葬祭責任者会議

一条真也です。

今月20日から22日まで、サンレーグループの「葬祭責任者会議」、「総務・人事責任者会議」、「冠婚・衣装責任者会議」と、3日連続で全国会議が開かれます。
20日の16時半からは「全国葬祭責任者会議」において、社長訓話をしました。
各地から、わが社の誇る“おくりびと”たちが集結しました。


国葬祭責任者会議のようす



最初に、わたしは「国誉め」について話しました。
6月に6つの紫雲閣(せきぜん会館)がグランドオープンしたのも束の間、7月17日には新しい飯塚紫雲閣が、同月24日には新しい門司港紫雲閣がオープンしました。
ブログ「飯塚紫雲閣竣工式」ブログ「門司港紫雲閣竣工式」に書いたように、わたしは2つの紫雲閣のオープンに当たり、
その土地の伝説や歴史を調べ、それを歌に詠み込みました。
飯塚は「なつかしき故人は何処 この地より魂を送らん飯塚の里で」と詠み、門司港は「いにしへの浪漫あふるる門司港の魂の港はここにありけり」と詠みました。


「国誉め」について話しました



これは、古代日本の「国誉め」という儀式に通じます。
日本最初の歌を詠んだのはスサノオノミコトとされています。
怪蛇ヤマタノオロチを退治した後、次のような歌を詠みました。
八雲立つ 出雲八重垣 妻込みに 八重垣造る その八重垣を」
これが和歌の第一号のようですが、「出雲」という地名が歌われています。これは、そのまま「国誉め」すなわち、祝福の言霊となっています。
その土地の地名を歌に詠むことは、産土の神様への最高の礼なのです。
梅雨明けしましたが、このたびの九州の豪雨は凄まじく、まさに「経験したことのない大雨」が降りました。自然の脅威を再認識するとともに、わたしは土地の神様をおまつりすることの大事さを痛感しました。「国誉め」は産土の神にさらに礼を尽くすことです。


グリーフケアについて話しました



次に、7月11日に京都大学の稲盛記念館で開催された「こころの再生」シンポジウムで報告した「東日本大震災グリーフケア」について話しました。
わたしたちの人生とは喪失の連続であり、それによって多くの悲嘆が生まれます。
大震災の被災者の方々は、いくつものものを喪失した、いわば多重喪失者です。
家を失い、さまざまな財産を失い、仕事を失い、家族や友人を失った。
しかし、数ある悲嘆の中でも、愛する人の喪失による悲嘆の大きさは特別です。
グリーフケアとは、この大きな悲しみを少しでも小さくするためにあるのです。
2010年6月、わが社では念願であったグリーフケア・サポートのための自助グループを立ち上げました。愛する人を亡くされた、ご遺族の方々のための会です。
月光を慈悲のシンボルととらえ、「月あかりの会」という名前にしました。


「心のケア」について説明しました



1995年、阪神・淡路大震災が発生しました。そのとき、被災者に対する善意の輪、隣人愛の輪が全国に広がりました。じつに、1年間で延べ137万人ものボランティアが支援活動に参加したそうです。ボランティア活動の意義が日本中に周知されたこの年は、「ボランティア元年」とも呼ばれます。
16年後に起きた東日本大震災でも、ボランティアの人々の活動は被災地で大きな力となっています。そして、2011年は「グリーフケア元年」であったと言えるでしょう。
グリーフケアとは広く「心のケア」に位置づけられますが、「心のケア」という言葉が一般的に使われるようになったのは、阪神・淡路大震災以降だそうです。



被災した方々、大切なものを失った人々の精神的なダメージが大きな社会問題となり、その苦しみをケアすることの大切さが訴えられました。
グリーフケアは、けっして商売道具ではありません。
それは、愛する人を亡くした人の悲しみを癒す最も崇高な「こころの仕事」です。
そして、これからの“おくりびと”は単なる葬儀の実務だけでなく、ご喪家の心のケアのお手伝いもさせていただく“いやしびと”にならなければならないと述べました。


サンレー名物「末広がりの五本締め



その後、松柏園ホテルで懇親会が開かれました。大いに盛り上がりましたが、最後はサンレー・オリジナルの「末広がりの五本締め」で締めました。
さらに懇親会の後は、松柏園のラウンジで二次会も開かれました。
日頃は離れて仕事をしている仲間たちが大いに親睦を深めた夜となりました。


二次会も大いに盛り上がりました


2012年8月21日 一条真也