運動会

一条真也です。

今日は、小学5年生の次女が通う小学校の運動会がありました。
次女が、チアリーダーになるというので楽しみにしていました。
週間天気予報では、今日は雨だというので心配していたのですが、当日になってみると、すばらしい晴天に恵まれました。


                     全員整列!

                     十字架!

                  家族が集まっての昼食

                  鼓笛隊&チアリーダー


日本最初の運動会は、1874年(明治7年)3月21日に開催されたそうです。
海軍兵学校で英語教師だったイギリス人フレデリック・ウィリアム・ストレンジの指導によって行われ、「競闘遊戯会」と呼ばれました。その後、ストレンジは東京大学予備門に異動しましたが、そこでも運動会を開催しています。
海軍兵学校の運動会は単発的なイベントだったそうです。
継続的かつ全国に普及するきっかけとなったものは、1878年(明治11年)6月1日に札幌農学校で開催された遊技会であると考えられています。
札幌農学校は、現在の北海道大学ですが、なんといっても「生年よ、大志を抱け!」のクラーク博士が有名ですね。
クラーク博士の正しい名前はウィリアム・スミス・クラークですが、1876年(明治9年)に札幌農学校の教頭に赴任しています。
では、運動会のルーツである遊戯会の考案者はクラーク博士かと思いましたが、彼は8ヶ月の札幌滞在の後、1877年(明治10年)5月に離日しています。
しかし、短い教頭時代に遊戯会のプランを練っていた可能性は残っているでしょう。
いずれにしても、クラーク博士と運動会の取り合わせは面白いですね。
札幌農学校生まれの遊技会は、わずか数年で北海道内の小中学校に広がりました。
その後、初代文部大臣であった森有礼が体育の集団訓練を薦めるために学校で運動会を行なうようになりました。
それから、運動会は全国に普及していったわけです。



日本における運動会は、一種の祭礼のようなものだと思います。
そこには、血縁や地縁を同じくする者たちが集い、競技の応援をし、昼になれば一緒に弁当を食べる。
わたしの小学生時代、どんなに多忙でも父は運動会に顔を出し、一緒に母が作った弁当を食べてくれました。
わたしも、いくら忙しくても、子どもの運動会だけは出るように努めてきました。
今日も、なんとか出ることができて、よかったです。
雨で延期になっていたら、出れなかった可能性が高かったからです。
ちなみに、昼は、妻の手作りの玉子焼き、牛肉巻き、鶏の唐揚げ、ウィンナー、プチトマト、カマボコ、おにぎり・・・いわゆる、運動会の定番料理を家族で食べました。
妻は父兄参加の「大玉転がし」に出場しましたが、わたしは荷物の番をしていました。
次女のチアリーダー姿は、なかなかのものでした。
来年はもう6年生、親として出る最後の運動会となります。
時の経つのは、本当に早いものですね。
いずれにしろ、ITを中心としたデジタル・コミュニケーション全盛の時代に、運動会という超アナログなイベントが続いている事実に、なんだか安心してしまいます。



ところで、運動会の会場で野嶋康敬君に会いました。
3月22日のブログで紹介した友人ですが、彼の三女が同じ小学校の6年生なのです。
そこで、高校の同級生でもある野嶋君から、今日この後で高校の同窓会総会があるので一緒に行こうと誘われました。
運動会終了後、わたしは荷物を持って、急いで自宅に帰り、タクシーに飛び乗りました。
運動会から同窓会へ・・・・・アナログ・イベントの黄金リレーです!
ところが母校の高校に着くと、同窓会総会など開催されていません。
呆然としていると、後からクラクションを鳴らされ、振り向きました。
野嶋君が奥さんと一緒に車に乗っていました。
なんと、彼は同窓会の日時を1週間間違えたのだそうです。
それで、あわてて、わたしを車で追いかけて来たのだそうです。
大いなる脱力感をおぼえましたが、仕方ありません。
わたしは、野嶋君の運転する車で自宅まで送り届けてもらったのでありました。
押忍!


2010年5月16日 一条真也