沖縄復帰40周年

一条真也です。

今日、沖縄が本土に復帰して40年を迎えました。
西日本新聞」一面には、「私の沖縄 復帰40年」の題で記事が掲載されていました。その記事は、沖縄県宜野湾市出身の大庭麻依子記者が書かれていました。


西日本新聞」5月15日朝刊



大庭記者とは、ちょうど1週間前、今月8日に松柏園ホテルでお会いしました。
孔子文化賞受賞についての取材を受けたのです。
聞くと、大庭記者はなんと、わが社の結婚式場である「マリエールオークパイン那覇」でアルバイトをされたことがあるそうです。「社会人にとって必要な礼儀などをマリエールで学びました」と笑顔でおっしゃっていました。
大庭記者とは1時間ほどお話しましたが、すごく理知的で明るい方でした。
18日の受賞祝賀会にもお越し下さるとのことで、またお会いできるのが楽しみです。


西日本新聞」5月15日朝刊



さて、大庭記者は、1972年の復帰前の沖縄について、教科書の中の出来事としてしか知らないそうです。進学と就職で宮崎や福岡に住んでから、生まれ育った島を意識するようになったとか。大庭記者は、記事の中で「古里の文化や芸能、自然を誇りに思う一方、本土との隔たりをふと感じることもある」と書かれています。
また、社会面にも掲載された記事の終わりには、「私は沖縄出身者であることを心のどこかで意識するようになった。国土のわずか0.6%の島。人口は1%強。その古里が一層、切なく、いとおしい存在に思えるようになった」


マリエールオークパイン那覇

石垣島にある八重山紫雲閣



わが社は、沖縄県において冠婚葬祭事業を展開しており、おかげさまで結婚式も葬儀も最大の件数をお世話させていただいています。
1973年、つまり復帰の翌年にサンレー沖縄はスタートしました。
わが社は北九州市を本拠地に各地に展開してきましたが、特に沖縄の地に縁を得たことは非常に深い意味があると思っています。というのは、サンレーの社名には3つの意味がありますが、そのどれもが沖縄と密接にかかわっているからです。



まず、サンレーとは「SUN−RAY(太陽の光)」です。
沖縄にはきわめてユニークな太陽洞窟信仰というものがあります。首里から見て東の方角にあるため久高島が太陽の生まれる島、つまり神の島とされたようです。
久高島から昇った太陽は海の彼方にある死後の理想郷ニライカナイに沈むといいます。
わたしはセレモニーホールとは魂の港としてのソウル・ポートであり、ここから故人の魂はニライカナイへ旅立っていくと思っています。



次に、サンレーとは「産霊(むすび)」です。
「生命をよみがえらせる」という意味ですが、産霊の最大の舞台といえば、祭りです。
沖縄は「祭りの島」と呼ばれるほど、祭礼が多いですね。
産霊とは、「生命そのものの誕生」も意味します。
沖縄は出生率が日本一です。15歳以下の年少人口率も日本一で、まともな人口構造は日本で沖縄だけなのです。沖縄の結婚式を見ると、花嫁さんのおなかが大きな結婚式が多い印象です。つまり「できちゃった結婚」がとても多いわけですね。
わたしは、これは非常に素晴らしいことと思います。
少子化社会を乗り越えるには、「産めよ増やせよ」しかないわけですから。



そして、サンレーとは「讃礼(礼の心を讃える)」です。
言うまでもなく、沖縄は守礼之邦です。
礼においても最も大事なことは親の葬儀であり、先祖供養です。
沖縄人ほど、先祖を大切にする人はいません。
沖縄の人は先祖の墓の前で会食します。
先祖と一緒にご飯を食べ、そこは先祖と子孫が交流する空間となるわけです。
子どものころから墓で遊ぶことは、家族意識や共同体意識を育ててくれます。
これは今の日本人に最も欠けているものであり、ぜひ本土でもやるべきです。


守礼門で「天下布礼」の旗を持つ



沖縄の結婚式も葬儀も、日本で最も多くの人々が参列します。
沖縄では、人間関係というものが何よりも優先されます。
そして、冠婚葬祭でのつきあいが最重視されるのです。
沖縄の人々は、先祖だけでなく、隣人というものを日本中のどこよりも大切にします。
わたしたちが幸せに生きるためには、どうすべきか。
わたしは、何よりも、先祖と隣人を大切にすることが求められると思っています。
まず、死者を忘れないということが大切です。わたしたちは、いつでも死者とともに生きているのです。死者を忘れて生者の幸福など絶対にありえません。最も身近な死者とは、多くの人にとって先祖でしょう。先祖をいつも意識して暮らすということが必要です。
もちろん、わたしたちは生きているわけで、死者だけと暮らすわけにはいきません。
ならば、誰とともに暮らすのか。まずは、家族であり、それから隣人です。


沖縄から「有縁社会」の再生を!



沖縄の人々は、「世界一幸福な国」と呼ばれるブータンの人々と同じく、その「こころ」に血縁の縦糸と地縁の横糸をしっかりと張っているのです。だから、どんな苦難にも「なんくるないさ〜」と言いながら、生きることができるのかもしれません。
しかも、沖縄がすごいのはそれだけではありません。沖縄の人々がよく使う「いちゃりばちょーでい」という言葉は、「一度会ったら兄弟」という意味です。沖縄では、あらゆる縁が生かされるのですね。まさに「袖すり合うも多生の縁」は沖縄にあり!
「守礼之邦」は、大いなる「有縁社会」なのです。


「沖縄力」で無縁社会を乗り越えよう!



わたしは沖縄が大好きです。沖縄の地で39年間、冠婚葬祭業を続けてこられたことを心の底から誇りに思います。そして、沖縄には本土の人間が忘れた「人の道」があり、それこそ日本人の原点であると思います。
ブログ「沖縄力」にも書きましたが、以前、本土が沖縄から何を学ぶべきかについて「沖縄タイムス」に連載したことがあります。その内容は、「沖縄力」というブックレットとして刊行しました。守礼門首里城と同じ渋いエンジ色のブックレットです。



すべての日本人が幸せに暮らすためのヒントが沖縄にはたくさんあります。
今こそ、すべての日本人は「沖縄復帰」するべきです。
そして、幸福力としての「沖縄力」を身につけなければなりません。
沖縄復帰40周年の記念式典では、かりゆし姿をした野田首相が「鎮魂と平和への覚悟」を訴えていました。そして、「これからの世界はアジア・太平洋の時代であり、沖縄は日本のフロンティアです!」と強調していました。
その様子をテレビで見ながら、わたしは以前詠んだ次の短歌を思い出しました。


      くじけずに なんくるないさ言ふこころ
             いま沖縄(うちなー)が大和(やまと)救へり   (庸軒)



琉球新報」に掲載された終戦60周年の「サンレー沖縄」意見広告



来年、サンレー沖縄は創立40周年を迎えます。2005年8月15日の終戦60周年の日には、「おきなわの力」「守礼の心」という意見広告を「琉球新報」に掲載しました。
わたしたちは、「守礼之邦」において「守礼企業」をめざします。
これからも、冠婚葬祭を通じて、沖縄から世直しの風を吹かせます。
世直しの風は、きっと日本復興にもつながると信じています。


2012年5月15日 一条真也