曹洞宗講演

一条真也です。

24日の朝、小倉から新幹線のぞみ20号に乗って名古屋へ。
名古屋から名鉄名古屋本線急行に乗って南加木屋へ。同地のセレモニーホール「加木屋メモリー・チタソー」にて、曹洞宗寺院の僧侶・寺族・檀信徒役員の方々に向けて講演をしました。テーマは、「人とのつながり〜有縁社会をめざして〜」です。


講演会場の「加木屋メモリー・チタソー」前で

講師入場の際は拍手で迎えられました

100名以上の方々が集まりました



ブログ「浄土真宗講演」で紹介した講演会に次いでの仏教関係者への講演です。
拍手で迎えられて会場に入ると、100名以上の方々が集まっていました。
わたしは、最初に「有縁社会」の重要性について話しました。
ご先祖さまとのつきあい方』(双葉新書)をもとに血縁の重要性を、また『隣人の時代』(三五館)をもとに地縁の重要性を説きました。
タテ糸とヨコ糸から「人間の幸福」が実現することを述べ、実際にブログ「有縁凧」で紹介した凧を会場に持ち込み、頭上に掲げて「有縁社会」の必要性を訴えました。


「人間の幸せ」を凧に例えました



それから、人間関係を良くする魔法を具体的に紹介していきました。
わが社では、2008年から「隣人祭り」開催のお手伝いをしています。
わが社の小ミッションは、「冠婚葬祭を通じて良い人間関係づくりのお手伝いをする」。
冠婚葬祭の根本をなすのは「礼」の精神です。
では、「礼」とは何でしょうか。それは、2500年前に中国で孔子が説いた大いなる教えです。平たくいえば、「人間尊重」ということです。
ですから、わが社では、さらなる大ミッションを「人間尊重」としています。
わたしは、人類が生んだあらゆる人物の中で孔子をもっとも尊敬しています。
孔子こそは、人間が社会の中でどう生きるかを考え抜いた最大の「人間通」であると確信しています。その孔子が開いた儒教とは、ある意味で壮大な「人間関係学」といえるのではないでしょうか。



「良い人間関係づくり」のためには、まずはマナーとしての礼儀作法が必要となります。
いま、わたしたちが「礼儀作法」と呼んでいるものの多くは、武家礼法であった小笠原流礼法がルーツとなっています。小倉の地と縁の深い小笠原流こそ、日本の礼法の基本です。特に、冠婚葬祭に関わる礼法のほとんどすべては小笠原流に基づいています。
いま、小笠原流礼法などというと、なんだか堅苦しいイメージがありますが、じつは人間関係を良くする方法の体系なのです。小笠原流礼法は、何よりも「思いやりの心」「うやまいの心」「つつしみの心」という三つの心を大切にしています。これらは、そのまま人間尊重の精神であり、人間関係を良くする精神ではないでしょうか。



原始時代、わたしたちの先祖は人と人との対人関係を良好なものにすることが自分を守る生き方であることに気づきました。
相手が自分よりも強ければ、地にひれ伏して服従の意思を表明し、また、仲間だとわかったら、走りよって抱き合ったりしたのです。
このような行為が礼儀作法、すなわち礼法の起源でした。
身ぶり、手ぶりから始まった礼儀作法は社会や国家が構築されてゆくにつれて変化・発展して今日の礼法として確立されてきたのです。
ですから、礼法とはある意味で護身術なのです。
剣道、柔道、空手、合気道などなど、護身術にはさまざまなものがあります。
しかし、もともと相手の敵意を誘わず、当然ながら戦いにならず、逆に好印象さえ与えてしまう礼法の方がずっと上ではないでしょうか。
まさしく、礼法こそは最強の護身術なのです。



さらに、わたしは礼法というものの正体とは魔法に他ならないと思います。
フランスの作家サン=テグジュペリが書いた『星の王子さま』は人類の「こころの世界遺産」ともいえる名作ですが、その中には「本当に大切なものは、目には見えない」という有名な言葉が出てきます。本当に大切なものとは、人間の「こころ」に他なりません。
その目には見えない「こころ」を目に見える「かたち」にしてくれるもの。
それこそが、立ち居振る舞いであり、挨拶であり、お辞儀などではないでしょうか。
それらを総称する礼法とは、つまるところ「人間関係を良くする魔法」なのです。


「人間関係を良くする魔法」について話しました



魔法使いの少年を主人公にした『ハリー・ポッター』シリーズが世界的なベストセラーになりましたが、「魔法」とは正確にいうと「魔術」のことです。
それでは、魔術とは何でしょうか。西洋の神秘学などによれば、それは人間の意識、つまり心のエネルギーを活用して、現実の世界に変化を及ぼすことです。
ならば、相手のことを思いやる「こころ」のエネルギーを「かたち」にして、現実の人間関係に変化を及ぼす礼法とは魔法そのものなのではないでしょうか。
また礼法以外にも、江戸しぐさ、愛語、笑い、祭り、掃除など、人間関係を良くする魔法がこの世には多く存在します。それらのサワリを紹介しました。



特に、今日は曹洞宗の講演ということで、道元の唱えた「愛語」についてお話しました。
愛語は、日本の仏教が生んだ言葉です。曹洞宗の開祖である道元の著書『正法眼蔵』の中に『愛語』は登場します。愛語とは、他人に対してまず慈愛の心を起こし、愛のある言葉を施すことです。たとえば、新聞配達や宅配便の人に「暑いところを、ご苦労さま」とか、外食した際には「ごちそうさま。おいしかったです」と、感謝の言葉をかける。挨拶するときの「お元気ですか」とか「お大事に」なども愛語です。
道元によれば、愛語を使うことは愛情の訓練につながるそうです。そして、「愛語よく廻天す」と述べています。言葉ひとつで相手に元気になる力を与えているのだというのです。言葉づかいそのものにも、その人間の徳が表れるのです。



道元が愛語の重要性を説いてから500年後、若き日の良寛が『正法眼蔵』を読んで感動しました。そして、自らも愛語を心がける人生を送ります。最晩年に、ふと筆を取った良寛は『愛語』の全文を書き写し、沙門良寛謹書と署名しました。
良寛は、さまざまな愛語を大切にしました。たとえば、「お変わりございませんか」。身体の具合はどうなのか、何か困っていることはないか、何か悩んでいることはないか、などなど、相手のことを気づかっているのです。
別れ際には、「ごきげんよう」とか「どうかお大事に」、または、「お気をつけて」とか「どうかお達者で」という愛語をかけます。また、よいことをした人がいたら、「よくやったねえ!」「すばらしいねえ!」という愛語で誉めてあげます。よいことに恵まれた人がいたら、「おめでとう!」「よかったねえ!」という愛語で祝福してあげます。
一方、世の中には不運な人もいます。努力したのに報われなかったり、ひどい災難に遭ってしまったりした人がいたら、なぐさめてあげます。手を取り合い、ともに涙を流しながら「たいへんでしたね」「つらいことでしたね」という愛語でいたわってあげます。
わたしたちは、言葉の持つ偉大な力を知らなければなりません。



流行語になった「無縁社会」ですが、もともと「無縁社会」という日本語は変です。
なぜなら、「社会」とは「関係性のある人々のネットワーク」という意味だからです。
ひいては、「縁ある衆生の集まり」という意味だからです。
「社会」というのは、最初から「有縁」なのです。ですから、「無縁」と「社会」はある意味で反意語ともなり、「無縁社会」というのは表現矛盾なのです。
どうも、「無縁社会」という言葉には、心霊番組「あなたの知らない世界」のように、無理矢理に人を怖がらせようとする意図があるように思えます。
というのも、NHKの一連の番組作りを見ると、どうも、そこには「絶望」しかないように思えました。どう考えても、「希望」らしきものが見当たらないのです。


「隣人」の役割について話しました

隣人祭り」について説明しました



いたずらに「無縁社会」の不安を煽るだけでは、2012年に人類が滅亡するという「マヤの予言」と何ら変わりません。それよりも、わたしたちは「有縁社会」づくりの具体的な方法について考え、かつ実践しなければなりません。
隣人祭りの精神に「相互扶助」を見たわたしは、わが社で隣人祭りのお手伝いを行ってゆくことにしました。まずは、08年の10月に日本で最も高齢化が進行し、孤独死も増えている北九州市での隣人祭りのお手伝いをさせていただきました。その後、2009年には年間で60回、2010年は130回、2011年には500回以上開催しています。


心ある謝辞を頂戴しました

「ゆかり(縁)」という海老せんべいを頂戴しました



いま、「無縁社会」を「有縁社会」に変えなければなりません。まずは、地縁再生から!
これからも、隣人祭りを通じて、地域の人間関係が良くなるお手伝いがしたいと述べました。参加者のみなさんは、真剣なまなざしで1時間半の話を熱心に聴いて下さいました。とんだ「釈迦に説法」でしたが、住職の方たちから盛大な拍手、そして心ある謝辞も頂戴して、感激しました。謝辞の後で頂戴したのは、今日のテーマである「有縁社会」にちなんで、「ゆかり(縁)」という海老せんべいでした。


著書もたくさん売れました

講演後は、懇親会が開かれました



わたしの著書の販売コーナーも設けられ、多くの方々に本を購入していただきました。講演終了後は曹洞宗の僧侶の方々との懇親会が開かれ、大いに意見交換させていただきました。みなさまとの御縁に心から感謝いたします。


2012年5月25日 一条真也