『近代スピリチュアリズムの歴史』

一条真也です。

『近代スピリチュアリズムの歴史』三浦清宏著(講談社)を読みました。
1848年のアメリカで忽然と生まれた近代スピリチュアリズム
それは、死者と生者との交信は可能であるという思想運動でした。本書は、19世紀の「心霊研究」から20世紀の「超心理学」へと至る網羅的な通史となっています。


心霊研究から超心理学



1930年(昭和5年)生まれの著者は、作家にして心霊研究家です。
イギリスでスピリチュアリズムを研究後、日本心霊科学協会の理事になりました。
また、1998年には「長男の出家」で第98回芥川賞を、2006年には「海洞」で第24回日本文芸大賞を受賞しています。
心霊関係の作品では、わたしも読んだ『イギリスの霧の中へ』(ちくま文庫)があります。



本書は2008年、いわゆる日本の「スピリチュアル・ブーム」の最中に出版されたものですが、ずっと書斎の片隅に置かれたままでした。
このたびの一連の「幽霊」研究で、ついに読書の機会が訪れた次第です。
まず本書を手に取って思ったことは、表紙に描かれている絵が素晴らしいこと。
これは、著者の出身地である室蘭在住の画家・佐久間恭子氏の作品だそうです。
力強い筆致で神秘的なヴィクトリア朝風邸宅群が描かれていますが、著者はここに描かれた家を「降霊会を始めようとしている家」と見ているそうです。
また本書の帯には、「守護霊、オーラ、ポルターガイスト、念写」「心霊現象は物理現象か」「研究の歴史を詳細に検証する本邦初の労作!」と書かれています。



さらに帯の裏には、次のような内容紹介があります。
「1848年、アメリカ・ニューイングランド
『それ』はハイズヴィルの小村から始まった。
ポルターガイスト、降霊会、心霊写真、念写。
欧米世界を熱狂させ、また毀誉褒貶の渦へと当事者たちを巻き込んだ『超心理現象』。
近代とともに誕生したその歴史を芥川賞作家がたどる本邦初の試み」



本書の「目次」は、以下のような構成になっています。
「はじめに」
第一章:ハイズヴィル事件とその波紋
第二章:ハイズヴィルに至る道のり
第三章:心霊研究の黄金時代1〜霊能者の活躍
第四章:心霊研究の黄金時代2〜霊能者たちvs研究者たち
第五章:心霊研究後期〜英国以外の研究者たちとその成果
第六章:スピリチュアリズムの発展と挫折
第七章:超心理学の時代
第八章:日本の事情
「心霊年表」「参考文献」「あとがき」「索引」



本書が刊行された当時、某スピリチュアルカウンセラーをはじめ、テレビでは多くの「心霊」をテーマにした番組が作られ、放映されていました。
そのことについて、著者は「はじめに」で次のように述べています。
「今はテレビなどでずいぶん心霊現象が取り上げられるようになりましたが、ただおもしろがったり怖がったりするだけでなく、今までにどんな心霊現象があったのか、それらについて先人たちがどんな研究をしてきたかを知っていれば、もっと冷静に、興味深く眺めることが出来るのではないかと思います。なんとムダなことをしているのだ、と思うこともあるでしょう。私も時々、テレビ会社が莫大な金を使って外国から霊能者を呼んだり実験したりするのを見て、これを学術的に利用できたらどんなに役に立つかと思うことがあります。中には貴重な実験だと思われるものもあり、お金のない研究者にとってはまったくうらやましいことでしょう。また霊能者が話す番組などでは、聞く方の人が驚いたり涙を流したりするのをよく見かけますが、基本的なことを知っていれば、もっと突っ込んだことを訊いたり、霊能者と互角に話し合えるのではないかと思います。テレビに取り上げられるほとんどのことは、もうすでに出尽くしているばかりでなく、もっと驚くべきことが過去にはたくさんあったのです」



さて、本書はアーサー・コナン・ドイルの『スピリチュアリズムの歴史』、ナンダ・フォダーの『心霊科学事典』、ジャネット・オッペンハイムの『英国心霊主義の抬頭』の3冊を主要なテキストとして書かれています。
著者は、スピリチュアリズムについて「これは新しい時代の科学だった、少なくとも科学の仲間入りをしようとした、ということである」と述べています。スピリチュアリズムとは19世紀の科学の誕生と発展を抜きにしては考えられないというわけです。
かつて、全米スピリチュアリスト連盟は「スピリチュアリズムとは、霊媒が霊界の住人たちとの交信によって一般に提供した事実に基づく科学、哲学、宗教である」と定義をしましたが、真っ先に「科学」が挙げられています。



著者は、「科学」としてのスピリチュアリズムについて次のように述べます。
「心霊科学が科学であるかどうか、ここで論議するつもりはないが、スピリチュアリズムの誕生が当時発展途上にあった科学(とくに物理学と化学)と密接に結びついたことは疑いのないことである。叩音(壁や床を叩く音)と共に霊界からの通信が送られてきたというのは、当時始まったばかりのモールス符号による電信になんとよく似ていることだろう。実際霊媒たちが叩音と共に降霊会を始め、『叩音霊媒』という名さえもらったのはこの頃だけで、今ではほとんど稀な現象である。また科学実験の対象として有名な、人体や物品の空中浮揚や幽霊の出現などのいわゆる『物理現象』が盛んに起こったのも、D・D・ホームが活躍した1850年代から70年代にかけての初期の頃である(その後1890年代初頭にユーサピア・パラディーノが出ているが)。そのうえ最初にこうした心霊現象に夢中になったのは科学者たち、しかもクルックス、ロッジ、リシェ、W・ジェイムズなどの当時の科学の最先端にいた者たちである」



本書は、19世紀に始まった「心霊研究」だけでなく、20世紀の「超心理学」までもフォローしています。いわば、ブログ『幽霊を捕まえようとした科学者たち』で紹介した本とブログ『超常現象を科学にした男』で紹介した本を合体させたような内容です。
そこで著者は、「シャルル・リシェの言うようにウィリアム・クルックスが初めてD・D・ホームを対象に実験した1871年を心霊研究元年とすると、1930年代に超心理学が始まるまでに約60年、それから現在までさらに70年余が経っている」と述べています。
ところが、後の70年は社会的反響の強さで前の60年に及びません。
その最大の原因は、なんといっても優れた霊媒の激減であり、特に空中浮揚や死者の出現などの出来る「物理霊媒」がまったく出てこなくなったからだとされています。



このことについて、著者は次のように興味深い問題を提唱します。
「なぜ19世紀末の短い期間に彼らが集中して現れたのか、まったく不思議である。これは単なる流行というようなものではない。音楽や絵画や文学などが、或る時期に集中的に大作家を出し、流行を作ることはあるが、それはそれまでの文化的蓄積が優れた才能に影響を与え、花開くからである。しかし、体が浮き上がったり、幽霊を出したりする霊媒は、いったいどういう文化的蓄積が花開いたものなのだろうか。むしろ文化的蓄積の無いところから突然出現するのが、霊能である」
著者いわく、アンドリュー・ジャクソン・デイヴィス、フォックス姉妹、ユーサピア・パラディーノなどみなそうだとか。そして、「霊能」とは霊能者自身の言葉を借りれば「神からの贈り物」であって、人間が作る文化や社会とは関係なく現れるはずだというのです。
もちろん、「霊能」をトリックや奇術の一種と見なす者にとっては関係のない話ですが。



なぜ、優れた物理霊媒たちは集中して現れたのか。著者は述べます。
「『霊媒の時代』が出現したのは、スピリチュアリストたちが言うように宇宙を統一する知性が人類に真理を告げようとして始まったためなのか(始めたのはいいが、人間たちがあまりにも頑迷なので、一時中止して次の機会を待っているとも言われるが)、それとも、カール・ユングの言う『共時性』という宇宙意識の潜在力の働きなのか、それとも単なる偶然でしかないのか、筆者には断言することが出来ない。しかし、1930年を境として舞台ははっきりと回ったのである。『霊媒の時代』は去り、誰でもが実験に参加出来る『一般能力者の時代』となった。暗室の中での『心霊現象』から、明るい部屋の中でのESPカードやサイコロによる『サイ(PSI)の時代へ、現象があればそこへ出かけてゆく『臨床的心理学』から実験室の中で現象を起こす『実験心理学』の時代へ、一言で言えば、『心霊研究』から『超心理学』の時代へと移っていったのである』」



そして、その「超心理学」の時代を開いた人物こそは、米国ノースカロライナ州にあるデューク大学の心理学の若手教員でした。名前をジョゼフ・バンクス・ラインといいます。
1934年にラインの『超感覚的知覚』という論文が出版されるや、やがて「超心理学」と呼ばれて、たちまち「心霊研究」という古い呼び名をアカデミズムから駆逐したのです。
タイトルの原題である『Extra−Sensory Perception』の頭文字(ESP)は「テレパシー」や「透視」に代わって新しい学術用語になりました。
新しい学問の誕生を告げるのろしが上がり、人々はこれを「ライン革命」と呼びました。



本書には簡潔ながら日本についての記述もありますが、1948年にラインの著書『心の領域』が「リーダーズ・ダイジェスト」日本版に紹介されたそうです。
このとき、日本人は初めて「超心理学」「ESP」「PK」などの言葉を知りました。
『超感覚的知覚』の出版による「ライン革命」から14年後のことですが、若い日本人学徒の中にはこの新しい手法を取り入れて実験を始めました。
彼らは「日本心霊科学協会」の協力のもと、1950年に研究会を発足させ、翌年には「超自然科学研究会」と命名しました。そのときのメンバーが、大谷宗司、橋本健、恩田彰、本山博、金沢元基といった人々でした。著者は、次のように書いています。
「ラインと文通を始めていた大谷宗司は、キリスト教社会主義運動家として国際的に著名な賀川豊彦の推薦もあって超心理学研究会創立の年に渡米し、ライン研究所で研鑽を積み、本場の洗礼を受けた日本人超心理学者第1号になって帰国する。彼の仲間の数学者の金沢はESP理論に、恩田は禅の悟りや坐禅時の瞑想などとESPとの関連に、興味を持って研究に取り組んだ。一方超自然科学研究会の橋本健は超常理論の応用、商品化の方面へ進み、本山は自分が設立した『超心理学研究所』の所長として宗教と心理学の融和を目指す活動に専念、気や経絡の測定、ヨーガのチャクラの研究など、超心理学の基準を超えた研究分野に乗り出していく」
ここに登場する人々の名前は知っていましたし、何人かの著書も読んだことがありましたが、このような歴史があったことは知りませんでした。



本書を読んで初めて知った日本関連の情報はいくつかありましたが、中でも福来友吉博士が見つけた超能力者・三田光一のくだりには強く興味を惹かれました。
1030年代に東京帝国大学心理学助教授であった福来友吉は、特に透視を研究対象としました。当時評判だった「千里眼御船千鶴子や長尾郁子(「リング」貞子の母親のモデルとされています)を使って実験を行いましたが、世間の偏見は強く、被験者の霊媒たちも相次いで死にました。
最後には、福来が東大の職を追われるという不幸な結果に終わっています。
その福来が「日本において自分が出会った最高の霊媒」だと絶賛したのが三田光一でした。三田は、与えられた文字や絵を念写することも可能でしたが、さらには亡くなった人物、遠くにある絵、外国に住む特定の人物、異国の景色といった「目の前にないもの」を念写して乾板に写し出すこともできたといいます。
さらに、念写の対象となった事物や人物に関する背後の事情も透視できたとか。
三田が透視した人物の中には、2・26事件で襲撃された政治家の牧野伸顕、イギリスの心霊写真家ウィリアム・ホープ、そして弘法大師などがあります。


遠隔の地を念写したものでは、イギリスの郊外の景色などもありますが、なんと「月の裏側」の写真が残されています。当時は、もちろん人工衛星も宇宙船も実現しておらず、けっして見ることができない「月の裏側」は最大の謎とされていました。
この「月の裏側」の念写写真について、本書には次のように書かれています。
「昭和60(1985)年、福来の死後33年後に、元東大教授で日本心霊科学協会常任理事の後藤以紀が『月の裏側の念写の数理的検討』を同協会研究報告の第2号として出版した。後藤は工業技術院院長も務めたことのある電気工学界の長老で、とくに数学に長けていると言われていた。この報告書は三田光一が念写した月の裏側の写真を、NASAが作成した図形上のクレーターや『海』の位置と比較したものである。NASAは1969年7月から1972年12月にかけて月面探査機アポロ11号から17号までを打ち上げ、撮影した月の写真に基づいて地図と月球儀を作り、クレーターや『海』の名称と、月面の緯度、経度による位置を発表した。後藤は東京日本橋丸善でその地図と月球儀を見て、三田光一の念写写真と非常によく似ているのに驚いたという。彼は買い求めた月面地図の上に31ヵ所の地点を定め、それらが三田光一の念写写真の上の何処に求められるかを(つまりどのような角度で写されているかを)計算によって判定し、1つ1つ確かめていったところ31ヵ所すべてが一致したという。これは驚くべきことだ。一致したという事実が驚くべきことであると共に、心霊(超心理学)研究上驚くべき業績だと言える」



わたしも、この一文を読んで、非常に驚きました。
福来友吉三田光一のことはもちろん知っていましたが、この「月の裏側」の後日談は初めて本書で知りました。三田光一の念写そのものをトリックだして否定する人もいるようですが、著者は「本物と違わない月の裏側を月面探査機の無い時代にどういうトリックを用いて写すことが出来るだろうか。そんなトリックがあったとしたらそれこそ超能力としか名づけようがない」と述べています。わたしも、まったく同感です。
アメリカの心理学者にして哲学者であったウィリアム・ジェイムズは、心霊に関する無数のインチキやトリックを「黒いカラス」と表現して、ごくわずかな真実のことを「白いカラス」と呼びました。この「月の裏側」の念写写真こそは、その「白いカラス」なのではないでしょうか。本書には、このような貴重な情報が満載であり、最後には「索引」もついていて有用性が高いと思いました。



最後に「あとがき」で、著者は本書のことを「最初は選書メチエから出版の予定だったが、制限枚数を遥かに超えてしまったので、最終的には担当者の山崎比呂志さんと出版部長のご好意により選書以外の形で出していただくことになった」と書いています。
でも、これはちょっと鵜呑みにはできないと思います。本書のボリュームは300ページ程度であり、講談社選書メチエに収まり切れないというほどではありません。選書以外の形での出版となったのは、枚数よりも、むしろ本書の内容によるものでしょう。
わたしもよく読みますが、選書メチエは学者によるアカデミックな内容のものが多いです。しかし、本書の内容を見ると、「心霊研究史」を謳いながら、はっきり言って「心霊主義」の啓蒙書となっています。そう、著者はサイキカル・リサーチの人ではなく、スピリチュアリズムの人なのです。まあ、そのような立場を明確にしているがゆえに、本書はメリハリの効いた好著になったのだと思います。本書を読んでいると、その独特の文体から「心霊」に対する著者の愛情さえ感じられました。


2012年8月4日 一条真也