ホイットニー・ヒューストン急逝

一条真也です。

ホイットニー・ヒューストンが急逝したというニュースには驚きました。
言うまでもなく、彼女は世界で最も売れている歌手の1人でした。
彼女は、わたしと同じ1963年生まれでもありました。そう、世界を代表するディーバは、48歳の若さで亡くなったのです。グラミー賞の前夜パーティーに参加するために宿泊していたホテルの部屋で遺体となって発見され、死因は不明だそうです。


1985年に発表された彼女のデビュー・アルバム「ホイットニー・ヒューストン」を初めて聴いた時の衝撃は今も記憶しています。当時、大学生だったわたしは「世の中に、こんなに歌のうまい人間がいるのか」と思ったものでした。
アルバムは女性歌手のデビュー・アルバムのベストセラーになる大ヒットとなりましたが、特に「オール・アット・ワンス」が気に入りました。
この曲を聴くと、あの頃のさまざまな思い出がよみがえってきます。


また、同じデビュー・アルバムに収録されている「グレーテスト・ラヴ・オブ・オール」にも心を奪われました。この曲は、プロボクシングの世界ヘビー級チャンピオンだったモハメッド・アリの自伝映画「アリ・ザ・グレーテスト」のテーマ曲でしたが、映画の最後に流れてきたこの曲を聴いたとき、魂が震えるほど感動しました。
1987年に発表した2枚目のスタジオ・アルバム「ホイットニー」も、よく聴きました。
このアルバムは、ビルボード200チャートに初登場1位を記録しました。
これは女性歌手では初めての快挙でした。彼女の偉大さを示していますね。


1991年には、第25回スーパーボウルアメリカ合衆国の国歌を歌いました。
これは「史上最高の国歌斉唱」として後に語り継がれています。
あまりにも評価が高かったので、シングルとしても発売されたほどです。
10年後、9・11アメリカ同時多発テロ事件のチャリティとして再リリースされました。


そして、1992年に、ケビン・コスナーと共演した初主演映画「ボディガード」が公開されます。映画のサウンドトラックには彼女の新曲6曲を収録され、全世界で4200万枚を売り上げるメガヒットとなりました。
日本でも280万枚を売り上げ、当時の洋楽史上最高のヒットとなりました。
このアルバムは、当然のごとく1994年のグラミー賞最優秀アルバム賞を受賞しますが、アルバムから「オールウェイズ・ラヴ・ユー」がシングル化されました。
この「オールウェイズ・ラヴ・ユー」こそ、ホイットニー自身最大のヒット曲です。



累計セールスはアルバムは1億4000万枚以上、シングルは5000万枚以上。
この驚異的な数字をわずかな人生で記録した彼女は、人類史に残る歌手の1人だと思います。特に、彼女の歌うラヴ・ソングは多くの恋人たちに愛されてきました。
14日はバレンタイン・デーです。世界中の恋人たちは、ぜひホイットニー・ヒューストンのラヴ・ソングを聴いて、偉大な女性シンガーのことを想ってほしいです。
それにしても、マイケル・ジャクソンに続き、また、わが青春時代の大スターが逝去しました。寂しいです。マイケルが「KING OF POP」なら、ホイットニーは「QUEEN OF POP」でした。心より御冥福をお祈りいたします。合掌。


2012年2月12日 一条真也