49回目の誕生日

一条真也です。

5月10日になりました。(・ε・)
わたしの49回目の誕生日です。うーん、四苦八苦!(´д`ι)
あと1年で50の大台を迎えるなんて、なんだか信じられません。ヽ(`Д´)ノ


今日で、49歳になりました(>_<)



10年前の今日、39歳になったわたしは非常に焦っていました。
あと1年で40歳を迎えるという事実の前に呆然としたのです。
40歳は「不惑」と呼ばれます。不惑の年を迎えるにあたり、何をすべきかといろいろ考えましたが、「不惑」なる言葉が『論語』に由来することから、『論語』を精読することにしました。当時、冠婚葬祭会社の社長に就任したばかりということもあって、冠婚葬祭の根本思想としての「礼」を学び直したいという考えもありました。
学生時代以来、じつに久しぶりに接する『論語』でした。
一読して、目から鱗が落ちる思いがしました。当時の自分が抱えていた、さまざまな問題の答えがすべて書いてあるように思えたのです。江戸時代の儒者である伊藤仁斎は「宇宙第一の書」と呼び、安岡正篤は「最も古くして且つ新しい本」と呼びましたが、本当に『論語』1冊あれば、他の書物は不要とさえ思いました。


書見台に置かれた愛用の『論語』(岩波文庫版)



そこで、40になる誕生日までに『論語』を40回読むことに決めました。
それだけ読めば、内容は完全に頭に入ります。
以後は、誕生日が来るごとに再読することにします。つまり、わたしが70歳まで生きるなら70回、80歳まで生きるなら80回、『論語』を読んだことになります。
何かの事情で私が無人島などに行かなくてはならないときには迷わず『論語』を持って行きます。また、突然何者かに拉致された場合にも備えて、つねにバッグには『論語』の文庫本を入れておきます。まさに、「論語バカ一代」です!
こうすれば、もう何も怖くないし、何にも惑いません。何のことはない、わたしは「不惑」の出典である『論語』を座右の書とすることで、「不惑」を実際に手に入れたのです。


さらに「天下布礼」の道を突き進みます



わたしは来年、50歳になります。「五十にして天命を知る」ということで、自らの使命を知ることでしょう。そして、それはおそらく「天下布礼」の道をさらに突き進み、孔子の人間尊重思想である「礼」の精神を広めていくことではないかと思います。
わたしは、『論語』とは船のような存在ではないかと思います。
人生の荒波を超えて無事に航海していける船ではないかと思います。
志学」や「而立」や「不惑」や「知命」や「耳順」や「従心」といったものは、人生の港ではないでしょうか。『論語』という船に乗れば、安全に次の港に辿りつけるような気がしてならないのです。わたしは、誕生日にあたって次の短歌を詠みました。



不惑より港を出でし論語船 知命へ向かふ礼を求めて (庸軒)



この短歌は、もうすぐ刊行される『礼を求めて』(三五館)の「はじめに」の最後にも掲載します。同書は、孔子文化賞受賞記念出版として刊行されます。
その受賞祝賀会を縁のある方々から開いていただくことになりました。
まことに恐縮の極みですが、祝賀会は5月18日(金)に行われます。
わたしは『論語』に出合い、孔子に出会ったことを心から感謝しています。
今夜、これから49回目の『論語』の通読を行います。


2012年5月10日 一条真也