夏越の神事

一条真也です。

今朝、サンレー本社において夏越大祓式の神事が執り行われました。
門司にある戸上神社から神主さんをお迎えし、これから暑い夏を迎える前に、会社についた厄を払って社員全員の無病息災を祈願しました。


夏越大祓式のようす

お清めのようす



わが社は儀式産業ということもあり、会社主催の儀礼や行事を盛んに行っています。
もともと、「社」というのは「人が集まるところ」という意味です。
神社も、会社も、人が集まる場としての「社」なのですね。
わたしは、佐久間会長に続いて玉串奉奠を行い、社員のみなさんと一緒に二礼二拍手一礼しました。社員のみなさん全員が、健康でこの夏を乗り切れますように!


佐久間会長の挨拶

総合朝礼で訓示をしました



夏越の神事を終えた後は、恒例の月初の総合朝礼を行い、社長訓示を行いました。
まず、今年の上半期の予算を達成できたことを社員のみなさんに報告しました。
そして、それに対する感謝の言葉を述べました。
それから、もうすぐ刊行される新刊『無縁社会から有縁社会へ』(水曜社)という本を紹介しながら、「縁」こそ冠婚葬祭業のインフラであるという持論を述べました。
この世には「縁」というものがあります。すべての物事や現象は、みなそれぞれ孤立したり、単独であるものは1つもありません。他と無関係では何も存在できないのです。すべてはバラバラであるのではなく、緻密な関わり合いをしています。
この緻密な関わり合いを「縁」と言うのです。冠婚葬祭業というのは、結婚式にしろ葬儀にしろ、人の縁がなければ成り立たない仕事です。
この仕事にもしインフラというものがあるとしたら、それは人の縁に他なりません。
「縁」の不思議さ、大切さを誰よりも説いたのが、かのブッダです。ブッダは生涯にわたって「苦」について考えました。そして行き着いたのが、「縁起の法」です。縁起とは「すべてのものは依存しあっている。しかもその関係はうつろいゆく」というものです。モノでも現象でも、単独で存在しているものはないと、ブッダは位置づけました。



「帝釈の網」という、華厳の縁起思想を巧みに表現した比喩があります。
帝釈とは「帝釈天」のことです。もともとは「インドラ」というヒンドゥー教の神ですが、仏教に取り入れられて、仏法および仏教徒の守り神になりました。
その帝釈天が地球上に大きな網をかけたというのです。地球をすっぽり覆うほどの巨大な網が下りてきたわけで、当然わたしたちの上に網はかかりました。
1つ1つの網目が、わたしたち1人1人です。網目にはシャンデリアのミラーボールのようにキラキラ光る「宝珠」がぶら下がっています。
つまり、人間はすべて網目の1つでミラーボールのような存在としたのです。


人びとが関わり合ひて支へ合ふ有縁を示す帝釈の網



この比喩には、2つのメッセージがあります。
1つは、「すべての存在は関わり合っている」ということ。
もう1つは、「個と全体の関係」です。全体があるから個があるわけですが、それぞれの個が単に集合しただけでは全体になりません。個々の存在が互いに関わり合っている、その「関わり合いの総体」が全体であると仏教では考えるのです。
網目の1つが欠けたら、それは網にはなりません。
わたしたちはすべて関わり合っている、つまり「縁」によって結ばれているのです。
そもそも社会とは縁ある者どものネットワーク(網)であり、すなわち「有縁」なのです。
無縁社会」という言葉ですが、これは言葉としておかしいのです。なぜなら、社会とは最初から「有縁」だからです。「帝釈の網」を知れば、「無縁社会」など、ありえないことがよくわかります。最後は、「大いなる自信を持って有縁社会を支えていきましょう!」と述べ、次のような短歌を披露しました。



   人びとが関わり合ひて支へ合ふ有縁を示す帝釈の網  (庸軒)



その後、サンレー本社の会議室で北九州本部会議を開きました。今日付けで松田部長が取締役に就任したので、会議の冒頭でその辞令交付を行いました。
会議では、互助会、冠婚、葬祭、関連など、各部門の議題を話し合っていきました。
会議終了後、夕方からわたしは東京に向かいます。
明日は全互連、明後日は全互協の理事会が東京で開催されるからです。
いよいよ7月になりましたが、暑さに負けずに「有縁社会」づくりのために頑張ります。


2011年7月2日 一条真也