『お坊さんだって悩んでる』

一条真也です。

『お坊さんだって悩んでる』玄侑宗久著(文春新書)を読みました。
内容は、「寺門興隆」という僧侶の専門誌に連載された人生相談をまとめたものです。
著者は、芥川賞作家にして現役の臨済宗の僧侶です。


                    現代日本仏教のリアル


ここのところ「葬式」や「戒名」や「お坊さん」についての一連の本を読んできました。
NHKの番組での島田裕巳氏との討論をきっかけに、島田氏の新刊『戒名は、自分で決める』(幻冬舎新書)、村井幸三氏の『お坊さんが困る仏教の話』『お坊さんが隠すお寺の話』(ともに新潮新書)などを読んだのです。
最後に読んだ本が、この『お坊さんだって悩んでる』でした。
さすがに現役の僧侶が書いただけあって、現代の日本仏教のさまざまな問題点が非常にリアルに取り上げられていました。
最初に、著者は「まえがき」の冒頭で次のように書いています。
「かねがね私は、どうして私の小説の主人公にはお坊さんが多いのか、という質問に、お坊さんは何を考え、何を悩んでもおかしくないから、と答えてきた。つまりこれほど幅広いテーマを提供してくれる存在も珍しいということだ。」
たしかに、お金の問題から、男女問題、病気、生と死、さらには霊や宗教の問題まで、僧侶はすべてに関わっています。
そして、いまこそ僧侶に問われるべき問題とは、やはり葬儀のことでしょう。
本書の刊行は2006年ですが、最初の質問はまさに「子供にお葬式の意味を教えるには何と言ったらよい?」というものでした。
著者は開口一番、「素朴ですが、厄介な質問ですね」と答えています。
小学生の高学年くらいを相手と想定して、著者は説明をします。
小学校の六年生が終わったら、卒業式をして卒業する。
どうして、卒業式をするのか?
著者は、「その気」になるためだとして、次のように述べます。
「先生も生徒も、ああ、卒業だ、六年間よくやった、これからは中学でガンバルぞって、『その気』になる。お父さんお母さんだって、卒業式に出てようやく、『ああ、この子もよくやた。以前はおねしょもしたのに、こうして大人になっていくんだなぁ、俺たち夫婦も良くやったよなぁ』って感無量になったりするでしょ」
人によっては、自分が生まれてから12年間のことを細かく思い出したり、将来のことを想ったりするかもしれない。
そういうことは卒業式みたいな儀式をやって節目を作らないと、人間というものは自然に思ったりはしない。
竹も節から枝が出るように、人間も節目がないと大きく変われない。
著者は、「だから、節目を作って新しい枝を伸ばすために、卒業式はするんだね」と説くのです。そう、卒業式もお葬式も一緒です。
昨日まで一緒にいた人がいなくなるという点では、生徒がいなくなる小学校の先生も、子供がいなくなる親も同じことなのです。
卒業式にしろ、お葬式にしろ、儀式をしないと、「ふんぎり」がつきません。お葬式でも、大切なお祖父さんお祖母さんとか、ときには同級生といった場合もあるはず。そんな人たちが大好きだったからこそ、「ふんぎり」をつけて前に進まなければなりません。お祖父さん、お祖母さん、そして同級生だって、それを望んでいるのです。
著者は、次のように述べます。
「『ふんぎり』をつけるってことは、忘れることじゃないよ。お葬式は、胸に刻み込むための儀式でもあるんだ。忘れないように深く刻み込んだからこそ、普段は忘れて明るく暮らせるようになる。」
このように、著者はお葬式の意味を平易に説くのです。
わたしも常々、「葬儀は人生の卒業式」と考えているので、大いに共感できました。



この他にも、「最近の遺影は派手すぎるのでは?」「逆縁だと親が火葬場に行かれない?」「夫の遺骨を散骨にしたいという願いをどうする?」「墓参や法事をしない檀家にはどう対応する?」「愛犬の遺骨を先祖代々の墓に入れたい」・・・・・などなど、さまざまな具体的質問が現役の僧侶たちから投げかけられ、著者はそれらに対して、ひとつずつ丁寧に答えてゆきます。
特に興味深いのが「お墓」の問題で、散骨だの宇宙葬だの、個性的な葬送というものに基本的に著者は疑問を抱きます。
「個性、個性と叫ばれますが、それが一体なんぼのもんじゃい、という気分が私にはあります」と告白するぐらいです。
現代人の安易な「死後への個性」への憧れを戒める著者は、次のように述べます。
「先日私は、ある方が本気で『自分はカラコルム山脈のどこかに葬られたい』とおっしゃる場面に出会いました。思わず私は、『よっぽど忘れられない思い出でもあるんですか。何度くらいそこに行かれ丹ですか』と訊いてしまいました。するとその方、悪びれもせず一度も行ったことはないとおっしゃり、なんと雑誌で見た写真があまりに綺麗だったから、というのです。私は呆れはて、言葉を失ってしまいました。」
しかし、これには、ちょっと思うところがありました。
わたしは、死後の世界とは一種のイメージ・アートであると考えています。
亡くなった人は、「死んだら、こんな世界に行くのだ」という生前のイメージ通りの世界に行くと思うのです。
だから、キリスト教徒は天国に行くし、仏教徒は浄土へ行く。
その世界は、一度も行ったことがない世界なのは当然です。
遺骨を埋葬される場所も、別に何度も行ったことがある場所でなくてもよいと思います。
雑誌で見たり、映画で見たりした、憧れの場所であっても構わないと思います。
逆に、その「憧れる」心が、その人なりの死後の世界像を作ってゆくのではないでしょうか。死後の世界も、墓も、イメージ・アートなのです。
わたしは、死後は月に行くと信じているので、もちろん月に一度も行ったことはありませんが、月のお墓に入りたいと本気で考えています。


              鎌田東二氏(左)、玄侑宗久氏(右)とともに


わたしは、著者とは御縁があります。
初めてお会いしたのは、2006年12月24日、なんとクリスマス・イヴでした。
この日、わたしは鎌田東二氏が理事長をつとめる「NPO法人東京自由大学」で行なわれた著者の講演会を訪れたのです。
講演は実に刺激的な内容でした。
「すべては虹である」という最後の言葉が心に強く残りました。
講演後にはクリスマス・パーティーが催されました。
玄侑氏には、拙著『ロマンティック・デス〜月を見よ、死を想え』(幻冬舎文庫)の解説を書いていただきました。
オリジナル版である『ロマンティック・デス〜月と死のセレモニー』(国書刊行会)は鎌田氏に捧げたものです。
つまり『ロマンティック・デス』をめぐって、わたしは両氏との御縁をいただいたわけです。
敬愛する両巨頭とイブの夜を過ごせて、感慨深いものがありました。
わたしの書斎と社長室には、鎌田氏と玄侑氏とわたしのスリーショット写真が飾られています。「出版寅さん」こと内海準二さんが撮ってくれたものですが、両巨頭の間に挟まれて、わたしがニッコリ笑っています。
「神の道」を求めておられる鎌田東二、「仏の道」を歩まれる玄侑宗久氏、そして、わたしはやはり孔子の思想的末裔として「人の道」を進み行きたい。
まことに不遜ながら、お二人とともに日本人の死生観にレボリューションを呼び起こして、いつの日か2006年12月24日が「あの三人が参集していた聖夜」と、後世の人々に語り継がれてみたい。
そのためにも一層の精進を重ねることを誓った夜でした。
島田裕巳氏による「葬式無用論」への正式な反論が仏教界から出ていない現状ですが、ぜひ玄侑宗久氏に仏教人を代表して発言していただきたいと願っています。


2010年6月1日 一条真也