人生の卒業式

一条真也です。

本日、「読売新聞」夕刊のシリーズ「この人、この一言」に登場させていただきました。一面の掲載で、タイトルは「葬儀は、人生の卒業式」です。


「書店に積まれた一冊の本が気になって仕方なかった」との書き出しで、島田裕巳著『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)に対抗して、わたしが『葬式は必要!』(双葉新書)を書いた経緯などが紹介されています。


             10月4日付「読売新聞」夕刊より


「気になって」というのは、わたしが冠婚葬祭会社を経営しているから気になったのではありません。断じて、営業の妨害になるといった低次元の話ではありません!
何度も言っていますが、わたしが『葬式は必要!』を書いたのは会社のためでも業界のためでもありません。天地神明に誓って、わたしは日本人のために書きました。
「葬式は、要らない」などと日本中が本気で思いはじめたら、確実に人間の「いのち」は軽くなり、その尊厳はなくなってゆきます。
そして、個人の倫理観は崩壊し、社会の無縁化はいっそう進行します。
さらには、葬式をあげない民族も国家もないわけですから、日本人は「人の道」から外れて世界中の笑いものになるでしょう。
そのような最悪の事態だけは、絶対に防がなければならないと思いました。
わたしは、最期の儀式に迷う日本人のために書いたのです。



『葬式は、要らない』と『葬式は必要!』。
本当に、よく両方セットでマスコミに取り上げられます。
でも、残念ながら前者のほうが圧倒的に売れています。
単純な販売部数での勝敗なら、わたしは島田氏に完敗であることを素直に認めます。
しかしネットの検索において、『葬式は必要!』の刊行以来、大きな変化が出ています。グーグルやヤフーでは、それまで「葬式は、要らない」というキーワードには多くの件数がヒットしても、「葬式は必要!」というキーワードはほとんどヒットしませんでした。
今日現在のネットの検索状況において、「葬式は、要らない(Google)」は88万3000件で、「葬式は必要!(Google)」は220万件です。(4日16時現在)
グーグルでは、「葬式は、要らない」の約2.5倍、「葬式は必要!」がヒットします。
葬式は、要らない(Yahoo!)」は57万5000件で、「葬式は必要!(Yahoo!)」は、1110万件です。(4日16時現在)
なんと、「葬式は、要らない」の約20倍も「葬式は必要!」がヒットするのです!
もちろん、この数字がそのまま葬儀の無用論者および必要論者の数に直結するわけではありません。それは、わたしもよく理解しています。
しかしながら、日本人の無意識を象徴している側面があるように思えてなりません。
『葬式は必要!』は本そのものを売ったというより、「人間にとって葬儀は必要である」という考え方を世に広めることができたのではないかと思います。



              10月2日付「西日本新聞」朝刊より


さて、「西日本新聞」10月2日朝刊には、1日にオープンした、ムーンギャラリー小倉店の紹介記事が出ていました。
葬式は必要であり、その後のグリーフケア・サポートも必要です。うつ、自殺の大きな原因にもなっている死別の悲しみを和らげるための試みが、いよいよスタートしました。
わたしは、人の死を「不幸」と表現しているうちは日本人は幸福になれないと思います。
わたしたちは、みな、必ず死にます。死なない人間はいません。いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているわけです。その未来が「不幸」であるということは、必ず敗北が待っている負け戦に出ていくようなものです。
わたしたちの人生とは、最初から負け戦なのでしょうか。どんな素晴らしい生き方をしても、どんなに幸福を感じながら生きても、最後には不幸になるのでしょうか。
亡くなった人は「負け組」で、生き残った人たちは「勝ち組」なのでしょうか。
そんな馬鹿な話はないと思いませんか?
わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくありません。
なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来かならず不幸になるからです。
死は不幸な出来事ではありません。そして、葬儀は人生の卒業式です。
これからも、本当の意味で日本人が幸福になれる「人生の卒業式」のお手伝いをさせていただきたいと願っています。


2010年10月4日 一条真也