サンキュー!

一条真也です。

わたしは馬鹿でした。
大切なことを忘れていました。
今日は、3月9日ではありませんか!
そう、今日は「サンキュー」の日なのです。

わたしの著書をよく紹介して下さる、ある方のブログにレミオロメンの「3月9日」という歌が紹介されていました。わたしは、まったくこの歌を知りませんでした。 


今から6〜7年前の歌だそうですが、いやあ、シビレました。
プロモーションビデオが、すばらしい!!!!!
卒業式は出てくるし、結婚式(しかも神前!)は出てくるし、昼間の月は出てくるし、とにかく、わたしのテイストに100%マッチした名作です。
わたしは、いま、『幸せノート』というものを作っています。
レミオロメンの「3月9日」は、まさに『幸せノート』のイメージそのものでした。



「サンキュー」を日本語で言えば、「ありがとう」。漢字を当てれば、「有難う」。
この世に「当たり前」は何一つとしてありません。
みんな「有ること」が「難しい」から「有難う」なのです。
すべてが「有難い」ことなのです。奇跡的なことなのです。
すべてが「有難い」ことならば、すべてのものに感謝の念が湧いてきます。



そして、冠婚葬祭という営みこそ、感謝を「かたち」にしたものに他なりません。
最近では一部のハウスウェディングに代表されるように、自分たちを主役と勘違いした新郎新婦が増えてきましたが(それとともに離婚も増えましたが)、結婚式とはもともと両親や参列者に対して新郎新婦が感謝を表明する行事です。
また、葬儀とは故人に対して哀悼の意とともに感謝の意を表す儀式です。
ですから、結婚式の花嫁の手紙でも、葬儀の友人代表の弔辞でも、最後の一文は「ありがとうございました」という言葉が圧倒的に多いわけです。
通過儀礼もしかり。初宮参りにしろ、七五三にしろ、成人式にしろ、いずれも神様に「ありがとうございます」と感謝を述べる儀式です。冠婚葬祭こそは、人々が「ありがとう」と言う最高にして最大の機会となっているのです。
わたしは、いつも、「冠婚葬祭業は、ありがとう産業だ!」と社員たちに訴えています。



わたしは、いま、紙に心を込めて「ありがとう」と書きました。
すると、いろいろなものに対する感謝の念が怒涛のように湧いてきました。
神さま、仏さま、ありがとうございます。
お天道さま、お月さま、ありがとうございます。
ご先祖さま、ありがとうございます。
お父さん、お母さん、ありがとうございます。
今日もサポートしてくれた弟よ、ありがとう。
妻に長女に次女、家族のみんな、ありがとう。
社員のみなさん、ありがとうございます。
取引会社のみなさんも、ありがとうございます。
何よりも、お客様、ありがとうございます。



孔子さまも、ドラッカー教授も、ありがとうございます。
わたしの心に影響を与えて下さった聖人、賢人、芸術家の方々、ありがとうございます。
わたしの心に勇気を与えて下さった英雄の方々、ありがとうございます。
わたしに志というものの大切さを教えて下さった志士の方々、ありがとうございます。
わたしがこれまでに読んできた本を書いて下さった著者の方々、ありがとうございます。



わたしの本を読んで下さる読者の方々、ありがとうございます。
わたしの本を編集して下さる編集者の方々、ありがとうございます。
わたしの本を出して下さる出版社の方々、ありがとうございます。
わたしの本を売って下さる取次と書店の方々、ありがとうございます。
わたしの文章を連載して下さる新聞社や雑誌社の方々、ありがとうございます。
わたしの講演を聴いて下さる方々、ありがとうございます。
わたしの講義を受けてくれる学生さんたち、ありがとうございます。
そんな素敵な機会を与えて下さった大学関係者の方々、ありがとうございます。



かかりつけのお医者さんも、ありがとうございます。
髪を切って下さる方も、食べ物や飲み物を提供してくれる飲食店の方々も、欲しいものを売って下さるショップの方々も、ありがとうございます。
タクシーの運転手さんや、地下鉄や新幹線や飛行機を操縦して下さる方や、宿泊するホテルの方々も、ありがとうございます。
今日も集まって下さった同志、そう、同業者の方々、ありがとうございます。
そして、ワガママなわたしに懲りもせず付き合ってくれる友人たちや、知人のみなさん、ありがとうございます。
隣人のみなさんも、ありがとうございます。


最後に、このブログを読んで下さっているあなたに、心からありがとう!


「 ありがとう すべてのものに ありがとう 君に出会えた 奇跡をはじめ 」 庸軒



                  3月9日は「ありがとう」の日



2010年3月9日 一条真也