月の噴水

一条真也です。

26日(土)は、朝からサンレーグループの決算報告でした。
一日中ずっと集中して数字と向き合っていたので疲れました。
でも、増収増益を確認できて安心しました。ありがたいことです。
また今日、新しい「ムーンサルトレター」がUPされました。第67信です。


                  ムーンサルトレター第67信                 


今回は、鎌田先生からの返信がなかなかなかったので少し心配していました。
しかし、鎌田先生からのレターの冒頭には次のように書かれていました。
「Shinさん、お返事が遅れ、申し訳ありません。2月18日に、Shinさんからのレターをいただきました。が、わたしがその返事をしたためているのが、2月25日、ちょうどまる1週間後となってしまいました。あまりにもめまぐるしく、あわただしく、なすべきことが多く、ゆっくりとお返事を書く時間が取れませんでした」
鎌田先生は、このレターを香川県県民ホールで開催された五木寛之氏とのトークショーの控室で書かれたそうです。そういえば、五木氏にも『満月交感 ムーンサルトレター』(水曜社)をお送りしているのですが、読んで下さったでしょうか? 
すごく気になりますねぇ。
ということで、今回の「ムーンサルトレター」は、満月からずいぶん時間が経ってからのUPとなりました。月は、どんどん欠けていったのです。

    
               変化する月の噴水
                      

月といえば、ブログ「月の広場」で紹介しましたように、わが社の小倉紫雲閣には月の満ち欠けによって変化する噴水があります。現在、その噴水が青白く輝いています。
噴水内の水中にLEDライトを沈めて使用したところ、噴水部分が青い月のように浮かびあがり、非常に幻想的です。多くのお客様から好評を得ているようです。



なぜ変化する噴水を作ったかというと、太陽が神の生命のシンボルなら、人間の生命のシンボルは月だからです。日ごと満ちては欠ける月は、生まれて老いて死ぬ、そしてまた再生する人の生命そのものだからです。
わたしは、その事実が愛する人を亡くした人の悲しみを癒すグリーフケアの大きな力になると思いました。そして葬送のの舞台としての「月の広場」を一昨年、日本最初のセレモニーホールである小倉紫雲閣内につくりました。


                    月も人も死んで再生する


コンピューター制御により、実際の月齢にあわせて可変する噴水を備えた「月の広場」が完成したとき、大きな話題となりました。
おそらく、今回のLEDライト導入によって、再び話題を呼ぶことでしょう。
愛する人を亡くした悲しみに暮れる方々が、噴水の変化から月の満ち欠け、ひいては人の生命の再生を自然にイメージすることにより、少しでも心が軽くなっていただければと思っています。月の噴水が放つ幻想的な青白い光を見ていると、自然と人間の死について、また魂のゆくえについて想いを馳せてしまいます。
まさに、『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)の世界ですね。


     月は欠け人は亡くなるものなれど 月はふたたび満ちゆく人も (庸軒)


2011年2月27日 一条真也

『知の愉しみ 知の力』

一条真也です。

『知の愉しみ 知の力』白川静渡部昇一著(致知出版社)を再読しました。
わたしは、この本の2人の著者に大きな恩があり、いつも感謝しています。
お2人とも、わたしの心の中に住む賢人であります。


                    知に遊ぶ達人の対話


渡部昇一先生にはお目にかかったことがあります。
白川静先生には直接お会いしたことがありません。
でも、著書を通じて出会い、わが人生に多大な影響を与えてくれました。
まず、渡部先生の大ベストセラー『知的生活の方法』(講談社現代新書)を中学1年のときに読み、大変なショックを受けました。
読書を中心とした知的生活を送ることこそが理想の人生であり、生涯を通じて少しでも多くの本を読み、できればいくつかの著書を上梓したいと志しました。



次に白川先生との出会いは、名著『孔子伝』を読んだ時でした。
この本については、ブログ『孔子伝』に詳しく書きました。
当時、30代のわたしは著作活動を中止して、家業である冠婚葬祭業を営んでいました。
しかし、どうしても仕事に意味と誇りが見出せずに悶々とした日々を送っていたのです。
そのとき、たまたま読んだ同書で、孔子が葬祭業の出身であり、葬儀という仕事を形而上的に高めたところから、儒教が生まれたことを知りました。
このとき、初めて自分の仕事に心からの誇りを抱くことができました。
そして、わたしは一切の迷いを捨てて、社長に就任したのです。



いま、わたしは冠婚葬祭の会社を経営しながら、著作活動も続けています。
白川先生と渡部先生の著書に出会わなかったら、今のわたしはありませんでした。
どちらもわたしの大恩人であり、心から感謝しています。
お2人の著書は、わたしにとって「恩書」と呼ぶべきものです。
そして言うまでもなく、お2人は戦後の日本を代表する「知」の巨人です。
この本における対談では、巨大な2つの教養が火花を散らしつつも、とびきり美しいハーモニーを奏でています。平成18年、漢字学の大家であった白川先生は96歳で大往生されました。心から御冥福をお祈りしたいと思います
なお、白川先生の偉大な業績については、 ブログ『白川静読本』をお読みください。


2011年2月27日 一条真也