冠婚葬祭の意味を問う

一条真也です。

サロンの達人」こと佐藤修さんが、ご自身のHPの中で『無縁社会から有縁社会へ』(水曜社)を紹介して下さいました。佐藤さんには、これまでにも多くの著書を紹介していただいています。いつも、心より感謝しています。


佐藤修さんのHPより



佐藤さんは、2010年にNHKの「無縁社会」キャンペーンが話題になった頃、ブログで「無縁社会」についての示唆に富んだ記事を書かれています。
『無縁社会』という言葉を使うのはやめましょう」という記事です。
そこで、佐藤さんは次のように書かれています。
「最近、無縁社会という言葉がよく使われるようになりました。私はそのことをとても残念に思います。たしかに、一見、無縁社会であるように感じさせる事件は少なくありません。しかし、本当に無縁社会と言っていいのでしょうか。言葉は現実を説明すると同時に、新たな現実をつくりだします。そこに大きな懸念を感じています」
そんな佐藤さんは、『無縁社会から有縁社会へ』を果たしてどのように読まれたのでしょうか。気になりますが、佐藤さんは次のように書かれています。
「『無縁社会』という言葉を巡っての議論も面白いですが、私が一番興味を持ったのは、一条さんの次の発言です。
『互助会の存在は、戦後の日本社会にとって大きな意義がありました。戦後に互助会が成立したのは、人々がそれを求めたという時代的・社会的背景がありました。もし互助会が成立していなければ、今よりもさらに一層「血縁や地縁の希薄化」は深刻だったのかもしれません』
しかし、その一方で、一条さんはこう発言しています。
『おそらく、互助会は便利すぎたのではないでしょうか。結婚式にしろ、葬儀にしろ、昔はとても大変な事業だった。親族や町内の人がみんないっせいに集まるような、一大事のイベントだった。それが、互助会にさえ入っておけば、安いかけ金で後は何もしなくてもOK、結婚式も葬儀もあげられるという感覚を生み出してしまった。そのことが、結果として、血縁や地縁の希薄化を招いた可能性はあると思います』」



このわたしの発言について、佐藤さんは次のように述べられています。
「一条さんは、全日本冠婚葬祭互助協会の理事です。
そして本書は、その全日本冠婚葬祭互助協会主催の公開座談会の記録なのです。
そうしたことを踏まえて考えると、『無縁社会』と言われるような状況を生み出した責任の一因が互助会にある、という一条さんの発言は実に刺激的です。
もちろん、だからこそ、冠婚葬祭互助会は新しい社会的役割と使命を真剣に考えなければいけないと言っているわけです。一条さんは、そうした新しい取り組みを始めていますので、その発言には説得力があります。
この発言を聴いた『業界』のみなさんが発奮してくれるといいのですが。
その気になれば、大きな風を起こせるでしょう。
しかし残念ながら、風はなかなか起こっていないような気がします」


冠婚葬祭の意味やあり方を改めて問う



まことに耳の痛い言葉です。たしかに互助会業界は「有縁社会」を呼び込む大きな風を起こせる力を持っていながら、まだ起こしていません。佐藤さんは、さらに述べます。
「一条さんは、『冠婚葬祭が行われるとき、「緑」という抽象的概念が実体化され、可視化される』と考えています。そして、これからの互助会の役割は、縁を見えるようにし、良い縁づくりのお手伝いをすることだと最後に話しています。私も、冠婚葬祭の意味やあり方を、改めて問うべき時代にきているように思います。ちょっと特殊な本のように思えるかもしれませんが、生き方を考える上での示唆が沢山含まれています」



いま、冠婚葬祭互助会の社会的役割と使命が問われています。
わたしは、互助会の役割とは「良い人間関係づくりのお手伝いをすること」、そして使命とは「冠婚葬祭サービスの提供によって、たくさんの見えない縁を見えるようにすること」だと思います。それは、そのままサンレーのミッションでもあります。
佐藤さんの言葉をしかと受け止めて、これからの冠婚葬祭のあり方を問いつつ、具体的な方策を示していきたいと考えています。


2012年8月6日 一条真也