MJ命日

一条真也です。

おかげさまで、ブログが400本になりました。
ブログ開設から今日で132日目ですが、1日も欠かすことなく継続中です。
どこかで一旦途切らせて、息抜きしたい気もします。(笑)
でも、なかなかそうも行かないでしょう。
ここのところ、急激にアクセス数が増えています。
また、なぜか昨日は開設以来で空前のアクセス数の多さでした。
デンマーク関連の記事のせいかもしれません。


デンマークといえば、ワールドカップでは日本が勝ちました!
2年ぶりの決勝トーナメント出場、やりましたね。
カメルーン戦の直後にブログ「ワールドカップ」で、「戦争の代用品」としての国際スポーツ大会について書いたら、これも想像を超える多くのアクセスが集中しました。
ワールドカップが、戦争のない世界に結びつけば素晴らしいですね。
デンマーク人も、わたしたち日本人も同じ「ヒューマン・ネイチャー」です。
そして、みんな「ウィ・アー・ザ・ワールド」ですね。
そう、今日はマイケル・ジャクソンの命日なのです。
昨年の6月25日に、“KING OF POP”ことマイケル・ジャクソンが亡くなりました。


マイケルの歌には数多くのメッセージが込められていますが、そのすべてに「人間愛」が流れています。
そして、「ヒューマン・ネイチャー」という曲ほど、人間いや人類そのものの素晴らしさを歌い上げた作品はないでしょう。
まさに、「人類賛歌」と呼べる歌ですね。
しかし、素晴らしい人類がなぜ憎み合うのでしょうか。
同じ人類同士なのに、なぜ殺し合うのでしょうか。
また、豊かな人と貧しい人がいるのでしょうか。
わたしたちは同じではないのか。わたしたちは一つではないのか。
この壮大なテーマを歌ったのが、「ウィ・アー・ザ・ワールド」です。
1985年1月28日の夜9時から翌朝にかけて、LAのスタジオで収録されました。
集まった45人のミュージシャンたちは“USA・フォー・アフリカ”と名づけられました。
先行してチャリティー・ソング「ドゥ・ゼイ・ノウ・イッツ・クリスマス?」を歌ったイギリスの“バンド・エイド”が、ロック、ポップ、ニュー・ウェイブ世代、つまり20代〜30代の白人男性アーティストが中心だったのに比べて、アメリカの“USA・フォー・アフリカ”は人種も性別も年齢もジャンルも入り混じりました。


プロデューサーは、クインシー・ジョーンズで、ソングライターはライオネル・リッチーマイケル・ジャクソン、そして企画段階から関わっていたスティヴィー・ワンダーとケニー・ロジャースでした。
しかし、マイケルの姉であるラトーヤ・ジャクソンは、「ウィ・アー・ザ・ワールド」の歌詞の99%をマイケルが書いたと主張しているそうです。
“USA・フォー・アフリカ”のその他のメンバーを並べると、男性はレイ・チャールズボブ・ディランブルース・スプリングスティーン、ダリル・ホール&オーツ、ヒューイ・ルイス&ザ・ニュース、ビリー・ジョエルポール・サイモン、ジャーメイン以外のジャクソンズ、スティーヴ・ペリーケニー・ロギンス、ジェイムス・イングラム、ウィリー・ネルソン、アル・ジャロウスモーキー・ロビンソンなど。
女性はダイアナ・ロスティナ・ターナー、ザ・ポインター・シスターズディオンヌ・ワーウィックラトーヤ・ジャクソン、シーラ・E、シンディ・ローパーなど。
なんだかクラクラしてくるほどの豪華メンバーですね。
まるで、アメリカ版「紅白歌合戦」みたいです。
これだけのスターが一堂に集まれば、序列などでのトラブルはなかったのか?
そこは、達人クインシー・ジョーンズの名采配がありました。『マイケル・ジャクソンの教科書』(ビジネス社)で、著者の西寺郷太氏は次のように述べています。
シンディ・ローパー、ヒューイ・ルイスのようなここ数年勢いのある個性的な白人シンガー、それにスティーヴ・ペリーポール・サイモンビリー・ジョエルといったアメリカを代表するメロディ・メーカー達を入れることによって、人種の融和をアピールしなければいけない。ケニー・ロジャースやウィリー・ネルソンなど、カントリーのヴェテラン勢も絶対に外せない。だから一番のサビはマイケルだけど、二番のサビは白人労働者の英雄ブルース・スプリングスティーンだし、最後のリフレインでは柔道で言えば「大将」対決としてブルース・スプリングスティーンとスティヴィー・ワンダーが一緒に登場、そして誰もが尊敬するボブ・ディランレイ・チャールズの「伝説」対決は欠かせなかったりというところで、「真のアメリカ代表」というチームが完成する、クインシーはそこまできちんと考えていたのです。」
さらに驚くのは、「ウィ・アー・ザ・ワールド」には大きく分けて25回のソロのタイミングがありますが、黒人が12回、白人が13回ときちんとバランス良く分けられているのです。
マイケル、スティヴィー、スプリングスティーン、そしてクインシーの秘蔵っ子だったジェームス・イングラムは2度づつ登場していますが。
ウィ・アー・ザ・ワールド」は純粋に音楽として今聴いても名曲だと思います。
86年2月25日、この「ウィ・アー・ザ・ワールド」でマイケルはグラミー賞を4部門獲得。
マイケルは作曲者として、年間最優秀曲の栄誉さるトロフィーをライオネル・リッチーとともに受け取ったのです。


それにしても、マイケルが最もわたしたちにインパクトを与えたのは、あのムーンウォークではないでしょうか。
ブログ「ムーンウォーク」にも書いたように、マイケルは「月をめざした」人間でした。
月をめざしたマイケルの魂は、地球を離れて、いまは月に在るに違いありません。
ちょうど、明日が満月です。今夜は月を見上げて、マイケルを想うことにします。


なお、わたしが監修した『思い出ノート』(現代書林)は好評につき5刷ですが、巻末には「著名人の死亡年齢」一覧が掲載されています。
その「50歳」の欄には、最初に「マイケル・ジャクソン」の名があります。
永遠の50歳、マイケル・ジャクソン
地球に身を置きながら月の上を歩いた奇跡の人よ、安らかに眠れ!


               『思い出ノート』「著名人の死亡年齢」より

 
              故人の命日には『思い出ノート』を開こう!


2010年6月25日 一条真也