『神様のサービス』

一条真也です。

『神様のサービス』小宮一慶著(幻冬舎新書)を読みました。
著者は、日本を代表する経営コンサルタントの1人です。
本書の帯には「駅から遠いあの店が、なぜいつも満席なのか?」と大書され、続けて「熱烈なリピーターを増やす、『お客さま志向』の真髄。」と書かれています。


             感動を生み出すプラス・アルファのつくり方


本書の「目次」は、以下のようになっています。
「まえがき」
プロローグ「なぜあの店にはお客さまが集まるのか」
第1章:知らぬ間に下がる、お客さまからの評価
サービスの警鐘1――お客さまの本当の要望に気づかない企業は潰れる
サービスの警鐘2――昔うまくいったことが、今も通用すると信じている会社は潰れる
サービスの警鐘3――「満足」という土台なく「感動」を追い求める企業は潰れる
サービスの警鐘4――価格競争だけに囚われた企業は、ジリ貧になる
第2章:クレーム対応で会社の真価が問われる
第3章:お客さま視点のサービスを実現する社員教育9つのヒント
「あとがき」



「まえがき」で、著者は次のように述べます。
「仮に今、あなたの会社の商品が激安をウリにして注目されていても、あるいは、品質の高さが評判になっていても、お客さまに対する対応が良くないと判断されれば、次第に衰退し、淘汰されていくかもしれません。逆に言えば、同じように激安や高品質をウリにしていても、対応が良ければ、さらに売上げや利益を高められるのです。
また、価格を下げる努力をするにせよ、高い品質を維持するにせよ、ベースのところで『お客さまに喜んでいただく』という気持ちがなければそれらは長続きしません。その気持ちは当然対応にも表れます。お客さまへの対応が悪い会社が価格や品質での優位を維持し続けるのは難しいとも言えます。
現在、国内のほとんどすべての業界が供給過剰に陥っています。そんな状況下で、お客さまに対して良い対応ができずに生き残ることなどできないのです」



人が何かを買おうとするとき、次の3つの組み合わせから決めているとされます。
1.品質(Quality)
2.価格(Price)
3.サービス(Service)
それぞれの頭文字をとると「QPS」です。
すべてのビジネスは、「QPS」が求められるのです。
著者は、次のように述べています。
「ビジネスは『市場における他社との競争』です。これは大きな会社でも、小さな会社でも同じです。もしも今、厳しいと感じている企業があるなら、そして、それが一時的ではないと思うのなら、『QPS』の組み合わせを見直すことが大切です。ライバルと比べて自社の『QPS』がどうなっているのかを、主観を交えずに客観的に見直してみてください。自社とライバルとを見比べる場合にはどうしても『感情』が入りがちですが、素直に客観的に見直してください」
さらに著者は、「S」、特に接遇をもっと徹底するべきだとして次のように述べます。
「電話の応対、挨拶、すべての細かな接遇です。それがビジネスの基本です。接遇やサービスの追求には終わりというものがありません。また、それほどお金がかかるものでもありません。良い対応を追求し続けることが、突破口を開くきっかけになるのです」



サービス業に限らず、会社にとって最も大事なのはお客さまです。
でも、そのお客さまを大切にしている会社ばかりではありません。
著者は、次のように述べています。
「あなたの会社は、本当に『お客さまの立場に立って』行動していますか?
『お客さまのため』と『お客さまの立場に立つ』ことは違います。こちらが『お客さまのため』と思っていても、『お客さまの立場』から見れば不十分であることも少なくありません。どんな企業も例外なく『お客さま第一』と口グセのように言いますが、口先だけで終わっていることが多いと思います。ほとんどの場合、『お客さまのために』働いているつもりでも、『お客さまの立場に立っている』ことは少ないと感じます」



多くの会社は、「CS(Customer Satisfaction=お客さま満足度)向上運動」を行っています。しかし、著者は講演会などでよく、「満足より上の『感動』を目指しましょう」と話しているそうです。「満足」で満足しているようではダメで、お客さまに「感動」していただくような商品やサービスを提供することを目指すべきだというのです。
しかし、ここにも落とし穴があって、あまりにも「感動」にこだわりすぎるとダメなのです。
なぜ「感動」をめざすのかを考えるうえで、「感動」と密接な関係にある「リレーションシップ・マーケティング」が重要になってきます。
リレーションシップ・マーケティングでは、お客さまを次の6段階に分けて考えます。
1.潜在客 2.顧客 3.得意客 4.支持者 5.代弁者 6.パートナー
著者は、「感動」だけを追い求めても失敗すると断言します。
「満足」という土台もなしに「感動」させることばかり考えても、うまくいきません。
一見客には通用するかもしれませんが、常連客の目はごまかせないというわけです。



出版業界では、「感動のサービス」や「究極のホスピタリティ」といったキーワードが入った本がよく出されますね。日本のホスピタリティ・サービス企業の中では、例えば東京ディズニーランド(TDL)がよく取り上げられます。
そして、TDLとともに大阪の某ホテルや南青山の某レストランなども「感動サービス」「究極のホスピタリティ」の世界では有名です。
しかし、TDLはともかく、著者は大阪の某ホテルに対してはきわめて厳しい評価を下します。著者は、このホテルについて次のように書いているのです。
「当社では、経営者の方を対象にセミナーや早朝勉強会を定期的に開催している関係で、年に16回ほどこのホテルを利用しています。もうかなり長い間利用していますから、おそらくこれまでにセミナーを大小100回程度は開催しました。私自身も、宿泊も多いときには年に10泊程度、少ないときでも5泊はしていて、それを何年も続けているので、トータルすれば、50泊以上はしているのではないかと思います。
『究極のホスピタリティ』『一度は泊まってみたい憧れのホテル』などと評されていますが、正直、たいしたホテルではなかった時期が相当期間ありました。
その理由は例を挙げたらキリがありません。例えば私は50泊以上しているのに、長い間、名前で呼んでもらったことが一度もなかったのです」



このホテルについては、わたしもブログで書いたことがあります。
ブログではグッド・コメントしか書きませんでしたが、じつは「あれ?」と思うことがありました。まあ、同業者でもありますし、バッド・コメントは書かなかったのです。
しかし、同業者ではなく単なる得意客でしかない著者は、次のように述べます。
「このホテルのことを書いた本はたくさん出ていますし、このホテルに感動した話などもよく出てきますが、ここをよく使う私としては、『感動は別にいいから、普通の満足をさせてほしい』と本当に思っていました。『これなら普通のビジネスホテルのほうがマシだ』と思われた人もいるかもしれませんが、本当に、そうだと思います」



これだけでは気が収まらないのか、著者はさらに述べます。
「もちろん、一見客に『感動』を与えることも大切ですが、常連客に普通の満足を与えることはもっと大切だと思います。本当のサービスを知っている目の肥えたお客さま、それも常連客を満足させないと、そしてそれをやり続けないと本物とは言えません。そのひどい対応が続いた当時のこのホテルに対する私の評価は、こうです。
“一見客には「感動」を、常連客には「失望」を――”
対応がひどかった時期のこのホテルは、感動を求めてやって来る一見の『感動ハンター』にやられてしまった感があります。感動を出すために、満足という、それも常連客が求める満足をないがしろにしてしまったのです」
いやあ、「感動ハンター」とは言いえて妙ですね!
どんなサービスでも、「満足」あっての「感動」なのだということを忘れてはなりません。



企業の商品やサービスに不満がったとき、どうするか。
ほとんどの人は、文句など言いません。黙って去っていくだけです。
そういう人々のことを、著者は「サイレント・マジョリティ」と呼び、次のように述べます。
「『サイレント・マジョリティ』とは、大多数の積極的に発言しない人という意味です。モノ言わぬ『サイレント・マジョリティ』のお客さまの満足を追求しなければ真の満足は得られません。しかし私たちは、しばしば『ノイジー・マイノリティ』に振り回されてしまいます。『ノイジー・マイノリティ』とは、『やかましい少数意見』という意味です。経営コンサルタントでも、まだ駆け出しの人は、この『ノイジー・マイノリティ』の意見をあたかも大勢が言っていることのように感じてしまい、対応を誤りがちです」
著者によれば、企業も同様で、しばしば「ノイジー・マイノリティ」に振り回されるうちに、本来、大切にすべき「サイレント・マジョリティ」の真意が分からなるそうです。



さて、「感動サービス」あるいは「究極のホスピタリティ」で有名なレストランが東京の南青山にあります。このレストランはわたしも行ったことがあります。
著者は、同店について次のようにコメントしています。
「そのレストランは、お客さまと店員との何気ない会話から、店員がお客さまの趣味嗜好を素早く把握し、それをサービスに生かすという“即席のおもてなし”に定評がありました。例えば、店員が、お客さまの好きな有名人の話を小耳にはさんだら、デザートのケーキを出すときに、その有名人がプリントされた旗を立ててお出しするといった具合です。私たちが行ったときにも、デザートに出たクッキーに私たちそれぞれの本の表紙のプリントが入っていました。イベント的には興味深いものがありました。
確かに、『どうすればお客さまが喜ぶか』という視点を追求していると考えれば、こうしたサービスは、好き嫌いはあるにせよ、悪くはない試みかもしれません。私が行った日も、ナプキンにイニシャルが入っているなど、細々としたイベント的な“おもてなし”がありました。しかし私は、このレストランは本当の一流を知らない『感動ハンター』にしかウケないのではないか?と思いました」



まったく同感です。わたしも、このレストランに行ったとき、同行の人との会話をウェイターが聞いていて、突然わたしたちの会話に割り込んできてビックリしました。
そして、そのとき、わたしは感動するどころか非常に不快でした。
ワインを注文したら、わたしの名前がラベルに記されていましたが、「どうですか、お客さん!」みたいな感じが鼻につきました。わたしは、「だから、何?」と思いました。
そして、何よりこのレストランがダメだったのは、サプライズみたいなことにばかりこだわって料理そのものが美味しくなかったことでした。
著者も、わたしと同じ感想だったようで、次のように述べます。
「料理も、見た目の派手さはありましたが、特においしいとは思えませんでした。
そして何より、お節介なサービスにうんざりです。極めつけだったのは、食事を終えたころにウェイターがやって来て、別な場所に移動してコーヒーを飲んでくださいと言うのです。丁重にお断りしました。なぜなら、私は夜にコーヒーを飲むと寝つけなくなるため飲まないようにしているからです。同席したもうひとりの女性もコーヒーを飲まない人でした。それなのに、『いや、見せたいものがありますから』と、半ば強引に連れて行くのです。こうまでして見せたいものとは一体何だろう? と思って行くと、なんのことはない、当社、小宮コンサルタンツのロゴの『KCマーク』の文字が入っているカプチーノが出てきて、あとは、私の著書のカバーを添えたクッキーが出てきただけでした。レストラン側は、『ここまでお客さまのことを知っているのだ』と誇らしげでしたが、私には『感動の押し売り』にしか見えませんでした。
こうした小手先の感動を演出しようとするサービスに感動できるのは、上京したてで右も左も分からない学生さんか、普段さほどのところに行かない若いビジネスマンか、何かしらの奇をてらった『感動』を得られないと気が済まない『感動ハンター』ぐらいではないでしょうか。いずれにしてもまだ一流未満の人たちでしょう」



いやあ、よくぞ言ってくれました!
「感動ハンター」を「一流未満の人たち」というのは、その通りですね。
九州にもサプライズを売り物にした美容院などがあるようですが、だいたいこういう「感動の押し売り」サービスには問題が多いです。一流未満というか、田舎者というか、ガキ好みというか、とにかくトゥー・マッチでお節介なのです。
そして、いわゆる「ゲスト・ハウスウェデイング」と呼ばれる結婚式場にはこの手の施設が多いように思います。とにかく料理はまずいくせに「サプライズ」ばかり追求する施設も多いような気がします。そのサプライズにしても、大きな箱の中からピエロが出てくるという幼稚なレベルの演出が多い。早く、日本のブライダルから学芸会のような幼稚な演出がなくなってほしいのですが・・・・・。わたしは、これらのお節介な勘違いサービスを「なんちゃって、ホスピタリティ」と呼んでいます。



話が脱線してしまいましたが、あらゆる企業にとって「クレーム」は重要な問題です。
著者は、クレームについて次のように述べています。
「皆さんの会社では『クレーム処理』と言っていませんか。クレームは事務処理ではありません。お客さまは処理されたくありません。
クレームは『対応』するものです。『処理』してはいけないのです。
会社によっては「クレームゼロ運動」を行っているところがあるそうです。
しかし、クレームはゼロにはならないとして、著者は「ゼロにしようと躍起になっている会社は、いざ、クレームが発生したとき、社員がそれを握りつぶそうとする可能性があるため、本来、1次クレームで対応できるはずのことが、2次クレームにまで至るなど、状況がどんどん悪化してしまう危険すらあります。昔、ある社長から、『クレームが発生することよりも、クレームがないことを恐れたほうがいい』と教わりましたが、その通りです。『事故ゼロ、ミスゼロ』は会社側で注意すべきことですから、これを追求するのは当然です。しかし、『クレームゼロ』はお客さまの側のことです」と述べます。



じつは、本書を読んで、この著者は最強(最恐)のクレーマーではないかと思いました。
大阪のホテルや南青山のレストラン以外にも、著者は多くの企業を本書でやりだまに挙げています。それも、スーパーマーケットの副店長とか、ファミリーレストランのウェイトレスを相手に真剣に怒っているのです。もちろん、言い分を聞くと、著者の怒りはもっともなのですが、「こういうお客さまが来たら怖いなあ」と思う人は多いはずです。
また、著者が本書で高く評価している企業が、TDLとか加賀屋というのが「ちょっとなあ」と思ってしまいました。著者の自宅の近くにある洋食屋さんなども登場しますが、もっと普通の店で「神様のサービス」を提供する例が多いとよかったですね。
でも、正直、著者の怒りっぷりが読んでいて一番面白かったです。
いろんな意味で、本書からはたくさんヒントをいただきました。


2011年11月8日 一条真也

マネジメントとは

一条真也です。

昨日は、午後からサンレーグループの役員会、夜は懇親会が開催されました。
おかげさまで今年も満足のいく業績が残せそうで、本当にありがたいことです。
今日は、小倉から新幹線“のぞみ”で京都へ、そこから“サンダーバード”で金沢に来ました。そして、北陸大学で「ドラッカー研究」の講義をしました。


               ドラッカーの「マネジメント」を語りました


第1回目は、「ドラッカーとは」と題して、ピーター・ドラッカーの生涯と思想を振り返りました。第2回目の今日は、「マネジメントとは」がテーマです。
今日も、200人以上の学生たちが大教室を埋め尽くしました。


               200人以上の学生たちが真剣に聴きました


「マネジメント」という考え方は、ドラッカーが発明したものとされています。
ドラッカーが発明したマネジメントとは何でしょうか。
ドラッカーは、『新しい現実』(上田惇生訳・ダイヤモンド社)で、こう述べています。
「マネジメントとは、人にかかわるものである。その機能は人が共同して成果をあげることを可能とし、強みを発揮させ、弱みを無意味なものにすることである。」
「マネジメントとは、ニーズと機会の変化に応じて、組織とそこに働く者を成長させるべきものである。組織はすべて学習と教育の機関である。」
このように、マネジメントとは一般に誤解されているような単なる管理手法などではなく、徹底的に人間に関わってゆく人間臭い営みなのです。



にもかかわらず、わが国のビジネス・シーンには、ナレッジ・マネジメントからデータ・マネジメント、はてはミッション・マネジメントまで、ありとあらゆるマネジメント手法がこれまで百花繚乱のごとく登場してきました。その多くは、ハーバード・ビジネス・スクールに代表されるアメリカ発のグローバルな手法です。
もちろん、そういった手法には一定の効果はあるのですが、日本の組織では、いわゆるハーバード・システムやシステム・アナリシス式の人間管理は、なかなか根付かないのもまた事実です。情緒的部分が多分に残っているために、露骨に「おまえを管理しているぞ」ということを技術化されれば、される方には大きな抵抗があるのです。



日本では、まだまだ「人生意気に感ずる」ビジネスマンが多いと言えるでしょう。仕事と同時に「あの人の下で仕事をしてみたい」と思うビジネスマンが多く存在するのです。そして、そう思わせるのは、やはり経営者や上司の人徳であり、人望であり、人間的魅力ではないでしょうか。会社にしろ、学校にしろ、病院にしろ、NPOにしろ、すべての組織とは、結局、人間の集まりに他なりません。人を動かすことこそ、経営の本質なのです。つまり、「経営通」になるためには、大いなる「人間通」にならなければならないのです。



ハートフル・ソサエティにおいては、人々を幸福にできる心ある企業の存在が不可欠です。そのために必要とされるものが「心の経営」としてのハートフル・マネジメントです。
ハートフル・マネジメントとは、いわば、人間を幸福にする技術そのものです。
データ・マネジメントやナレッジ・マネジメントには、その本質に利己的なものが潜んでいますが、これから求められるのは、人の心の成長をどう支えていき、生きがいを共有できるかという利他的なハートフル・マネジメントなのです。


                マネジメントの歴史を説明しました


マネジメントというものは、単なる理論的な手法や分析的な手法を超えて、人間の総合力が問われる最高のアートになり得るのです。
それはもう総合的な「人間関係学」さらには「幸福学」とさえ呼べるものです。
経営者と従業員、上司と部下のみならず、先輩と後輩、コーチと選手、教師と生徒、医師と患者、親と子、夫と妻、そして恋人同士、といったようにありとあらゆる人間関係においてマネジメントの視点が必要とされるのです。
スポーツも教育も医療も恋愛も、これからはハートフル・マネジメントです! 
そのことを、エリフ・ルート、アンリ・ファヨ―ル、フレデリック・テイラー、ウラジミール・レーニンヘンリー・フォードアドルフ・ヒトラーチャーリー・チャップリン、サン=テグジュぺリ、エイブラハム・マズロー、ダグラス・マクレガーなど、多くの人々のエピソードを紹介しながら話しました。そして、その中心にあるのは、もちろん、ピーター・ドラッカーです!


                マネジメントはドラッカーに極まる


今日は、「自己刷新」「自己啓発」、そして「自己実現」についても話しました。
ドラッカーは「自己実現」の大切さを強調してきました。
そして、そのための「自己刷新」や「自己啓発」の大切さを説きました。
まず、学生さんたちに伝えたいのは「自己刷新」という考え方です。ドラッカーによれば、人間は何をもって後世の人々に記憶されたいかを常に自問しなければなりません。
彼は、著書『非営利組織の経営』(ダイヤモンド社)に次のように書いています。
「私が13歳のとき、宗教の先生が生徒一人ひとりに『何によって人に憶えられたいかね』と聞いた。誰も答えられなかった。先生は笑いながらこう言った。『いま答えられるとは思わない。でも、50歳になって答えられないと問題だよ。人生を無駄に過ごしたことになるからね』」。(上田惇生訳)
ドラッカーは、いつもこの問いを自らに問いかけてきたといいます。
これは自己刷新を促す問いです。自分自身をこれまでとは違う人間として見る問いです。しかし、まったく不可能な夢を追うものではありません。



何によって人に憶えられたいか。若い頃に誰かにそう問いかけられた人は運のよい人です。そして、その問いを自らに問いかけ続けていけば、自然と人生が実りあるものになるとドラッカーは述べています。
ドラッカーは、自己刷新に次いで「自己啓発」が大切だと述べています。
『経営者の条件』には、次のように書かれています。
「一人ひとりの自己啓発が、組織の発展にとって重要な意味をもつ。それは、組織が成果をあげるための道である。成果に向けて働くとき、人は組織全体の成果水準を高める。彼ら自身および他の人たちの成果水準を高める。」(上田惇生訳)
では、「成果」とは何でしょうか。ドラッカーは、大著『マネジメント』(ダイヤモンド社)で、「成果とは、長期にわたって業績をもたらし続けることである」と述べています。すべての仕事は成果のためにあるのであり、成果なき仕事など何の意味もありません。
ドラッカーはまた、『現代の経営』で「マネジメントを評価する究極の基準は、事実上の成果である」とも述べています。
自己啓発とは成果に向かうものです。そして、そこには責任が求められます。
自己啓発に最大の責任を持つのは、本人です。けっして上司ではありません。
人は自己啓発によって、成長していきます。自らの成長のために、最も優先すべきことは何でしょうか。それは、他人より優れているところ、つまり「強み」を見つけて、それを伸ばしていくことです。少し難しい言葉でいうと、卓越性の追及です。


              「自己刷新」や「自己啓発」について話しました


3人の石切り工の話があります。ある人が、教会建設のための石を切っている3人の男に「何をしているのですか」と聞きました。
1人目の男は「暮らしを立てている」と答え、2人目の男は「石切りの仕事をしている」と答え、3人目の男は「教会を建てている」と答えました。わが社に必要な人物は、もちろん第3の男です。この男こそ、将来の幹部候補です。
第1の男は、仕事で何を得ようとしているかを知っており、事実それを得ています。
1日の報酬に対し、1日の仕事をします。
だが、管理職ではありません。将来も管理職にはなれません。
問題は第2の男です。熟練した専門能力は不可欠です。たしかに組織は、最高の技術を要求しなければ二流の存在になってしまいます。
しかしスペシャリストは、単に石を磨き脚注を集めているにすぎなくとも、重大なことをしていると錯覚しがちです。専門能力の重要性は強調しなければなりませんが、それは全体のニーズとの関連においてでなければなりません。
成長し、自己啓発する者とは、「教会を建てている」と言える人間なのです。
そして、故・スティーブ・ジョブズが語った「宇宙に衝撃を与える」という有名な言葉は、この「教会を建てている」の延長線上にあるように思います。
このような話を学生たちは90分間、真剣に聴いてくれました。
本当に大切なことを学生に伝えることができるわたしは幸福です。
最後に、明後日はドラッカーの6回目の命日ですが、ちょうど満月の日です。


2011年11月9日 一条真也