老々婚

一条真也です。

今朝の「日刊スポーツ」で「老々婚」という大きな活字を見つけました。
「老々」といえば、その後には「介護」という言葉が続くのが相場ですが、ここでは「婚」とあります。記事を読むと、「劇団四季」創立メンバーのベテラン俳優・日下武史さん(81)が同じ劇団の女優・木村不時子さん(73)と結婚していたそうです。


「日刊スポーツ」3月18日号



2人が婚姻届を提出したのは2010年(平成22年)末だそうです。
ともに70歳を過ぎてからの「老々婚」で、2人の年齢を合わせると154歳になります。
昨今、男性芸能人と女性芸能人や一般女性との「年の差婚」が多く見られます。
しかし、これほど高齢の芸能人同士による結婚は極めて異例だとか。


同紙には、次のように書かれています。
「日下は長年病床にあった前妻の介護をしながら舞台を務めてきたが、09年に先立たれた。木村は前妻も公認していた日下の友人で、『赤毛のアン』の兄妹役など数多くの舞台で共演したほか、前妻の代わりに日下の日々の世話もしていたという。前妻の死から1年すぎたころのゴールインだったが、結婚は劇団内でもごく一部の人にしか知らされていなかったという」



わたしは、この記事を読んで、とても温かい気持ちになれました。
今年に入ってからも、オープンを迎えたばかりの北海道四季劇場の「開場記念芸術祭」2作品目の「赤毛のアン」で2人は共演しています。
赤毛のアン」は薄幸な少女が幸せになる物語ですが、結婚するお2人にもぜひ幸せになっていただきたいと心から思いました。
何よりも、このお2人は正々堂々としていて、さわやかな印象があります。
日下さんの亡くなられた前の奥様が木村さんのことを公認していたこと、木村さんが病気の奥様の代わりに日下さんの日々の世話をしていたことにも共感を持ちました。
これから、日本でもこのような高齢者同士の結婚が増えると素敵だなと思います。
たいていは、老いた親の結婚には子どもが反対するものです。それは、亡くなったもう1人の親に対する同情もあるでしょうが、それ以上に遺産の問題が絡んでくるからです。
でも、わたしは遺産という「お金」の問題で人の結婚を反対するのは間違っていると思います。結婚とは、「お金」でなくて「魂」の問題だからです。


なぜ人は結婚するのか



それにしても、人生の卒業も近くなって、わざわざ結婚する。
この行為にわたしは深く感動するとともに、プラトンの「人間球体説」を連想しました。
拙著『結魂論』(成甲書房)にも書いたように、かつて古代ギリシャの哲学者プラトンは、元来は1個の球体であった男女が、離れて半球体になりつつも、元のもう半分を求めて結婚するものだという「人間球体説」を唱えました。
元が1つの球であったがゆえに湧き起こる、溶け合いたい、1つになりたいという気持ちこそ、世界中の恋人たちが昔から経験してきた感情です。
プラトンはこれを病気とは見なさず、正しい結婚の障害になるとも考えませんでした。
人間が本当に自分にふさわしい相手をさがし、認め、応えるための非常に精密なメカニズムだととらえていたのです。
そういう相手がさがせないなら、あるいは間違った相手と一緒になってしまったのなら、それは私たちが何か義務を怠っているからだとプラトンはほのめかしました。
そして、精力的に自分の片割れをさがし、幸運にも恵まれ、そういう相手とめぐり合えたならば、言うに言われぬ喜びが得られることをプラトンは教えてくれたのです。
そして、彼のいう球体とは「魂」のメタファーであったと思います。




また、わたしは「ソウルメイト」という言葉も連想しました。
アメリカの精神科医であるブライアン・L・ワイスは、退行催眠によって心に傷を受けた前世の記憶を思い出すと、さまざまな病気が癒されるという「前世療法」を開発しました。ワイスは、前世の記憶をもつ患者と接するうちに、誰にでも生まれ変わるたびにめぐり会う「ソウルメイト」がいることを知ります。
ソウルメイトとは、愛によって永遠に結ばれている人たち、つまり「魂の伴侶」のことです。彼らはいくつもの人生で何回もの出会いを繰り返しているとされています。



人生の黄昏に、どうしても結婚しておきたかった相手とは、自分にとっての「半球体」であり、「魂の伴侶」なのだと思います。
わたしは、見事に「結魂」を果たされた日下武史さんと木村不時子さんに、心から「おめでとうございます!」と言いたいです。
そして、いつかお2人が出演されている「赤毛のアン」を観てみたいと思います。


2012年3月18日 一条真也