『娘よ、ここが長崎です』

一条真也です。

今日は、長崎原爆記念日です。
『娘よ、ここが長崎です(新装版)』筒井茅乃著(くもん出版)を再読しました。
何年か前の8月9日に、わたしは本書を2人の娘に贈りました。


              子どもたちが平和に生きていてこその地球


著者の筒井茅乃さんは、長崎に原爆が投下された直後、自ら重症を負いながら救護活動に当たった永井隆博士の次女です。
昨年が生誕100年だった永井博士は、『長崎の鐘』『この子を残して』などの著作を通じて、世界中に平和を訴え続けましたが、2人の子を残して世を去ります。
著者は、その残された2人の子のうちの1人なのです。
本書は、「あの日」の38年後、著者が中学生の娘と一緒に長崎に帰郷したことからはじまります。原爆が落とされる少し前のころ、投下直後の悲惨な状況、父である永井博士の被爆者への必死の救護活動、父の闘病生活と死、その後の著者自身について、ありのままに語り、わたしたちに平和の尊さを伝えてくれます。



わたしは小倉に住んでいます。広島に続いて長崎に落とされた原爆は、実は小倉に落とされるはずでした。しかし、当日の小倉上空は前日の八幡爆撃による煙やモヤがたち込めていたため投下を断念。第2目標であった長崎に原爆が投下されたのです。
この原爆によって7万4000人もの尊い命が奪われ、7万5000人にも及ぶ人々が傷つき、現在でも多くの被爆者の方々が苦しんでおられます。
当時、わたしの母は小倉の中心部に住んでいました。
小倉に原爆が落ちていたら、当然ながら、わたしは生まれていません。
ある意味で、長崎の犠牲者が命の恩人であるにもかかわらず、その事実を知らない北九州市民が多いのは本当に悲しいことです。
死者を忘れて、生者の幸福など絶対にありえません。
5年前の終戦60周年の8月9日、わたしは「長崎の身代わり哀し忘るるな小倉に落つるはずの原爆」という短歌を詠み、被爆者の方々の霊前に捧げました。
わたしは、いつか2人の娘を長崎に連れて行き、こう言うつもりです。
「娘たちよ、ここが長崎です。小倉に原爆が落ちていたら、ぼくも君たちも生まれてはこれなかった。娘たちよ、原爆で亡くなった長崎の人たちを絶対に忘れないで」と。


2010年8月9日 一条真也