世界平和パゴダ

一条真也です。

今日は、3月3日の桃の節句です。そう、雛祭りですね。
2日に帰省していた長女が横浜に帰ったので、寂しくなりました。
明日から大学のサークル行事が始まるそうです。


世界平和パゴダを望む

極楽を連想させる荘厳な寺院です



さて、門司港の山頂にそびえ立つ「世界平和パゴダ」を訪れました。
小倉から門司へ向かう北九州都市高速の道路上からもよく見える建造物で、ひときわ荘厳な雰囲気を醸しだしています。わたしも、子どもの頃から「なんだか知らないけど、すげえなあ! まるで、極楽みたいな建物だなあ」と思っていました。
「世界平和パゴダ」は、日本で唯一のビルマ式寺院です。
ビルマは、現在のミャンマーですね。


日本における上座部仏教のシンボルです



ここは、日本における上座部仏教のシンボルとなる場所なのです。
上座部仏教とは、ブッダの考え方をストレートに伝える仏教です。
かつては「小乗仏教」などとも呼ばれましたが、それは「大乗仏教」側からの差別的表現に過ぎません。ミャンマー・タイ・スリランカ・などで盛んな上座部仏教は、戒律や修行の厳しい原始仏教に近い宗教なのです。「南伝仏教」とも呼ばれ、中国・チベット・日本などに伝わった「北伝仏教」としての大乗仏教とは伝播のルートが違うわけです。


素晴らしい「寝釈迦」もあります



第2次世界大戦後、ビルマ政府仏教会と日本の有志によって昭和33年(1958)9月に建立されました。「世界平和の祈念」と「戦没者の慰霊」が目的でした。戦時中は門司港から数多い兵隊さんが出兵しました。映画化もされた竹山道雄の名作『ビルマの竪琴』に登場する兵隊さんたちです。残念なことに彼らの半分しか、再び祖国の地を踏むことができませんでした。そこでビルマ式寺院である「世界平和パゴダ」を建立して、その兵隊さんの霊を慰めようとしたわけです。


このパゴダと僧院は、1958年当時のビルマのウー・ヌ首相のもと、ビルマ仏教会と日本側の寄付ならびに門司市(当時の門司市長は、名物市長として全国的に有名だった故・柳田桃太郎氏)の協力により、門司港を望む高台にある和布刈公園内に建立されました。日本で唯一のビルマ式仏教僧院であることから、設立以来一貫して、ビルマ本国から派遣された高僧が滞在されてきました。そして第2次世界大戦の犠牲者の供養と世界平和を祈念する場として、また日本国内のビルマ仏教の布教の拠点として、半世紀以上にわたって存続してきました。素晴らしい「寝釈迦」もあり、多くの訪問者が祈りを捧げてきました。


戒律堂

すっかり老朽化してしまった僧院



「パゴダ」とは、英語訳で、仏像または仏舎利を安置する仏塔のことだそうです。ミャンマー人の語訳では「セディー」、現地人の呼称は「パヤー」と言うそうですが、どうも西洋人が元の言葉を転訛したようです。
「世界平和パゴダ」の仏塔の高さは27メートル、直径13メートルの円筒形の寺院の塔頂には建設時に300万円といわれたダイヤモンド・ピナクル(尖塔冠)が輝いています。境内には僧院、戒律堂も併設され、釈迦如来を本尊とし、ビルマより派遣された僧侶が常住し布教、慰霊に勤めていました。しかし現在では、その僧院もすっかり老朽化してしまいました。


現状を示す看板



この「世界平和パゴダ」の大僧正であったウ・ケミンダさんが昨年12月に89歳で亡くなられました。ケミンダさんの死後、パゴダに隣接していた僧院が老朽化のため閉鎖されました。ミャンマーから派遣されていた2人の僧も帰国されたそうです。わたしは「世界平和」のモニュメントとしての「世界平和パゴダ」を閉鎖させたままではいけないと思います。それは、はるばるミャンマーから異国の地へやってきて上座部仏教の僧として「ブッダの考え方」を伝えてくれたウ・ケミンダ大僧正への「礼」を欠きます。また、北九州市民、いや日本人としても恥ずかしいです。



なんとか、わが社としましても、この素晴らしい「世界平和パゴダ」の再開に向けて全力を尽くしたいと思います。これから、門司港の「門司倶楽部」に行きます。ここで、ウンケミンダ大僧正の「お別れ会」が開催されるのです。「宗教法人世界平和パゴダ」の理事会が主催し、在日ミャンマー大使館の後援で、セレモニーはわが社が行わせていただきます。


2012年3月3日 一条真也


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