わが青春の書店

一条真也です。

柴田良一さんから本を送っていただきました。
日本文学者の佐藤泰正氏の文学講義録『これが漱石だ。』という本です。
発行元は、櫻の森通信社。柴田さんは、この出版社の社長であり、編集者なのです。
『これが漱石だ。』の最後に「この本ができるまで〜あとがきに代えて〜」という一文がありますが、そこに佐藤氏が柴田さんのことを次のように書かれています。
「柴田さんは父の志を継いで三代目として金榮堂という本屋を営んでいた。『本は売れればいいというものじゃない。これだけは読んでほしいという本を客に提供するのが本屋の使命だ』というのが、親子代々のモットーだったが、この志は見事というほかはない」



そうです。柴田さんは、金榮堂の店主だったのです。
金榮堂は、松本清張なども通った小倉の老舗書店として知られました。
残念ながら閉店しましたが、わたしは子どもの頃から小倉の中心地である魚町に出て、何か美味しいものを食べて、それから金榮堂に行くのが楽しみで仕方ありませんでした。たくさんの本を買い、読みました。



わたしの父も金榮堂を贔屓にしていました。
そこで父が本を注文し、月末にまとめて支払いをするのが習慣でした。
父も読書家で、毎月、定期購入している全集だけで何種類もあったと思います。
欲しい本は、そっと親父の注文書に勝手に加筆して入手できることに気づきました。
高校生くらいになると、わたしの注文した本のほうが多額になったため、父にばれて非常に怒られた経験があります。
そのあたりのエピソードは、『あらゆる本が面白く読める方法』(三五館)に書きました。



金榮堂は、柴田さんの趣味もあってか、特に幻想文学関係が充実していました。
京都にアスタルテ書房という幻想文学の専門書店があって、わたしのお気に入りなのですが、アスタルテを最初に訪れたとき、「あ、金榮堂に似ている」と思いました。
金榮堂で、『ノヴァーリス全集』(牧神社)や『透谷全集』(岩波書店)なども買いました。
さらにはホフマンやポーやノディエ、、澁澤龍彦種村季弘寺山修司の本なども買いましたが、その後のわたしの読書傾向に大きな影響を与えました。
金榮堂の高い棚をながめながら、「いつか、あの本も読んでみたいなあ」と思い、そして、「いつか、自分でも本を書いてみたいなあ」と思いました。
本とは、「こころの食べ物」ではないでしょうか。
金榮堂には、ご馳走の美味しそうな匂いがプンプン漂っていたのです。



『これが漱石だ。』は茶色の包装紙に包まれていました。
その包みを開いたとき、わたしは息を呑みました。
なんと、あの頃のなつかしい金榮堂の包装紙だったのです。
伊丹十三のデザインによる、いま見ても本当にモダンな包装紙です。
一気に、金榮堂で本を買い漁り、自宅に帰る時間ももったいなくて西鉄電車の中で買ったばかりの本を貪るように読んだ記憶がよみがえってきました。

         左に「意匠伊丹十三」、右に「北九州・小倉・魚町」の文字が



包装紙の中からは、本と一緒に柴田さんからの手紙が入っていました。
龍の絵入りの丸善の美しい便箋です。そこに、わたしがお送りした『あらゆる本が面白く読める方法』のお礼を述べられた後、柴田さんはこう書かれていました。
「読ませて頂いて、金榮堂のくだりはなつかしく(よく、おぼえております)、ああ、あの頃のあなたの知的彷徨がここまであなたをつれてきたのだなあと感慨ひとしおでした。」



感激しました。思えば、金榮堂は、わたしにとっての「知」の教室でした。
金榮堂で、さまざまな世界の驚異を知りました。
世界の名著を知り、作家や学者の名前も知りました。
あの頃に戻った気分になり、なんだかセンチメンタルになりました。



金榮堂の包装紙と柴田さんからの手紙を大事に書斎の机の引出しに収めたわたしは、背筋を伸ばして『これが漱石だ。』を手に取って読みはじめるのでした。
柴田さん、素敵なタイムスリップをありがとうございました。


2010年3月1日 一条真也