矢作先生との再会

一条真也です。

東京に来ています。とても暑いです。
5日、「勇気の人」こと矢作先生に久々にお会いしました。「梅の花」銀座並木通店の個室で待ち合わせし、豆腐と湯葉の懐石コースのランチを御一緒しました。


矢作先生と稲葉先生の師弟コンビ



矢作先生は、ブログ『人は死なない』で紹介した本の著者です。
東京大学大学院医学系研究科・医学部救急医学分野教授にして、さらに東京大学医学部附属病院救急部・集中治療部部長です。
今日は、東大病院の循環器系内科医師の稲葉先生も御一緒でした。稲葉先生は、作家の田口ランディさんと親しく、『人は死なない』の出版に際してサポートもされています。同書の「あとがき」にも名前が登場しますが、東大病院きっての読書家であり、東京大学医学部山岳部監督にして東京大学医学部涸沢診療所所長でもあります。
矢作先生と同年代かと思っていたのですが、なんと20も年下の33歳でした。
東大医学部で矢作教授の講義を受けておられ、精神世界を中心とした読書の影響も受けられたとか。なお、稲葉先生はこの「一条真也のハートフル・ブログ」を必ず毎日読まれ、特に書評ブログを楽しみにしておられるそうです。


ウーロン茶で乾杯しました



アルコールを嗜まれない両先生にならって、わたしもウーロン茶を注文(本当は、日曜だし、冷えた生ビールが飲みたかった!)し、3人で乾杯しました。
そして、福岡から東京に進出を果たした「梅の花」のヘルシーな料理を味わいながら、両先生と神秘的でディープな会話を堪能しました。
古神道から大本教、そしてオウム真理教といった「宗教」の話もしました。


矢作先生が送って下さった新刊2冊



最近、矢作先生は2冊の対談本を刊行され、わたしにも送って下さいました。
気成功家・鍼灸師の中健次郎氏との対談本『人は死なない。では、どうする?』(マキノ出版)、モンロー研究所公認レジデンシャル・ファシリテーターの坂本政道氏との対談本『死ぬことが怖くなくなるたったひとつの方法』(徳間書店)の2冊です。
いずれも非常に刺激に富んだ興味深い対談本であり、それらの内容はいずれ当ブログで詳しく紹介する予定です。まずは2冊の本の御礼を申し上げた後、その驚愕の内容について、わたしは次々と矢作先生を質問攻めにしました。その話題は、心霊からはじまって、超能力、UFO、地球外生命、超古代大陸、雪男、フリーエネルギーまで・・・・・。
さながら、古今東西の「謎」と「不思議」のワンダーランドのようでした。
矢作先生がいわゆる「オカルト」と呼ばれるジャンルに広く深く通じておられることに驚きましたが、わたしは「何か、おススメの本はありませんか?」と質問しました。
すると、矢作先生は一瞬の躊躇もなく、『黎明』葦原瑞穂著(太陽出版)の名を挙げられました。すべての神秘領域を遍く説明した物凄い本だそうです。なんでも、著者は元音楽プロデューサーで、現在は山で仙人のようにして暮らしているとか。
稲葉先生も、「『黎明』は、自分がこれまで読んだ本の中でも五指に入りますね」と言われていました。早速、わたしはアマゾンで『黎明』を注文しました。


3人で大いに不思議な話をしました



わたしは、一番聞きたかったことを矢作先生にお聞きしました。『人は死なない』を上梓し、大きな話題となったことで、ずばり東大からの圧力はなかったかということです。
わたしの不躾な問いに対して、矢作先生は「ありませんでした」と即答され、その理由を「わたしは東大病院の現場で、誰よりも多くの時間頑張っていますから」と述べられました。この矢作先生の矜持あるいはプライドに、わたしは大きな感銘を受けました。
そして、わたしは「矢作先生の御活躍を、あの世で福来友吉博士がさぞ喜んでおられることでしょう」と申し上げました。福来博士というのは、超能力実験を行ったために東京帝国大学助教授の地位を追われた人物です。すると、稲葉先生が「矢作先生も公開実験などをされたら、どうなるかわかりませんよ」と笑いながら言っていました。


矢作先生が推薦文を書いて下さいました



わたしが、矢作先生に御礼を申し上げた件がもう1つありました。それは、拙著『愛する人を亡くした人へ』(現代書林)の推薦文を矢作先生が書いて下さったことです。このたび大増刷となった同書の帯に矢作先生は、「死別。それは人生でもっとも苦しい試練のひとつです。親・配偶者・子・恋人・友人との死別。後に残された様々の人に寄り添った愛のメッセージがこの『手紙』に込められています。そしてそれは亡くなった方々からあなたへの心からの幸せを願う言葉でもあるのです」との言葉を寄せて下さいました。
現役の東大医学部の教授がグリーフケアの書の推薦文を書いて下さいました。
わたしには、この出来事がグリーフケアの流れを変える予感がします。
この矢作先生の言葉によって、より多くの「愛する人を亡くした人」たちが同書を手に取り、死別の悲しみを少しでも軽くしてくれることを願ってやみません。
矢作先生、このたびは本当にありがとうございました。
今度は、ぜひ、先生と対談本を上梓したいです。
できれば、沖縄あたりで対談したいものですねぇ。
稲葉先生も、今日はいろいろなお話ができて楽しかったです。
ぜひ、矢作先生に続いて「こころの医療」の世界を拓かれて下さい。
両先生、今後とも、どうぞ、よろしくお願いいたします!


新文化」2012年8月30日号より


2012年8月6日 一条真也

冠婚葬祭の意味を問う

一条真也です。

サロンの達人」こと佐藤修さんが、ご自身のHPの中で『無縁社会から有縁社会へ』(水曜社)を紹介して下さいました。佐藤さんには、これまでにも多くの著書を紹介していただいています。いつも、心より感謝しています。


佐藤修さんのHPより



佐藤さんは、2010年にNHKの「無縁社会」キャンペーンが話題になった頃、ブログで「無縁社会」についての示唆に富んだ記事を書かれています。
『無縁社会』という言葉を使うのはやめましょう」という記事です。
そこで、佐藤さんは次のように書かれています。
「最近、無縁社会という言葉がよく使われるようになりました。私はそのことをとても残念に思います。たしかに、一見、無縁社会であるように感じさせる事件は少なくありません。しかし、本当に無縁社会と言っていいのでしょうか。言葉は現実を説明すると同時に、新たな現実をつくりだします。そこに大きな懸念を感じています」
そんな佐藤さんは、『無縁社会から有縁社会へ』を果たしてどのように読まれたのでしょうか。気になりますが、佐藤さんは次のように書かれています。
「『無縁社会』という言葉を巡っての議論も面白いですが、私が一番興味を持ったのは、一条さんの次の発言です。
『互助会の存在は、戦後の日本社会にとって大きな意義がありました。戦後に互助会が成立したのは、人々がそれを求めたという時代的・社会的背景がありました。もし互助会が成立していなければ、今よりもさらに一層「血縁や地縁の希薄化」は深刻だったのかもしれません』
しかし、その一方で、一条さんはこう発言しています。
『おそらく、互助会は便利すぎたのではないでしょうか。結婚式にしろ、葬儀にしろ、昔はとても大変な事業だった。親族や町内の人がみんないっせいに集まるような、一大事のイベントだった。それが、互助会にさえ入っておけば、安いかけ金で後は何もしなくてもOK、結婚式も葬儀もあげられるという感覚を生み出してしまった。そのことが、結果として、血縁や地縁の希薄化を招いた可能性はあると思います』」



このわたしの発言について、佐藤さんは次のように述べられています。
「一条さんは、全日本冠婚葬祭互助協会の理事です。
そして本書は、その全日本冠婚葬祭互助協会主催の公開座談会の記録なのです。
そうしたことを踏まえて考えると、『無縁社会』と言われるような状況を生み出した責任の一因が互助会にある、という一条さんの発言は実に刺激的です。
もちろん、だからこそ、冠婚葬祭互助会は新しい社会的役割と使命を真剣に考えなければいけないと言っているわけです。一条さんは、そうした新しい取り組みを始めていますので、その発言には説得力があります。
この発言を聴いた『業界』のみなさんが発奮してくれるといいのですが。
その気になれば、大きな風を起こせるでしょう。
しかし残念ながら、風はなかなか起こっていないような気がします」


冠婚葬祭の意味やあり方を改めて問う



まことに耳の痛い言葉です。たしかに互助会業界は「有縁社会」を呼び込む大きな風を起こせる力を持っていながら、まだ起こしていません。佐藤さんは、さらに述べます。
「一条さんは、『冠婚葬祭が行われるとき、「緑」という抽象的概念が実体化され、可視化される』と考えています。そして、これからの互助会の役割は、縁を見えるようにし、良い縁づくりのお手伝いをすることだと最後に話しています。私も、冠婚葬祭の意味やあり方を、改めて問うべき時代にきているように思います。ちょっと特殊な本のように思えるかもしれませんが、生き方を考える上での示唆が沢山含まれています」



いま、冠婚葬祭互助会の社会的役割と使命が問われています。
わたしは、互助会の役割とは「良い人間関係づくりのお手伝いをすること」、そして使命とは「冠婚葬祭サービスの提供によって、たくさんの見えない縁を見えるようにすること」だと思います。それは、そのままサンレーのミッションでもあります。
佐藤さんの言葉をしかと受け止めて、これからの冠婚葬祭のあり方を問いつつ、具体的な方策を示していきたいと考えています。


2012年8月6日 一条真也