高橋容疑者の逮捕

一条真也です。

東京に来ています。
11時から神谷町で取材があったので、地下鉄に乗ると、「オウム高橋逮捕」と大きく書かれた日刊紙が目に飛び込みました。逃亡12日目にして、ついにオウム逃亡犯の高橋克也容疑者が逮捕されたのです。蒲田駅前の漫画喫茶で発見されたとか。


日刊ゲンダイ」6月16日号


高橋容疑者は中沢新一著『三万年の死の教え』(角川書店)を愛読していたそうです。
(その後、高橋容疑者は松本智津夫麻原彰晃)死刑囚が書いた『イニシエーション』『マハーヤーナ・スートラ』など十数冊の教団本や宗教書を所持しながら逃走していたことがわかりました。詳しい書目リストを見たいです)
『三万年の死の教え』は、チベットの『死者の書』について書かれた本です。
死者の書』には「人の魂は不滅である」ことが説かれており、「死」の恐怖が薄らぐ内容だと言えるでしょう。そのような本を愛読していた人物が、「死刑」を恐れて17年間も逃げ続けたというのは、なんだか哀れですね。高橋容疑者が中沢新一氏の本を読んでいたことについて、かの島田裕巳氏も最近いろいろ発言しているようです。



島田氏といえば、幻冬舎新書から出版した『葬式は、要らない』が有名です。
じつは、神谷町で受けた今日の取材の相手は幻冬舎のスタッフでした。
同社の若手関係者3名を相手に、わたしは「3・11で『葬式は、要らない』という妄言は大津波に流された」と発言しました。かなりの時間をかけて語りましたが、3人とも福岡県出身のナイスガイでした。ちょっと、同社のイメージが良くなりましたね。
ちなみに、オウム真理教事件と『葬式は、要らない』の内容は地続きです。
ブログ『オウム真理教の精神史』で紹介した本を読めば、その理由がよくわかります。



同書で、宗教学者大田俊寛氏は、次のように書いています。
「人間は生死を超えた『つながり』のなかに存在するため、ある人間が死んだとしても、それですべてが終わったわけではない。彼の死を看取る者たちは、意識的にせよ無意識的にせよ、そのことを感じ取る。人間が、死者の肉体をただの『ゴミ』として廃棄することができないのはそのためである。生者たちは、死者の遺体を何らかの形で保存し、死の事実を記録・記念するとともに、その生の継続を証し立てようとする。そしてそのために、人間の文化にとって不可欠である『葬儀』や『墓』の存在が要請される。そこにおいて死者は、『魂』や『霊』といった存在として、なおも生き続けると考えられるのである」



大田氏は、自身のHP「グノーシス的思索」において、次のような非常に考えさせられる以下のようなコメントをわたしに寄せて下さいました。
伝統仏教諸宗派が方向性を見失い、また、一部の悪徳葬祭業が『ぼったくり』を行っていることは、否定できない事実だと思います。
しかしだからといって、『葬式は、要らない』という短絡的な結論に飛びついてしまえば、そこには、ナチズムの強制収容所オウム真理教で行われていた、『死体の焼却処理』という惨劇が待ちかまえているのです。
社会のあり方全体を見つめ直し、人々が納得のいく弔いのあり方を考案することこそが、私たちの課題なのだと思います。とても難しいことですが」
わたしは、この大田氏の意見に大賛成です。火葬の場合なら、遺体とはあくまで「荼毘」に付されるものであり、最期の儀式なき「焼却処理」など許されないことです。
大田氏は宗教の核心には死者儀礼があることを理解されています。一度、大田氏にお会いして、「オウム」と「葬儀」について徹底的に語り合ってみたいと思っています。


2012年6月15日 一条真也