『いっぺんさん』

一条真也です。

『いっぺんさん』朱川湊人著(実業之日本社)を読みました。
帯には「今まで読んだ小説で一番泣けた」とのキャッチコピーが大きく踊っています。
また、「じわじわ怖い、じんわり泣ける。傑作ホラー&ファンタジー集!!」とも書かれています。たしかに秀作揃いの書き下ろし短篇集でした。


                   傑作ホラー&ファンタジー


本書には、「いっぺんさん」「コドモノクニ」「小さなふしぎ」「逆井水」「蛇霊憑き」「山から来るもの」「磯幽霊」「磯幽霊・それから」「八十八姫」の9短編が収められています。
それぞれの作品には、とても奇妙な味わいがあります。
いっぺんだけ願いは必ず叶う神社の物語である「いっぺんさん」は驚きと感動の名作ですが、ネタバレになるので詳しい内容は書けません。
この物語には著者の一貫したテーマである「時代の翳り」も扱われています。
また、鳥使いの老人と少年の心の交流を描いた「小さなふしぎ」、田舎に帰った作家が海岸で不思議な女に出会う「磯幽霊」など、物語の情景が鮮やかに目に浮かぶようで、そのまま映画にしたくなります。



そして、わたしが一番好きなのは、最後の「八十八姫」です。
いわゆる人身御供ものですが、ハスミという少女が山のお嫁さんになると決まり、彼女に淡い恋心を抱いていたヒロという少年は狼狽します。
ハスミが最後の思い出に両親に東京見物に連れて行ってもらい、ヒロにおみやげの東京タワーのミニチュアを渡すところなど、涙なしでは読めませんでした。
そして、ハスミは別れを悲しむヒロに「必ず、また会えるから」と励まして、こう言います。
「大丈夫。ちゃんと会える。でも、そん時は、きっと今のハスミの格好はしてねぇと思うから・・・・・もしかすっと、ヒロくんの方が気づかねぇかもしんねぇな」
この言葉をハスミから聞いたヒロは、彼女が山のお嫁さんになった後、彼女を求めて何度も山に出かけます。「八十八姫」には、次のように書かれています。
「確かにその言葉通り、初めはまったく気がつかなかった。何度山の中を歩いても君らしき影を見ることはなかったし、君が化身したと感じられるような動物に出会うこともなかった。
 けれど、ある時、ふと気づいたのだ。
 この山を渡ってゆく風――それは、君の息吹そのままだ。
 その風に揺れる緑のざわめき――それは君の囁き声だ。
 二人で時を過ごした河原に行けば、川のせせらぎが君の笑い声に聞こえる。足元の石を拾って握りしめれば、なぜだか、ほんのりと温かい。
(君は山になったんだね)
(この山のすべてに、君の命が溶け込んでいるんだね)
 それを悟った時の僕の嬉しさが、君に伝わるだろうか。
 確かに君は、すでにハスミの姿をしていないけれど、もっと大きな、もっと普遍なものに変じていたのだ」



これは、あの「千の風になって」そのものの世界ですね。
わたしも、死別した人とは必ずまた会えると思っています。
しかし、その再会の仕方はさまざまです。天国で会えることもあれば、生まれ変わった相手とこの世で会えることもある。そして、光や風になって会えることもあるのです。
それは、わたしが作詞した「また会えるから」にも歌われています。
『かたみ歌』『花まんま』『都市伝説セピア』『白い部屋で月の歌を』、そして『いっぺんさん』と読んできて、わたしはそのすべてに死者との再会の物語が含まれていることに気づきました。いずれも「また会える」というメッセージが込められているのです。
そうです、朱川湊人という作家の正体は、グリーフケア文学の旗手だったのです。
わたしは、彼の一連のグリーフケア文学を一気に読み終えました。
そして、今日で“四十九日”を迎えるハリーのことを思い出しました。


わたしは、朱川湊人現代日本を代表するファンタジー作家だと思います。
グリーフケア文学とは、ファンタジーという形式と相性が良いのです。
わたしは昨年の秋、『涙は世界で一番小さな海』(三五館)というファンタジー論を刊行しました。その本で、アンデルセンの「人魚姫」「マッチ売りの少女」、メーテルリンクの「青い鳥」、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」、サン=テグジュペリの「星の王子さま」について書きました。これらの作品は、やさしく「死」や「死後」について語ってくれるばかりか、この地上で生きる道も親切に教えてくれます。
さらには、「幸福」というものの正体さえも垣間見せてくれるのです。
わたしは、これらの作品を「ハートフル・ファンタジー」と呼びました。
「死」の本質を説き、本当の「幸福」について考えさせてくれるハートフル・ファンタジー
それは、読む者すべてに「老いる覚悟」と「死ぬ覚悟」を自然に与えてくれます。
わたしたちは、どこから来て、どこに行くのでしょうか。
そして、この世で、わたしたちは何をなし、どう生きるべきなのでしょうか。
そのようなもっとも大切なことを教えてくれる物語がハートフル・ファンタジーなのです。 



これまで数え切れないほど多くの宗教家や哲学者が「死」について考え、芸術家たちは死後の世界を表現してきました。医学や生理学を中心とする科学者たちも「死」の正体をつきとめようとして努力してきました。
それでも、今でも人間は死につづけています。死の正体もよくわかっていません。実際に死を体験することは一度しかできないわけですから、人間にとって死が永遠の謎であることは当然だといえるでしょう。
まさに死こそは、人類最大のミステリーであり、全人類にとって共通の大問題です。
その謎を説明できるのはハートフル・ファンタジーしかないと思います。なぜ、自分の愛する者が突如としてこの世界から消えるのか、そしてこの自分さえ消えなければならないのか。これほど不条理で受け容れがたい話はありません。その不条理を受け容れて、心のバランスを保つためには、物語の力ほど効果があるものはないのです。
どんなに理路整然とした論理よりも、物語のほうが人の心に残るものです。
そして、もっとも人の心の奥底にまで残る物語とはハートフル・ファンタジーに他なりません。それは、人類最大のミステリーである「死」や「死後」についての説明をし、さらには人間の心に深い癒しを与えてくれるのです。
朱川湊人の作品からは、ハートフル・ファンタジーの豊かで優しい香りがしてきます。


                 ハートフル・ファンタジーとは何か


2010年10月13日 一条真也

ハリーの四十九日

一条真也です。

大切な家族の一員だった愛犬ハリーが亡くなって、今日で49日目です。
すなわち、「四十九日」を迎えたわけです。
この期間は、仏教でいう「中陰」であり「中有」ですね。死者が生と死、陰と陽の狭間にあるため「中陰」と呼ばれるわけですが、あの世へと旅立つ期間を意味します。
もちろん、ハリーは人間ではありません。
でも、わたしにとっては、また家族にとっては、かけがえのない存在でした。

                  玄関のメモリアルコーナー


わたしは東京出張した際、紀尾井町ホテルニューオータニでよく打ち合わせます。
先日、ニューオータニのタワー館の1階にあるフラワーショップでハリーそっくりの犬の人形を見つけました。早速買い求め、家に持って帰ったところ、みんな「本当に、よくハリーに似ている」と言って涙ぐんでいました。
その人形はハリーが生前に使用していた首輪の中に入れて玄関の飾り棚に置き、遺髪が入った箱、天使の人形、家族との写真などと一緒に置きました。
ちょっとしたメモリアルコーナーができました。



じつは、一昨日、次女と一緒に動物病院に行きました。
ウサギのティミーの目に異常を発見したので、連れて行ったのです。
待合室でティミーを抱いて診察を待っていたら、診察室の扉が開いて、看護婦さんがある家族に向かって「どうぞ、お入り下さい」と声をかけました。
すると、おじいちゃん、おばあちゃん、高校生の長女、中学生の次女、小学生の三女とおぼしき人々がゾロゾロと中に入って行きます。
チラッと診察室の中が見えたのですが、診療台の上に小さな棺が置かれていました。
そして、「うわーん!」という女の子の泣き声が聞こえてきました。
「ワンちゃん、起きて! ワンちゃん、起きて!」と叫んでいます。
おそらく、「ワンちゃん」という名の愛犬の臨終の場面なのだと推察されました。
小学1・2年生ぐらいの女の子は、「ワンちゃんが死んじゃうなんて嫌だ〜!」と泣き叫んでいました。診察室の中にはお父さんとお母さんもいたようで、総勢7名の家族全員で泣いていました。それを見て、わたしは「ああ、どこの家でも、悲しみは同じように訪れるのだなあ」と思いました。
そして、おじいちゃん、おばあちゃんはかなりの高齢に見えたのですが、「そう遠くない将来、この二人も人生を卒業していくだろう」と思いました。
そのとき、女の子はまた大いに泣くことでしょう。
でも、今日の悲しみが、今日の涙が、その日のためのレッスンになります。
ワンちゃんは、女の子にとても大切なことを教えてくれたのです。これほど家族から惜しまれながら、この世を旅立って行ったワンちゃんは、きっと幸せだったでしょう。


                  ハリー、元気にしてるかなあ?


わたしたち家族も、ハリーを心から惜しみ、感謝の念とともに送り出してあげました。
ハリーを失ってからの喪失感は、思った以上にこたえました。
わたしにとって、どれだけ大切な存在であったかを思い知らされました。
人類にとって最初の友は犬だったそうです。「GOD」を逆にすると「DOG」になりますが、犬とは神から遣わされた人間の友なのかもしれません。
わたしは、ハリーにまた会えることを知っています。
月の世界でフリスビーできることを知っています。
ハリーとの再会を楽しみに、とりあえずは庭にお墓を作ってあげたいと思います。


2010年10月13日 一条真也

ハリーの墓

一条真也です。

今日で四十九日を迎えたので、ハリーの墓を作ってあげました。
ハリーが大好きだった庭の大好きな場所に穴を掘って、骨を埋めてあげました。
池の脇にある築山の中で、ここなら我が家の全体が見渡せます。
すぐ近くの木の枝に「Harry’s House」の表札をかけ、2体の天使も置きました。
きっと、ハリーも寂しくないと思います。娘たちが学校から帰るのを待ち、みんなで一緒に穴に土をかけ、長女がわざわざ買ってきたインドの線香に火をつけました。


                  庭にハリーの墓を作りました


とりあえず、四十九日の今日、簡単な墓を作りました。
もしかしたら、そのうち作り直すかもしれません。
また、今月の22日にはサンレーグランドホテルで「月への送魂」が行われるので、そのとき、ハリーの魂も月に送ってあげたいと考えています。
現在、葬式無用論に続いて墓無用論が取り沙汰されているようです。
わたしは、地球人類みんなの墓としての「月面聖塔」の建立を願う人間です。
でも、この地上における墓もやはり必要ではないかと思います。
何より、生き残った者が死者への想いを向ける対象物というものが必要だと思います。
以前、「千の風になって」が流行したとき、「私のお墓の前で泣かないで下さい、そこに私はいません」という冒頭の歌詞のインパクトから墓無用論を唱える人が多くいました。
でも、新聞で名古屋かどこかの葬儀社の女性社員の方のコメントを読み、その言葉が印象に残りました。「風になったと言われても、やはりお墓がないと寂しいという方は多い。お墓の前で泣く人がいてもいい」といったような言葉でした。
わたしは、風になったと思うのも良ければ、お墓の前で泣くのも良いと思います。
死者を偲ぶ〈こころ〉さえあれば、その〈かたち〉は「何でもあり」だと思っています。



千の風になって」は、もともと作者不明の、わずか12行の英語の詩でした。
原題を「I am a thousand winds」といいます。
欧米では以前からかなり有名だったようです。
1977年、アメリカの映画監督ハワード・ホークスの葬儀では、俳優のジョン・ウェインがこの詩を朗読しました。また、1987年、マリリン・モンローの25回忌のとき、ワシントンで行なわれた追悼式の席上でも朗読されました。
かつて、この詩の存在を週刊誌で知った1人の日本人がいました。
星山佳須也さんという方で、三五館という出版社を経営していました。
大きな感銘を受けた星山さんは、1995年にこの詩を出版しました。作者不明の不思議な詩は、『1000の風〜あとに残された人へ』(三五館)として、初めて日本語に訳されました。この本はグリーフケア・サロン「ムーンギャラリー」で販売しています。



この詩が出版されるや、多くの人々の心をとらえました。
とくに愛する人を亡くした人々の心を強くとらえました。ノンフィクション作家の柳田邦男さんも、その一人でした。柳田さんは、息子さんを自殺で失うという壮絶な経験をされています。わが子を亡くした喪失の悲しみから立ち直ることができずに苦しんでいた柳田さんは、知人から教えられて「1000の風」とめぐりあい、はじめて癒されたと実感したとか。
柳田さんは阪神・淡路大震災の被災者をはじめ、愛する人を亡くした人々向けに「悲しみを糧に生きる」という講演を神戸などで開催されています。そこで自ら用意したスライドを見せながら、時間をかけてゆっくりとこの詩を朗読しました。
柳田さんは、「私はこの詩に強烈なリアリティを感じるのだ」と語っています。講演会に集まった、家族を失った遺族の人々によって口コミで「1000の風」は日本中に広まってゆきました。さまざまな人の葬儀で朗読されたり、追悼文集などに掲載されました。



郷里の高校の同級生の追悼文集でこの詩と出会い、衝撃を受けた人物こそ、作家の新井満さんでした。新井さんは『1000の風』を一読して、心底からおどろいたそうです。なぜかというと、その詩は「生者」ではなく、「死者」が書いた詩だったからです。
追悼文とは、その名のとおり、あとに残された人々が死者を偲んでつづる「天国へ送る手紙」です。しかし、この詩は、死者が天国で書いて「天国から送り届けてきた返信」ともいうべき内容なのです。
新井さんは、そのような詩に生まれてはじめて出会って、素直にびっくりしてしまったのです。そして、「この詩には、不思議な力があるな」と感じたそうです。その力が読む者の魂をゆさぶり、浄化し、忘れはてていたとても大切なことを思い出させてくれるのだというのです。新井さんは、この不思議な力をもつ詩に曲をつけてみたいと思い立ち、自身による新訳にメロディーをつけました。
それが、「千の風になって」です。CD化やDVD化もされて大ヒットし、現実の葬儀でも、この曲を流してほしいというリクエストが絶えませんでした。
喪失の悲しみを癒す「死者からのメッセージ」として絶大な支持を受けたのです。


                  もともとハリーは風だった!


ハリーの墓の前で佇んでいると、どこからともなく風が吹いてきました。そのとき、わたしは、「ああ、ハリーは風になったのではなく、もともと風だったんだ!」と悟りました。
わたしは、ハリーとよくフリスビーをしました。
ハリーとフリスビーをするとき、たまらなく自由を感じました。
本当にドッグランというのは美しいと心から思いました。
スパニエル犬の長い毛が全力疾走によってエレガントに流れるさまに、たまらなく風を感じ、わたしの心が自由になったのです。
風鈴は聴覚によって、風車は視覚によって風を感じさせるものとされます。
しかし、ドッグランは「ヘヴンズ・ブレス」すなわち「天の息」であり、生命現象のメタファーとしての風をそのまま表現しているのです。
フリスビーを追って駆け出すハリー、そしてフリスビーをキャッチして駆け戻るハリーは「天の息」そのもの、すなわち風そのものでした。
もともと風だったハリーは、そのまま風として空を吹き渡っているのです。
そして、わたしが墓の前に立つときは、きっと墓の中に入ってくれるのでしょう。
わたしは、ハリーの墓の前で手を合わせ、心から祈りました。
そして、ほんの少しだけ涙を流し、それから風になったハリーを感じました。


2010年10月13日 一条真也