ない宝くじのようなものです。むしろ、思いが強ければ強いほど宇宙を敵にまわして、ものごとは反対の方向に動いていくのかもしれません。
そして、「引き寄せの法則」のルーツは、明らかにキリスト教の「求めよ、さらば与えられん」にあると思います。その反対の思想が、仏教の「足るを知る」です。



ラテン語で、「現在」のことを「プレゼント」といいます。小林氏によれば、今あるものは全部が神のプレゼントなのです。要求をぶつけて、「何か欲しい」「早く寄こせ」という人がいれば、神はそういう人間にさらなるプレゼントはしません。
わたしは、小林氏の本を読んで、水の入ったコップを連想しました。
コップに半分残った水。まあ、水ではなく、わたしの好きなシャンパンでもチューハイでも何でもいいのですが、それを見て、どう思うか。ずばり、「もう半分しかない」と思うか、「まだ半分ある」と思うか。前者はその後に「困った」という言葉が、後者は「良かった」という言葉が続くでしょう。そして、「求めよ、さらば与えられん」とするキリスト教的発想においては「もう半分しかない」と思い、「足るを知る」仏教的発想においては「まだ半分ある」と思いがちではないでしょうか。どちらが幸福感を得られやすいかはいうまでもありません。大切なことは、「まだ半分ある」の向こうには、そもそも最初に水が与えられたこと自体に対して「ありがたい」と感謝する心があることです。
そして、これはそのまま佐久間会長の「はひふへほ」の法則につながります。
なにしろ、「はひふへほ」の法則の最初は「半分でいい」なのですから!


幸福になる法則について考えました



わたしは『法則の法則』(三五館)で、小林正観氏の『「そ・わ・か」の法則』や『釈迦の教えは「感謝」だった』を紹介させていただきました。
そして、究極の成功法則、幸福法則を自分なりに考えました。
佐久間会長も小林氏の著書を愛読しており、「あの人は本物だ」と言っていました。
その小林正観氏が昨年の10月12日に62才で逝去されたと最近知り、驚きました。
数日前の新聞に出ていた遺作『淡々と生きる』(風雲舎)の書籍広告で知ったのです。
小林氏はお亡くなりになる直前に、「ああ、自分はまだまだわかっていなかった。病気にならなければ、大事なことを知らないまま死んでいっただろう・・・・・」と言われたそうです。死を前にして、なかなか言える言葉ではありません。本当に、すごい方です。
小林氏が現代に再び灯された「心学」の火を消してはならないと思います。
偉大な心学者であった小林正観氏のご冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


2012年2月8日 一条真也