香水香

一条真也です。

わたしはお香が好きです。
よく書斎で香を焚きながら読書したり、執筆したりします。
とても気分が落ち着いて集中できます。
サンレーの本社は、日本最初のセレモニーホールである小倉紫雲閣の中にあるので、当然のことながら線香の香りを日常的に味わっています。
毎日香や青雲の香りにも、昂ぶった心を落ち着かせてくれるような効果があるようです。
特に気に入っているのは、「香水香」というお香です。
香をたのしむ』(現代書林)で、日本香堂の小仲正克社長、香十の稲坂良弘社長と対談させていただいたときにプレゼントされたものです。
以来、気に入って自分でも求めています。


                     香水香「花の花」


「香水香」ほど、ユニークなお香はありません。
なぜなら、「火」と「水」という反対物を一体化しているからです。
世界をつくった八大聖人』(PHP新書)などの著書にも書きましたが、わたしは「火」と「水」に人類の秘密があるような気がしています。
もともと世界は水から生まれました。水は生命の源です。しかし、人類は火の使用によって文明を生み、文明のシンボルとしての火の行き着いた果てが核兵器でした。さりとて、自動車もパソコンもケータイも、すべては火の子孫です。
もはや、人類は火を捨てて生きていくことはできません。
人類には火も水も必要なことを自覚し、智恵をもって火と水の両方とつきあってゆくしかないのです。そう、人類の役割とは、火と水を結婚させて「火水(かみ)」すなわち新しい「神」を追い求めていくことだと思います。
これからの人類の神は、決して火に片寄らず、火が燃えすぎて人類そのものまでも焼きつくしてしまわないように、常に消火用の水を携えて行かねばなりません。
そんな人類の「火水(かみ)」を追い求めていたわたしですが、最近、「香水香」の存在を知り、まさにそのシンボルになるのではないかと思いました。



古代インドから4000年をかけた香の旅は、東はお香や線香といった固形物に火をつける「火」の文化となり、西では錬金術などを経て液体そのものを香らせるという「水」の文化となりました。果てしない旅路の末に、二つの「火」と「水」の香文化は奇跡的な再会を遂げました。その場所は日本の東京は日比谷。時は明治です。
日比谷の元薩摩藩装束屋敷跡に、東洋が西洋を追った夜会の館が誕生しました。そうです、かの鹿鳴館です。
鹿鳴館に集った西洋婦人たちが身につけたフローラルな香水の香りと、平安時代より1000年以上を受け継ぎ大切にしてきた日本女性の雅な薫衣香が、ともに漂いました。
西の香りと東の香りが交じり合い溶け合う、まるで魔法のような舞踏会が夜毎に繰り広げられました。ここで、奇跡のような香りが生まれます。鹿鳴館の誕生から25年を経て、大阪の堺で鬼頭勇治郎という若者がその奇跡を起こしました。
日本の伝統であるお香の技術で、西洋の香水のフローラルな香りを出すことに成功したのです。そのお香の名こそ、「香水香 花の花」です。



「西と東」そして「火と水」の香文化は、じつに4000年を経て再会し、四半世紀にわたる愛を育んだ後、ついに日本で結婚したのです!
香の物語は、どんな大河小説よりもドラマティックですね。
それこそ、古今東西の文学を代表する『源氏物語』や『失われた時を求めて』よりも。
今あげた2作品は、ともに「香り」を題材とした文学の代表でもあります。
ちなみに、書斎で香水香を焚きながら、『源氏物語』や『失われた時を求めて』を少しづつ読むことは、この上ない心の贅沢です。
このゴールデンウィークは、その至上の贅沢に耽るとしましょうか。


                  ハートフルフレグランスのすすめ


2010年4月30日 一条真也

『成熟市場の価値創造』

一条真也です。

昨夜は、ブログで日本香堂の「香水香 花の花」を紹介してから寝ました。
今朝起きて会社に行ったら、1冊の本が届いていました。
なんと、日本香堂の小仲正久会長の著書『成熟市場の価値創造』(東洋経済新報社)でした。いや、驚きました。この本が届くことなどまったく知らずに、昨夜のブログを書いたからです。おお、これこそ、シンクロニシティ


                 時代に翻弄されない経営哲学


早速、昼休みに一気に読みました。
「善は急げ」じゃなくて、「シンクロは急げ」です。
小仲会長と親交があったドラッカーのことも書かれており、非常に興味深く読みました。
小仲会長は、本書の「はしがき」で、「時代の変化というものばかりは押しとどめることのできないもののようです」と述べ、さらに次のように書いています。
「半世紀あまり経営者として常に変転する世界を見てきましたが、現代はその速さと質においてこれまで経験したことのない難しい時代であることを実感しています。わずか10年前と比較してさえ流れゆく風景が違って見えるようになりました。」
わけても大きな変化は社会や市場が成熟したことであると、小仲会長は考えます。
その成熟社会、成熟市場の中でも、小仲会長は一貫して「日本人の幸せとは何か」を考え、外なるイノベーションと内なるイノベーションに挑むのです。
そう、「顧客の創造」がマーケティングなら、イノベーションは「価値の創造」です。
そして、これはマネジメントの神様であるドラッカーの考え方ですね。




日本香堂さんは、もちろん薫香業最大手ですが、文化事業にも力を入れられ、これまで多くの海外の賢人を日本に招いて講演会などを開催してきました。
そのメンバーは、ピーター・ドラッカーを筆頭に、アルヴィン・トフラー、フィリップ・コトラー、ダニエル・ベルなど、まさに錚々たる顔ぶれです。
そんな文化企業に対して、『脱工業化社会』の著者として有名な未来学者のダニエル・ベルは、「日本香堂は日本文化の伝道師である」と述べています。
また経営学者のドラッカーは、「ファミリー企業の利点は長期的ビジョンをもてることであるが、日本香堂にはその長期的視点がある」と語っています。
「マネジメントの本質〜ドラッカーから学ぶ」という章において、小仲会長は、自分は学者ではないからドラッカーを自分流に解釈していると述べています。ドラッカーの膨大な著作を読んで何かを決定するのではなく、「こういう考え方をする人だ」というドラッカー像を自分の中に作っておき、「この場合、ドラッカーならこう主張するだろう」と推測し、「したがって、このビジネス場面ではこのような意思決定をすべき」と考えるというのです。膨大なドラッカーの著作を読んで「ドラッカー山脈」に迷い込むより、講演やセミナーなどでドラッカーの考え方を総合的に理解・把握しようとしたそうです。
ドラッカーの思想を自分流に汲んで、自分なりにドラッカーが述べたことや書いたことを理解しようと努めたという小仲会長は、次のように述べます。
ドラッカーは『それぞれのドラッカー』でよい。一つの記述や言葉を、それぞれに解釈してもいいと思います。場合によっては、人によって異なる結論が出てもよい。そう私は考えています。」
小仲会長の読み方は、まさに経営者の読み方だと思います。
そして、ドラッカー思考を完全に自身の血肉とする読み方です。
ドラッカーの考え方を総合的に理解・把握するというのは、わたしも同感です。
「この考え方は、ドラッカーの本に書いてあった」と思って、出典を調べても出てこないことがあります。実際にドラッカーがその考え方を著作に書いたわけではなく、わたしが「ドラッカーならこう考えるだろう」と推測していたわけです。
また、本書で小仲会長がドラッカーの思い出を語っている部分で、「ドラッカーはサービス精神が旺盛な方です」という言葉が印象に残りました。講演に招いて、「こういうことをしゃべっていただけないか」とお願いすると、快く承諾してくれたそうです。
普通は気分を害するようなことでも、こちらの要望に沿うように話してくれる。
しかも、理論づけて話してくれるので、「つくづくサービス精神が旺盛で気配りのある方だと思います」というのです。わたしは、実際にドラッカーに会ったことがありませんので、このエピソードには非常に興味を抱きました。
サービスといえば、元ノードストローム副社長で『サービスが伝説になる時』の著者でもあるベッツイ・サンダースと小仲会長との対話も、本書に掲載されています。



本書に添えられた「出版のご挨拶」には、小仲会長は「私も、まもなく経営者として50年を数えます」と書かれていました。
本書を読んで、わたしは成熟した経営者から漂う香りを嗅いだ気がしました。
わたしは「香り」という言葉がいわゆる「匂い」のみならず、「雰囲気」ひいては「品格」や「風格」といった意味でも使われることを、昔から興味深く思っていました。
そう、人や企業にも「香り」はあるのです。
では、人や企業の「香り」とは何に由来するのでしょうか。
わたしは、まず「命」というものが重要ではないかと思います。
天から与えられる命は「使命」とも呼ばれます。
使命は英語で「ミッション」となり、個人のみならず会社においても「命」そのものです。
ドラッカーは「仕事に価値を与えよ」と述べましたが、これはとりもなおさず、その仕事のもつミッションに気づくということに他ならないでしょう。
わたしの仕事は冠婚葬祭業ですが、これほど価値のある仕事はないと心の底から思っています。そして、わが社の大ミッションは「人間尊重」であり、小ミッションは「冠婚葬祭を通じて、良い人間関係づくりのお手伝いをする」と定めています。



ミッションに並んで大事なものがアンビションです。
かつてクラーク博士は「BOYS BE AMBITIOUS」と言いました。
「少年よ、大志を抱け」の訳語は有名です。
つまり、アンビションとは「志」のことです。
「志」というのは何よりも「無私」であってこそ、その呼び名に値します。
簡単にいえば、「自分が幸せになりたい」というのは夢であり、「世の多くの人々を幸せにしたい」というのが志です。
夢は私、志は公に通じているのです。
自分ではなく、世の多くの人々。
「幸せになりたい」ではなく「幸せにしたい」、この違いが重要なのです。
社会的に大きな事を成した偉人や成功者の言葉などに触れると、「幸せになりたい」ではなく「幸せにしたい」という想いが強く感じられます。
つまり、彼らには「夢」ではなく「志」があったのです。
そして、彼らには人間としての風格、すなわち「香り」がありました。
香り高い人物をめざすのなら、ぜひ世のため人のために「志」を立てるべきです。
一人の人間の心の焦点が「私」から「公」に移行し、それを宣言したときから、もはや一人の問題ではなくなり、周囲の人々も巻き込まれてゆきます。そして、ひとたび立てられた「志」は、立てられた瞬間から一時も休まず実現に向かって進んでゆくのです。
個人の人生においても企業の経営においても、これからは使命と志を最重要視した「ミッション・アンド・アンビション」のM&Aが重要ではないでしょうか。



大きな使命を抱き、高い志を立てている人や企業からは、えもいわれぬ高貴な香りが漂っているはずです。なお、日本香堂には「青雲」という名前の線香がありますが、これは「青雲の志」という言葉を連想させます。
わたしは、ときどき「青雲」に火をつけて、その香りを嗅ぎます。
そして、かつての幕末維新の志士たちに想いを馳せ、自身を鼓舞するのです。
「青雲」の香りを嗅いでいると、本当に元気が出てきます。
みなさんも、ぜひ、お試し下さい。
わたしは、本書から「青雲」の香りが漂っていると感じました。


2010年4月30日 一条真也