謝罪のかたち

一条真也です。

大相撲の野球賭博問題で、親方衆が出席する緊急の年寄総会が昨日開かれ、名古屋場所のNHKを辞退することを申し入れました。
一連の不祥事で、NHKは明日中に中継するかどうかを最終判断するそうです。
これまでは、57年間毎場所欠かかさずテレビで観られたわけです。
はっきり言って、大相撲にとっては存亡の危機ですね。


                7月5日付「スポーツ報知」より


NHKの放送うんぬんは別にして、とりあえず名古屋場所が開催されるようです。
わたしは、ひとまず安心しました。
大相撲は単なるスポーツではありません。それは神事でもあるのです。
ですから、必ず継続して続けることが大事であると思っていました。
昨日の記者会見では、親方衆や力士が揃って頭を下げ、謝罪しました。
髷を結った着物姿の力士をはじめ、大男たちが一斉に頭を下げる様は、何とも表現できない異様な迫力に満ちていました。
頭を下げる行為をお辞儀といいます。
お辞儀は、相手に心を通わせるためのものです。
日本では、小笠原流礼法がお辞儀の文化を深めてきました。
親方衆や力士が昨日したお辞儀の角度は60度から90度くらいで、「最敬礼」と呼ばれるものです。神前や仏前などの儀礼の場で行なうお辞儀です。
90度くらの角度になるので、「直角礼」とも呼ばれています。
日頃から「礼」を重んじているせいか、力士たちの最敬礼は見事なものでした。
変な話ですが、相撲関係者が一斉に謝罪の礼をした光景をテレビで観たとき、わたしはそこに「美」すら感じました。
そう、お辞儀とは美しいものであり、人の心に響くものです。
座礼にしろ、立礼にしろ、お辞儀とは頭を下げたり、上体を傾けたりした瞬間の一カットではありません。
最初から最後まで、一連の所作のすべてがお辞儀であり、礼なのです。
ですから、お辞儀をして、元の姿勢に戻っても、相手に心を残すようにしなければなりません。これを「残心」といいます。



それにしても、横綱の白鳳が登場して涙ながらに謝罪したのはショッキングでした。
朝昇龍ならともなく、白鳳が涙の謝罪会見をするとは。
わたしは中学の頃に横綱・輪島のファンになって以来、大相撲を観戦してきたのですが、「いよいよ大相撲も追い詰められたなあ」というのが実感です。
プロレスの人気が凋落し、続いてK−1やPRIDEなどの格闘技人気も凋落し、ついには日本の国技である大相撲まで・・・・・。
ワールドカップに沸くサッカーの人気に比べて、あまりの差!
もしかしたら、大相撲というか格闘技の興行そのものが、現代日本において制度疲労を起しているのかもしれません。



それはともかく、なんとなく不貞腐れた感じの理事長のみならず横綱まで出てきて謝罪した日本相撲協会は、社会に対して、一応の礼を尽くしたのではないでしょうか。
とにかく横綱とは、聖なる存在です。日の下開山です。大相撲そのものの象徴です。
ここは、白鳳の涙に免じて、大相撲再生のチャンスを与えてあげたい気がします。
最後に、大相撲の野球賭博問題を批判するマスコミの側には、ゴルフで握ったり、賭けマージャンをしている者はいないのでしょうか?
わたしの記憶では、テレビマンはゴルフ、新聞記者はマージャン好きが多かったように思うのですが。



          名古屋場所の土俵祭で謝罪する相撲協会一同


2010年7月5日 一条真也