うっかり八兵衛の話

一条真也です。

今日は、「サンクスフェスタ inサンレーグランドホテル」が行われました。
サンレー会員様をはじめとしたお客様が、2000人以上もお越し下さいました。
わが社の会員様をはじめとしたお客様に、「ありがとうございます」という感謝の心をお伝えするイベントです。日本語にすれば、ずばり「感謝祭」ですね。


うっかり八兵衛の元気になる話!



そのイベントのハイライトにふさわしい講演会が開催されました。
国民的人気ドラマ「水戸黄門」の「うっかり八兵衛」役でおなじみの高橋元太郎さんによる講演会です。講演のタイトルは、「うっかり八兵衛の元気になる話」で、サブタイトルが「出会いに感動、感動に感謝、ありがとう」でした。
これはもう、サンクスフェスタにぴったりのテーマではありませんか!



高橋さんは、1941年1月15日生まれ。1961年、アイドル・グループ「スリーファンキーズ」のメンバーとしてデビュー。ソロ活動を経て、映画・舞台・テレビドラマ・等、俳優として活躍。そして、「水戸黄門」の「うっかり八兵衛」役で一躍人気者になりました。
今から10年前に勇退するまで、なんと31年間の長きにわたって、高橋さんは「うっかり八兵衛」を演じてきました。最高視聴率は約44%で、31年間の平均視聴率も20%以上あったというから凄いですね。「水戸黄門」は昨年いっぱいで打ち切りになりましたが、最後のほうは10%さえ切っていました。


1000人近くのお客様で満員に!



なんと、講演会には1000人近くのお客様が訪れ、広い会場が満員になりました。
「チャチャタウン小倉」にスギちゃんが来たときも、ものすごい数の人が集まりました。
スギちゃん旋風で思ったことは、「北九州には人がたくさんいるんだ」ということ。
それと、「タレントに魅力さえあれば、いくらでも人は集まるんだ」ということです。
そのことが、今日、見事に証明されたと言えるでしょう。
スギちゃんが子どもの人気者なら、うっかり八兵衛はお年寄りの人気者です!


最初に、高橋さんは「水戸黄門」のテーマソングを歌いながら登場しました。
イントロが鳴り出した瞬間から、いきなり満員の会場が熱気に包まれます。
そして、高橋さんの歌のうまいこと! さすがは元歌手です!
歌い終わって、一言。「こんにちは、八兵衛です!」
ここで、盛大な拍手が湧き起こりました。北九州のお客さんはノリがいい。
その熱気に高橋さんも少し驚かれたようでした。
高橋さんは、「今日は、みなさん、わたしが八兵衛の格好をして出てくると思ったんじゃありませんか? そう、チョンマゲを結ってね。それが、こんなメガネをかけて背広を着たいい男が出てきたんで、“あの人、本当に八兵衛?”と疑っているのでは?」と真顔で言ってから、笑顔になって「ご安心下さい。わたしが八兵衛です!」と言いました。
ここで、また盛大な拍手が起こります。また高橋さんは、「今日は講演会ということですが、わたしは大した話はしませんよ。だって、八兵衛ですから!」
ここで、会場は怒涛のような爆笑の渦に包まれました。
いやあ、高橋さんのトークも超一流のテクニックです。


軽快なステップを披露する高橋さん



講演では、高橋さんの波乱万丈の人生が語られました。
昭和16年生まれの高橋さんは、お父さんが太平洋戦争で戦死されたため、お母さんと2人で戦後を生きてきました。高校卒業後、一度はサラリーマンになったものの、歌が好きだった高橋さんは新人歌手のオーディションを受けて、見事に合格します。
そして、「スリーファンキーズ」のメンバーとして歌手デビューを果たすのです。
デビューするやいなや、スリーファンキーズは大変な人気者になりました。
当時の歌謡曲はスタンドマイクの前で直立不動で歌うスタイルが一般的であり、ツイストやステップを取り入れた彼らの音楽が国民に新鮮に映ったのです。
その後、人気を博したアイドル・グループが「ジャニーズ」でした。
メンバーには、あおい輝彦がいました。後に「水戸黄門」の助さん役を務めた人ですね。
ブログ「ああ人生に涙あり」に書いたように、「水戸黄門」の主題歌も歌っています。
スリーファンキーズがツイストなら、ジャニーズは足を高く上げるというパフォーマンスを取り入れました。さらにジャニーズの後輩である「フォーリーブス」はバク転を取り入れました。ずっと後には「光GENJI」がローラースケートのパフォーマンスを取り入れましたが、芸能界のアイドル・グループというものはイノベーションの連続だったのです。
高橋さんは軽快なステップを披露し、さらには「ルイジアナ・ママ」を歌ってくれました。
72歳の年齢を感じさせない身のこなしと声の張りは驚きです。


「出会い」の感動を語ってくれました



そして、高橋さんは芸能界での多くの「出会い」について語ってくれました。
特に、初代の黄門役を務めた東野英治郎の思い出が興味深かったです。
高橋さんは「東野先生」と呼んでいましたが、もともと東野英治郎は泥臭い役者でした。
たしかに、黒沢明の作品などで見る彼の姿は洗練されているとは言えません。
それが「天下の副将軍」である水戸黄門を演じるわけです。
何度も映画化もされた「水戸黄門」では、いずれもノーブルな役者が黄門を演じました。
ドラマ「水戸黄門」の主役の話が来たとき、東野英治郎は「わたしは、偉い黄門様は演じません。百姓が田植えをしていたら、一緒に田植えをする。肥をかついでいる者がいたら、一緒に肥をかつぐ。そんな黄門でいいなら、やらせてもらいます」と言ったとか。
こうして、庶民の味方である「水戸黄門」が誕生したのです。
歌手出身で演技に悩んでいた高橋さんは、東野英治郎からこう言われたそうです。
「演技を勉強して、努力するのはいい。勉強して、努力すれば300段のピラミッドの頂点にだって立てる」そして、「でも、それ以上に上に行くためには何が必要がわかるかい?」と高橋さんに問いかけ、「それは人柄だよ」と言ったとか。
それを聞いた高橋さんは、「そうか、高橋元太郎の人柄がにじみ出る八兵衛を演じればいいんだ!」と思い、それで迷いが吹っ切れたそうです。いやあ、とても良い話ですね。


上を向いて歩こう」を歌いながら握手を



それから、高橋さんは「九ちゃん」こと坂本九に憧れていたことを告白しました。
高橋さんいわく、「九ちゃんこそは本物のスター。みんなを元気にできた」とか。
坂本九御巣鷹山日航機事故で亡くなってから日本は元気がなくなったそうです。
「ときどき、九ちゃんがテレビに出るだけで、日本中がどれだけ元気になったことか」と言われていました。東日本大震災のときも、「被災地を九ちゃんが訪れれば、みんな元気になれたはず」と語り、それから高橋さんは「上を向いて歩こう」を歌いました。
歌いながら会場に降りていって、みなさんと握手をしていました。
歌い終わると、「本当は、ボクは九ちゃんみたいになりたかったけど、結局なれませんでした」としんみり語り、それから「でも、みなさんのおかげで“九ちゃん”に一つ足りない“八ちゃん”になれました」と言って、大きな拍手を受けていました。
いやあ、うっかり八兵衛サン、うまいこと言いますな!


「感謝」の大切さを訴えました



最後は、九ちゃんと同じ25年前に亡くなられたお母さんの思い出を語り、感謝することの大切さを訴えました。会場の中にはハンカチで目を拭く人の姿もありました。
終了予定時間を20分もオーバーするほど、高橋さん自身も熱が入っていました。
講演後、会場全体から盛大な拍手が巻き起こったことは言うまでもありません。
高橋さんのお話は、高齢者の方々がこれから生きていく上で元気になれる内容でした。
わたしも、老人会などでお話する機会が多々あるので、とても参考になりました。


高橋元太郎さんと

CDをプレゼントされました



その後、わたしは主催者として高橋さんに御挨拶をしました。
「素晴らしいお話をありがとうございました。感動しました!」と告げると、ニッコリとされて「そうですか、ありがとうございます」と言われていました。
高橋さんと「ありがとうございます」の交換ができて、すごく幸せな気分になりました。
そして、高橋さんから1枚のCDをプレゼントされました。昨年の芸能生活50周年を記念して東京のホテル・オークラで開催したディナーショーのCDだそうです。
高橋元太郎さん、今日は、どうもありがとうございました。
これからも、どうか多くの方々を元気にしてあげて下さい。今度は、7月21日(土)に開催の「サンクスフェスタ in小倉紫雲閣」での講演、よろしくお願いいたします。


2012年6月23日 一条真也