祈る人

一条真也です。

昨日、東大病院(東京都文京区)で行われた天皇陛下の心臓の冠動脈バイパス手術が無事終了しました。東大と順天堂大の合同チーム約10人で行われました。
午後6時過ぎから記者会見した金沢一郎・宮内庁皇室医務主管は冒頭、「手術は予定通りに進み、終了しました」との発表文を読み上げました。


朝日新聞」2月19日朝刊



手術後の様子ですが、医師団によれば、心臓の状態も安定して出血もないそうです。
手術後、皇后陛下は長女の黒田清子さんと集中治療室を訪れました。
皇后陛下が「手術がうまくいってようございました」と声をかけられると、天皇陛下は半ば目を開けながら、うなずいておられたとか。そして、皇后陛下黒田清子さんが、天皇陛下の手をそれぞれさすると、天皇陛下は「気持ちいい」と述べられたとか。
さらに、皇后陛下が部屋を去る前、「あす、また参ります。お体をお大事に」と声をかけられると、天皇陛下は「ありがとう」と応えられたそうです。



わたしも異国の地から手術の成功を祈っていましたが、安心いたしました。
手術当日、宮内庁京都事務所(京都市上京区)には約600人がお見舞いの記帳に訪れ、陛下のご快癒を祈ったそうです。同事務所での記帳受け付けは17日から始まっており、2日間の記帳者は計約800人に上ったとか。多くの日本人が「祈る人」になったわけですが、じつは日本最大の「祈る人」とは天皇陛下ご自身です。
わたしは、このたびの海外視察中に小林正観氏の著書を大量に持参し、固め読みしました。小林氏は昨年10月に亡くなられた心学研究家です。亡くなる直前に書かれた著作にはすべて、天皇陛下についてのエピソードが登場します。


天皇陛下についてのエピソードが書かれています



たとえば、遺作である『淡々と生きる』(風雲舎)には、次のように書かれています。
天皇は、1月1日早朝に起きると、東西南北の四方に向かってお祈りをします。『今年もし日本に災いが起きるならば、まず私の身体を通してからにしてください』と。それを『四方拝』といい、毎年やっているそうです。別の人から聞いた情報では、歴代天皇がそう祈って、この世は続いてきた。天皇がそういうふうに言うことを、皇太子の時代から教え込まれる。皇太子だけ。『あとを継いだら、あなたは必ずそれを言うのですよ。日本国民を代表して、「まず私の身体を通してからにして下さい」と言うのですよ』と教え込まれる。歴代の天皇は1月1日にそれを言ってきた」
この天皇陛下の言葉から、小林正観氏は「人間の魂というのはものすごいものだ」と教えられたそうです。そして、「ここまで崇高になることができる、日本にはとんでもない人がいた、そういう崇高なことを祈る人がいた」ことに驚愕したそうです。



小林氏は、いわゆる天皇崇拝者だったのでしょうか。
いや、それは違います。『淡々と生きる』には、次のように書かれています。
「私は天皇制度を礼賛する立場の人間ではありません。もともと全共闘ですから、天皇制度を否定する立場で生きてきました。でも、天皇がそういうひと言を元旦に言っている人であることを考えると、その災いを一身に受けきれなかったという思いがたぶんあるのだろうと思ったのです。その結果として、被災地の人々の前に膝をついて言った『大変でしたね』のひと言には、『申し訳ない』という気持ちが括弧でくくられている気がします。『自分の身体で受け止められなかった、申し訳なかった』という、四方拝での言葉の内容が見えるような気がします。そういう目で天皇の動きを見ていくと、申し訳なさがあると思います」



小林氏は40年間、精神世界をはじめとした多くの世界の勉強をしてこられました。
それで多少のことはわかっているつもりでいたけれど、天皇陛下の言葉には「そうか、やっとわかったかな・・・・・」というレベルに自分があることに気づいたそうです。
本当のことがわかっていなかった・・・・・そう思わされるほどのショックを受けたというのです。もはや自身の病気のことなど何の問題でもないと悟った小林氏は、穏やかな心のままで2012年10月12日に人生を卒業されました。
ブッダ、イエスといった「人類の教師」とされた聖人にはじまって、ガンディー、マザー・テレサダライ・ラマなど、人々の幸福を祈り続けた人はたくさんいます。
しかし、日本という国が生まれて以来、ずっと日本人の幸福を祈り続けている「祈る人」の一族があることを忘れてはなりません。
最後に、天皇陛下の手術のご成功を心よりお祝い申し上げます。


2012年2月19日 一条真也