真髄は別れにあり

一条真也です。

今日は、早朝から松柏園ホテルの神殿で「月次祭」が行われました。
その後、恒例の「平成心学塾」が開講されました。


今朝の月次祭のようす

最初に、佐久間会長が訓話しました



まずは、佐久間進サンレーグループ会長が話をしました。
佐久間会長は、先日ご薨去された三笠宮寛仁親王殿下の思い出を語りました。
三笠宮殿下は松柏園ホテルにも何度もお越しになられましたが、身体障害者のスポーツ振興に尽くされたように、思いやりに溢れる方でした。お名前に「寛」と「仁」という文字が入っておられましたが、まさにその名の通りに生きられた生涯でした。


松柏園ホテルで談笑される三笠宮殿下(隣は佐久間会長)



そして、佐久間会長は「さよならだけが人生だ」「グッド・バイ」という太宰治の有名な言葉を持ち出して話をしました。「さようなら」という言葉は「左様ならば、仕方ありません」という意味で、そこには別れへの覚悟が込められています。
ブログ「仰げば尊し」に出てくる「今こそ別れめ いざさらば」にも通じます。
「グッド・バイ」とは「Goodbye」で、「神の身許によくあれかし」という意味です。
「bye」は「側に」という意味ですから、神の側に行くということですね。
キリスト教から生まれた言葉ですが、これをもじって「ブッダ・バイ(Bouddha bye)」と言われた方がいました。小倉にある西蓮寺の先代の住職であった故・黒田英之氏です。全日本仏教会の副会長も務められた黒田住職は、末期がんに冒されました。
そのとき、「釈尊のお側に行ける」という意味で「ブッダ・バイ」と言われたのです。
「グッド・バイ」も、「ブッダ・バイ」も、そして「さようなら」も、奥深い言葉ですね。


わたしは、孔子ブッダの話をしました



佐久間会長に続いて、わたしも訓話をしました。
わたしは、孔子ブッダの話をしました。人類史上で、この2人を最も尊敬しています。そして、「もし孔子ブッダが今生きていたら、何をするか」という話をしました。
わたしは、次のように自分の考えを述べました。
もし孔子が今生きていたら、きっと孤独死の問題を憂うだろう。
そして、孔子は「隣人祭り」を開催するのではないかと思う。
もしブッダが今生きていたら、きっと自殺の問題を憂うだろう。
そして、ブッダは「グリーフケア」に取り組むのではないかと思う。
隣人祭り」とは、「葬祭」という人生最後の祭りの前段階である。
グリーフケア」とは、「葬祭」の後段階であると言える。
すなわち、ビフォアー・イン・アフターの流れとして見るならば、「隣人祭り」はビフォアーであり、「グリーフケア」はアフターであり、「葬祭」こそがインとなる。
人生の最大事は卒業としての「死」であり、卒業式としての「葬儀」なのだ。


人生の真髄は別れにあり!



ブログ「浄土真宗講演会」ブログ「曹洞宗講演会」ブログ「グリーフケア講演」などに書いたように、最近は仏教関係者の前で講演する機会も増えてきました。
テーマは「人とのつながり」であったり、「有縁社会」であったり、「グリーフケア」であったりしますが、必ずいつも言うことがあります。
それは、「家族の絆も、人間関係も、その真髄は別れにあり」です。
「本当に大切なものは目には見えない」と書いたのは、『星の王子さま』のサン=テグジュぺリです。本当に大切なものとは、「家族との絆」であり、家族以外の人々との「良い人間関係」に尽きるでしょう。それらは普段は目に見えませんが、可視化されて見える瞬間があります。その瞬間こそ、最期のセレモニーとしての「葬儀」のときなのです。
「サヨナラだけが人生だ」を深読みすると、このような意味が立ち上がってきます。
葬儀には、孔子の「仁」も、ブッダの「慈悲」もすべて込められています。
葬儀こそは人間社会の基盤であり、文化の根幹であると、わたしは思います。
家族の絆も、人間関係も、その真髄は別れにあります。
そして、人生そのものの真髄も別れにあるのではないでしょうか。


2012年6月18日 一条真也