『相性』

一条真也です。

俳優の宅麻伸と女優の賀来千香子が、電撃離婚しましたね。2年前には「プラチナ夫婦アワード」を受賞するなど、おしどりカップルとして知られていただけに、驚きました。
女優の黒木瞳は、「夫婦はわからないわね」としみじみ述べたそうです。
ということで、「夫婦」をテーマにした本を読みました。
『相性』三浦友和著(小学館)です。


結婚30年 俳優40年 人生60年



ここのところ、「負け犬」とか「事実婚」とか「十年不倫」といった重苦しいテーマの本が続いたので、今度は「結婚」や「夫婦」を肯定的にとらえた本を読みたくなりました。
そこで、たまたま書店の新刊コーナーで見つけたのが本書でした。
あの三浦友和が、「夫婦」をテーマに本を書いたのですから、話題を呼んでいます。
なにしろ、彼の妻は、あの山口百恵なのですから・・・・・。
そう、本書で初めて三浦友和が「山口百恵」について語っているのです!
本書は、著者も出演している映画「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズや「RAILWAYS」シリーズのプロデューサーである阿部秀司氏による企画です。
だいぶ前に本を出したことがあるものの、そのとき書き上げるのに1年半もかかって苦労したという著者は、最初は阿部氏の申し出を断ったそうです。
しかし、インタビューを何日かに分けて行い、それをまとめる形で考えていると知り、著者の心は変わりました。そして、ロングインタビュー、語りおろしの本であるときちんと謳うことと、映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」のパブリシティーの一環であるということを条件に、出版することを決めたそうです。そのときの著者は、ちょうど結婚30年、俳優40年、人生60年に節目を迎えていました。本書の帯には、「映画公開に合わせてすべてを語った、初めての自伝的『人生論』」と書かれています。



この映画「RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ」は、本書のテーマにも重なる作品です。夫の定年後、夫婦がどう向き合うかをテーマにしているのです。
富山県富山地方鉄道を舞台にしていますが、この映画のクランクインは2011年3月12日、東日本大震災の翌日だったとか。非常に重苦しいクランクインとなりましたが、恒例の出演者紹介の後、著者は「重い気持ちのクランクインになったけど、自分たちの仕事を全うしよう」と、共演者やスタッフに声を掛けたそうです。
2011年は「倖せとは何か」「本当に大切なものは何か」ということが全日本人に突きつけられた年になったわけですが、この映画のテーマもそこにありました。



本書の「目次」は、以下のようになっています。
「まえがき」
第一章:転機
第二章:少年
第三章:家出
第四章:解放
第五章:結婚
第六章:父親
第七章:俳優
第八章:指輪
第九章:二人
「あとがき」



「まえがき」の冒頭には、「夫婦円満の秘訣はなんですか?」と書かれています。
この質問を著者はよく受けるそうです。「理想の有名人夫婦」という調査で、何年も続けてトップになっている著者夫妻は、たしかに「円満」という言葉がぴったりです。
その問いに対して、著者はいつも「相性です」と答えるそうです。
この「相性です」という答えについて、著者は次のように述べています。
「身も蓋もない言い方かもしれないが、自分ではかなり合点がいっている。仕事、上司、仲間、親、教師、恋人、妻、子供・・・・・相性が良ければこんな素晴らしいことはない。相性の良い人間とは人生で共有する時間が長くなっていく。互いに欲するからだ。友人、恋人などは相性が合わなければ自然と距離ができ、互いに遠ざかっていく」



そして著者は、次のように堂々と述べるのでした。
「私は、素晴らしく相性の合う女性と出会い結婚できたといえる。出会いから三十数年倖せに暮らせているのだから、たぶん勘違いではなさそうだ。
私たち夫婦は本当に喧嘩をしたことがない。共に喧嘩で引きずる空気感が嫌いなのと、喧嘩をして初めて深くわかり合えるなどという説を、はなから信用していないからだと思う。夫婦喧嘩は犬も喰わないのだ」
いやあ、ここまで言い切ることは、なかなかできることではありません。
わたしは著書に対して、男性として、また夫として心からの尊敬の念を抱きました。



2012年1月28日、著者は60歳になりました。
本書の前半部分には、著者のこれまでの生き方が綴られています。
それによれば、著者には7つの転機があったそうです。以下の通りです。
9歳――山梨の田舎から、都会のど真ん中への引越し
12歳――立川での音楽との出合い
15歳――畏友・忌野清志郎との出会い
18歳――家出
20歳――俳優デビュー
22歳――映画「伊豆の踊子」への出演
28歳−―山口百恵との結婚



著者が28歳で結婚したとき、妻の山口百恵は21歳で、アイドルとして絶頂期でした。歌や芝居の才能も花開き、その後のさらなる成長を誰もが信じたスーパースターだったのです。当時から、すでに「神格化」するような扱いも受け始めていました。
著者が22歳のとき、1974年にグリコのCMで、著者は後の百恵夫人に初めて会いました。同年の「伊豆の踊子」で共演したのです。
それ以来、世間から2人は「ゴールデンコンビ」と呼ばれ続けます。
このとき、わたしは小学校の高学年でしたが、じつは山口百恵の大ファンでした。
伊豆の踊子」も、1人で西鉄電車に乗って、小倉の浅野にあった「小倉東宝」まで観に行きました。百恵ちゃんの可憐な踊子姿に胸をときめかせ、ラストの下田港での別れのシーンでは子どもながらに涙したことを記憶しています。



川端康成原作の「伊豆の踊子」の大ヒットで、東宝の「文芸路線」が定着します。
2作目は三島由紀夫原作の「潮騒」で、大江賢次原作の「絶唱」、若杉慧原作の「エデンの海」、堀辰雄原作の「風立ちぬ」、谷崎潤一郎原作の「春琴抄」と続きます。
最後は、引退記念作品として山口百恵が1人2役を演じた川端康成原作の「古都」でした。これらの作品をすべて、わたしは小倉東宝で観ました。
同じ場所で、わたしは「陽のあたる坂道」「あいつと私」「青い山脈」などの著者の単独主演作も観ました。わたしは、大好きな百恵ちゃんの相手役である著者のファンでもあったのです。スクリーンを観ながら、いつも「ああ、三浦友和は日本一のハンサムだなあ。カッコイイなあ」とため息をついていました。
その思い出の映画館も、今では取り壊されてしまいましたが。



さて、結婚するまでの6年間、2人はCM撮影、ドラマ撮影、年2本の映画と、1年の半分は一緒でした。「あの忙しい時期にどうやってデートしていたのか」と後で聞かれたそうですが、現場でずっと一緒ですから、実際はデートなど必要なかったそうです。
そして1979年の正月、CM撮影で訪れたハワイで、著者は百恵夫人に結婚を申し込みます。著者は、「今考えると結婚は勢いです。一緒に暮らしたい。ずっと一緒にいたい。その思いの強さです」とプロポーズしたときのことを振り返っています。
しかし、著者はそこで彼女から思いがけない一言を聞きます。それは、「結婚したら仕事はやめるつもりでいる」という意外な言葉でした。著者は、次のように書いています。
山口百恵、という存在の大きさはわかっていました。
歌謡界にとっても、映画界にとっても、大きな財産でした。事務所にしてみても、ドル箱です。ひとりの歌い手として、そしてひとりの女優として、若かった私もその価値を理解していたはずです。ですから『芸能界を辞める』という言葉は、想像の範囲を超えていて、その場で返す言葉が見つかりませんでした。
しかし、それから悩んで悩んで出した結論はとてもシンプルなもので、
『よし、わかった』
という言葉を返すことでした。
芸能界における、彼女の価値観というものに、押し潰されそうになっていた自分に気付いたんです。ただの男としてひとりの女性を受け止める。その原点が見えたんです。
『仕事を辞めて、あなたの奥さんになる』
この言葉は、どんな立場だろうが職業だろうが、男にとっては重いものです。あなたのところへ身ひとつで行きますよって言われているんだから。半人前の自分に人生をかかけてくれた。それに応えなきゃいけませんよね。
『よし、わかった』
この言葉を彼女に返したのは、ハワイから帰って、しばらくしてからのことでした」



そして、ハワイでのプロポーズから数ヵ月後、彼女は「私の好きな人は、友和さんです」とコンサートで告白します。当然ながら大騒ぎとなり、著者は「世の中全部を敵に回したな」という被害妄想みたいな感じを募らせたそうです。
四六時中マスコミに張られるという生活が続く中で、ついに結婚式の日を迎えます。
著者は、そのときのことを次のように書いています。
「いまから三十数年前の11月19日。
この日、私たち2人は、赤坂の教会で結婚式を挙げました。
私は28歳、妻は21歳。
その時、いちばん驚いたのは自分の親族の多さでした。うちの母は12人兄妹で、父は6人兄妹。妻のお母さんも8人の兄妹。当然、こうした方々全員、結婚式に来ていただくわけです。正直、『こんなにいるのか』って驚きました。
血がつながっている人たちがこれだけいるんだ、というのを目の当たりにするわけです、生まれて初めてね。しかも、遠くからわざわざ来てくれている。家族ってこういうことなんだと、あらためて結婚式の時に感じました。
そして自分はいま、新しい家族をつくったんだ、と」



著者は、結婚するときに「浮気はしない」と自分の中で決めたそうです。子どもの頃から、「悪いことをしたらバチが当たるよ!」という祖母の言葉を信じているのだとか。
「バチが当たる」とうことを真剣に信じているとして、著者は次のように述べています。
「私は無宗教ですが、神さまはいると信じているんです。誰に言われたわけでもないけど、そうなんだから仕方がない。世の中よくできたもので、ズルいことをやってその時はうまくいっても、長い目で見れば、やっぱりマイナスなんです。
浮き名を流すのは芸の肥やし、というような考え方をする人もいます。そういう人たちを否定する気持ちもありません。自分と違って『器が大きいんだな』と感心します。
浮気をしないというのは妻に対する、私の、けじめです。
もちろん、妻以外の女性を見て、『イイ女だなあ』と思うことはありますよ。そういう感情を押し殺すのは無理な話です。ただ、絶対に浮気はしない、というルールをつくった。そういうことです。これは妻に宣言したわけでもなく、自分の中で決め、そして遵守しているものです」



わたしは、この文章を読んで、本当に感銘を受けました。
ここでは、「浮気をしないという思想」が高らかに宣言されています。
もちろん、著者がいうように浮気をする男性が「器が大きい」わけではありません。
その人は、ただ妻以外の女性とそういうことがしたくて、実際に浮気しただけの話です。
しかし、著者にかかると、浮気をしないということが1つの信念になって、哲学的問題、ひいては宗教的問題にまで昇華されています。
読者の中には、「そんなこと言って、本当は三浦友和はうまいことやってんじゃないの?」と下衆の勘ぐりをする人もいるかもしれません。
しかし、おそらく著者の言っていることは本当だと思います。
なぜなら、結婚以来、30年もの間、著者には浮気の噂が皆無だからです。
そして、結婚以来ずっとマスコミの監視に晒されている著者には、内緒の情事というのが不可能だからです。なによりも、あの山口百恵を絶頂期に引退させ専業主婦にしておきながら、自分だけ浮気をしていたら世間が許さないでしょう。
それこそ、「世の中全部を敵に回す」行為となります。



浮気などせずとも、この30年間、著者はとても倖せだったとか。そして、そう思い返すことができるのは妻のおかげだとして、百恵夫人のことを次のように書いています。
「落ち込まないんです。マスコミに執拗に追いかけられようが、旦那が暇で家にいようが、動じない。変化しないんです。もちろん、ファンが神格化しているような、完璧な女性ではありません。人間的な弱さは当然あるんだけど、弱音や愚痴を吐かないんですね。それに私は随分、助けられました。
仕事に関してもそうでした。仕事がどうのこうのという話は、家では一切しないんだけど、妻もあれこれ聞いてこない。なるようになるという様子でいてくれる。私はだから、それを意気にも感じていたし、安心して家庭を任せていられたんだと思います。


倖せな夫婦生活を続けていく上で、著者はさまざまなことを積み重ねています。
たとえば、10年ごとの結婚記念日に結婚指輪を新しく作り直しているそうです。
だから、著者夫妻の手元には結婚指輪が3つあるのだとか。
そして、2020年の結婚40年目に4つめの結婚指輪を作って、百恵夫人と2人で「振り返って見ると、倖せだったね」と言い合いたいのだそうです。
著者は、次のように述べています。
「振り返った時に、プラスとマイナスを換算して、たった1つでもプラスだったら、『倖せだ!』と胸を張っていいと思っているんです。
マイナスのない、プラスだけの人生なんて、あり得ません。
『プラスかマイナスか、どっちかといったらプラスだよね』
そうやって夫婦や家族で確認できれば、それでいい。だって、これが幸福だ、という確固たるものはないんですから。お互いに『倖せだと思える』ことが重要なんです。
では、何を『倖せ』だと思うか。私はこれが『相性』だと思うんです。相性とは、倖せの感じ方のことかもしれません。妻とは、ありがたいことに、この倖せの感覚が一緒でした。お互いに、同じことを倖せだと喜んでいられた」



そして、夫婦について語る著者の人生論は、ついには以下の境地へと至ります。
「負の出来事は、自分たちの思いがけないところで起こります。今回の東日本大震災もそうです。人生は予期せぬことばかりです。いつ自分に降りかかるかわかりません。だから『不幸』の訪れは、仕方ないところがある。
でも『倖せ』は違います。いきなり天から負ってくることはありません。宝くじで大金が当たるなんて幸運はそうそうやってこないのです。だから自分でつくるんです。
旅行でも、誕生会でも、何でもいいんです。自分たちの楽しみを、ぽつぽつとつくっておいて、そこに家族で意識を向けていく。『楽しみたい』という目的をみんなで共有するんです。楽しみを励みにする、と言ったらいいかな」



わたしは、この著者の発言は素晴らしい人生論であり、幸福論であると思います。
何よりも、抽象的なイメージで語るのではなく、自らの生き方で示しています。
その地に足がしっかりとついているところが素晴らしい!
現在、結婚をしない、または結婚をしたがらない若い男女が増えています。
また、せっかく結婚したものの、多くのカップルが離婚しています。
そして、多くの人々が不倫に走っています。もちろん、そこには本人しかわからない事情があります。結婚とは、しょせんは人間がつくった社会的制度です。けっして完璧なシステムではありません。それでも、結婚したからには「倖せ」になるために積極的に努力をするべきなのです。日本でも最も有名な夫婦である著者夫妻の生き方は、多くの夫婦にとって大きな示唆を与えてくれます。
では、これから結婚をしたいと考えている人は、いかにすべきでしょうか?
わたしは、、「結婚」という「幸せ」を引き寄せるための『幸せノート』(現代書林)を刊行しました。幸福になりたい方は、ぜひ、このノートを開いてみて下さい。


婚活からウエディングまで               



ブログ「幻のカップル」ブログ「理想のカップル」にも書いたように、冠婚葬祭業者であるわたしは、一般人の結婚意識に大きな影響を与える芸能人の結婚には常に注目しています。 かつて皇族が日本人の結婚や結婚式のイメージをリードしていた時代がありましたが、その後芸能人にシフトしました。芸能人とは、大衆にとって憧れの対象です。
芸能人同士のカップルが生まれると異常なまでの関心を呼ぶのは、人々の心の中にある「理想のカップル像」のようなものに触れるからかもしれません。
昔でいえば、小林旭美空ひばり高倉健江利チエミなどが代表的でしょう。
残念ながら、両組とも離婚しましたけど・・・・・。
そして、噂になりながらも最終的には結ばれなかった芸能人カップルに対して、大衆は「あの2人ならお似合いだったのに・・・」という残念ビームを送ります。



わたしは、かつて噂になった、郷ひろみ松田聖子近藤真彦中森明菜田原俊彦中山美穂の3組は本当に一緒になってもらいたかったですね。
まったくもって、大きなお世話ですけど。(苦笑)
ツーショットが絵になるというか、お互いのキャラが似ていてカップルとしてのイメージがしっくりくる。ブライダルの広告などで使えば最高だったでしょうね。
あと、貴乃花宮沢りえなども多くの人々がいまだに残念がる「幻のカップル」ですね。
でも、「幻のカップル」といえば、なんといっても郷ひろみ松田聖子に尽きます。
これほど神話性というか物語性がある日本人タレントは珍しいです。
郷ひろみの「ハリウッド・スキャンダル」の歌詞ではありませんが、2人とも爪の先まで、髪の芯まで、びっしりびっしり芸能人だからです。
ともに福岡県の出身ということもありますが、二人は本当によく似ています。
松田聖子郷ひろみの女版であり、郷ひろみ松田聖子の男版なのですね。
そして唐突ですが、本書を読んで次のように気づきました。
結局、松田聖子郷ひろみは相性が合わなかったのだと。
その意味で、三浦友和山口百恵は、松田聖子郷ひろみの反対なのだと。
松田聖子郷ひろみだけではありません。結ばれなかった、あるいは結ばれたのに離れてしまった多くの「幻のカップル」はいずれも相性が合わなかったのです。
そして、相性が合った著者夫妻こそが「理想のカップル」だったのです。



「理想のカップル」として30年以上を生きてきた著者は、次のように述べます。
「結婚して31年間。夫婦生活が円満に続いている理由を答えないといけないのだとしたら、ただ一言、『相性』としか言いようがありません。
相性のいいパートナーに、私は運良く出会ったんです。
運はしかし、自分で引き寄せられるものではありません。
もし自分の力で引き寄せられるものがあるとしたら、それは『人』でしょう。
単純に、人は一緒にいて嫌な人のところには近づいてきません。
この人といると居心地いいな、面白いな、という人のところに寄っていくものです。
ちょっと飲みに行くのだって、つまらなそうな人には声をかけないでしょ? 
落ち込んでいると慰めに来てくれる人はいるけれど、それが続きっぱなしだと人は離れてしまう。他人を引き寄せるのは、自分でしかないのです」
そう、著者のいうように、相性の良いパートナーに会うのは人智を超えた世界です。
この人智を超えた出会いのことを「縁」と呼び、良い縁のことを「良縁」と呼びます。
著者のいう「相性が合う」とは、「良縁」の別名に他ならないのです。
「良縁」は、結婚相手だけにあるのではありません。それは、上司、部下、同僚、仲間、親、教師、恋人、子ども・・・・・この世のすべての人間関係において「良縁」というものが存在するのです。本書には、その良縁を引き寄せるための人間のギリギリの努力のあり方が示されています。
あとは、「人事を尽くして天命を待つ」しかありません。



それにしても、妻への想いを堂々と口にする著者のなんと爽やかなことか! 
わたしは、映画「伊豆の踊子」で著者が演じたピュアな一高生の面影そのものだと思いました。あの映画では、小学生だったわたしは、ラストシーンでハンカチを濡らしながら「この2人はなぜ結婚できなのだろう」と素朴な疑問を抱きました。そして、「いつか、自分でこの2人が結ばれるという続編を書いてみたい」とさえ思いました。
そう、将来は作家になってハッピーエンドの『続・伊豆の踊子』を執筆するという大それた夢を持っていたのです。しかし、そんな続篇を書く必要はありませんでした。あの2人は、現実の世界で結ばれ、実際に「倖せ」をつかんだからです。
最後に、著者ご夫妻の末永いお倖せを心よりお祈りいたします。



2012年2月13日 一条真也