『正しい欲望のススメ』

一条真也です。

今日から5月ですね! 昨夕、東京から北九州へ帰ってきました。
帰りの機内で、『正しい欲望のススメ』一条ゆかり著(集英社文庫)を読みました。
著者は、言うまでもなく日本を代表する少女漫画家です。
じつは、アマゾンで「一条」と検索すると、まずは「一条ゆかり」が、続いて申し訳なさそうに「一条真也」の名が出てきます。というわけで、姓が同じというだけで、わたしは一方的に著者に親近感を抱いているのであります。

 
                 人気漫画家の自伝的エッセイ


ただし親近感を抱いているのは名前だけで、少女漫画にオクテなわたしは著者の作品を読んだことがありません。少女漫画でも、わたなべまさこまつざきあけみ山岸涼子萩尾望都波津彬子今市子といったSF・ファンタジー・ホラー系は大いに読むのですが、一条さゆりサンのご専門である恋愛少女漫画というやつが苦手なのであります。
でも、同じ名前のよしみで書店で見つけた本書はエッセイということもあり、読んでみることにしました。最初こそ独特の文体に当惑しましたが、いやあ、非常に面白かった!



本書の「まとめ」で、ライター/編集者のロイ渡辺さんが、「異論のある人は少ないでしょうが、一条さんは天才です。それはもう、保証します。漫画家としての実績はもちろんなのですが、それよりも何よりも、この人は『努力の天才』なのです」と書かれています。
著者は、デビューしてから40年、ひたすら第一線にいるそうです。
自分の名前を看板にして生きているクリエイターが40年間もずっとトップクラスにいるというのですから、「努力の天才」というのも納得できますね。



その「努力の天才」である著者は、「欲望」について次のように語ります。
「今までの私は、『欲望』というものがモチベーションになっていたな。
漫画を描くことも、人と接することも、すべては自分の欲望を満足させるためだったんだけど、こうやって欲望って言葉を文章にしてみたら・・・・・凄いね・・・・・なんかあからさまで恥ずかしいね、この言葉。
でも、欲望が無いってのは私的には死んだも同然だし、もう絶対必要! すっごく大事! 美しい言葉で言えば、『希望』とか『目標』とかだけど、ダメデス。それでは弱い。『欲望』というのは、内からにじみ出るような噴出するような、どうしても欲しい我慢できない感情です。それが有るのと無いのとでは人生の色が全く違う! どうでもいいけど手に入った物と、どうしても欲しかった物を手に入れたのでは嬉しさが違うじゃない!」
この文章だけを読むと、単なる欲望肯定論のようにも思えますが、そうではありません。
最近、著者は自分の欲望の質が変わってきたことを自覚しているといいます。
それは欲望の方向の変化ではなく、質の変化だといいます。
漫画家デビュー40周年という節目のせいかどうかはわかりませんが、これまでに積み重ねてきたものが自然に起こした「正しい場所への着地」だと思うそうです。



その「正しい場所への着地」に成功した著者は、次のように言います。
「今の私は、視野が広くなったんだなあ、と思います。
たとえるなら、以前は吉祥寺規模でものを考えていたのが、東京規模で考えるようになって、日本規模に広がった感じ。その方向でどんどんと地球規模、宇宙規模にまで広がったらすごいね。銀河規模は無理としても地球規模は行きたいなあ」
「地球規模」でも、じゅうぶん途方もないスケールですね。
人間関係においても、著者はかつては自分の幸せだけを考えていたそうです。
しかし、自分の知り合いが不幸だと、その不幸によって自分が不幸になる確率が高いということに気づき、それからは周囲の人の幸せ、さらには自分の漫画を読む人の幸せまでを考えるようになったとか。



著者が読者のことをかなり考えて作品を描けるようになった大本には、「自分に対する評価」が、やっと自分で納得できるラインにまで至ったという事実があるようです。
著者は、次のように非常に興味深い人生論を展開しています。
「基本的に私は自分が大好きで、自分に好かれたいと思っている人で、その考え方は今でも変わらないんだよね。でも、そこに『これからの人生』という新しい視点を加えると、また新しい目標が生まれてきたんです。それは、『自分の人生を褒めちぎって終わる』という、大それた目標」
この「自分の人生を褒めちぎって終わる」という目標を持つことは、わたしも大賛成です。
それは、ブログ「卒業メッセージ」に書いた「自分の葬儀を具体的にイメージする」ということにも通じます。わたしは、講演などで、「ぜひ、ご自分の葬儀をイメージされて下さい」と聴衆に呼びかけ、「できれば具体的に内容をノートに記して下さい」と言います。
自分の葬儀について考えるなんて、ましてや具体的な内容について書くなんて、複雑な思いをされる人もいるでしょう。しかし、自分の葬儀を具体的にイメージすることは、その人がこれからの人生を幸せに生きていくうえで絶大な効果を発揮します。



自分の葬義をイメージしてみる。そこで、友人や会社の上司や同僚が弔辞を読む場面を想像するのです。そして、その弔辞の内容を具体的に想像するのです。そこには、自分がどのように世のため人のために生きてきたかが克明に述べられているはずです。
葬儀に参列してくれる人々の顔ぶれも想像して下さい。そして、みんなが「惜しい人を亡くした」と心から悲しんでくれて、配偶者からは「最高の連れ合いだった。あの世でも夫婦になりたい」といわれ、子どもたちからは「心から尊敬していました」といわれる。 
どうですか、自分の葬儀の場面というのは、「このような人生を歩みたい」というイメージを凝縮して視覚化したものなのです。そのような理想の葬儀を実現するためには、残りの人生をそのように生きざるを得なくなるわけです。
自分の葬儀のイメージが、自分の人生にフィードバックしていくのです。それは、まさに「自分の人生を褒めちぎって終わる」という目標を持つことに通じるのです。



葬儀の話が出ましたが、著者は自分の「死」についてどう考えているのでしょうか?
本書では「死」そのものについては語られていませんが、「自殺」については言及されています。著者は、心の底から本当に「自分を好きになりたかった」から、生きていてもいいのだということを実感するために、いろいろなものと戦い続けながら必死に漫画を描いてきたそうです。そして、「なので私、自殺する人が嫌い。ほんとに嫌い」と言い放った後、次のように続けます。
「ふざけるなって思う。自殺するんだったら、今まで地球に与えたマイナスをプラスにしてから死ね、って思う。生きているだけで二酸化炭素は排出するし、地球環境にだってダメージを与え続けるわけでしょう? それでも生きていこうと思うからいろんな努力をするんだし。なのに、ある日突然自殺しちゃうなんて、借りるだけ借りて、その借りを返さないうちに逃げちゃうのと一緒じゃん」



さらに、著者は自分なりの生き方の哲学を次のように語ります。
「昔から、世界中の人間が私を嫌っても、私だけは私を嫌わないぞと思っていました。それは、自分が可愛いからではなく、自分だけでも自分の味方をしないと危ない! と思っていたから。
私は自分が自分を嫌いに鳴ることがこの世で一番怖い。嫌いな人からは逃げればいいけど自分からは逃げられない。嫌いな自分と一生付き合える根性も無いし、どうしても逃げたいときは現実逃避か自殺しか無いじゃない。自分が嫌いなことを自分がうっかりしてしまったときに、最高に落ち込むハズ。いままでは意外とそんな落とし穴を避けて生きてこられたから、最悪の事態にはなっていないんだけどね」
この著者の考え方は、「自殺しないための思想」として注目すべきではないでしょうか。



このように自殺を正面から見つめている著者ですが、本書の内容はけっして重くはありません。基本的に、著者の考え方や生き方を正直に語っているだけです。
その筆致はむしろライトなのですが、その視点は非常にユニークで本質的なのです。
たとえば、著者は女性ですから、基本的に「女子の味方」です。
これまで「頑張れ、けなげな女子たちよ」というスタンスだったのですが、気がつくと最近はいつのまにか男の味方をしていることが多いそうです。
その原因についてずっと疑問に思っていた著者は、あるとき、次のことに気づきました。
「本当に、男が生きにくい時代になっている気がします。男の人は大変だなあって、しみじみ思うもんな。例えば、『○○ちゃん、元気?』なんて肩のひとつももんだりしたら、それがセクハラって言われるのよね。それって単に○○ちゃんがその上司を嫌いなだけだと思うんだけどね。素敵な上司にもまれても、絶対嫌がらないからね、女子は。嫌いな人とかどうでもいい人からされるから、セクハラになる。セクハラみたいな『概念有木』の事柄って、ただただ女の好みで決められちょうもんですからね」
まあ、部下の女子社員の肩をもむ素敵な上司というのは、わたしにはイメージしにくいのですが、なんとなく著者が言わんとすることはわかります。
ある程度の社会的成功を収めた女性のエッセイというのはフェミニスト色が濃いものが多いように感じていたのですが、本書はまったく違いますね。結局は、著者には自分に人生についての自信があり、男性に対しても余裕があるのでしょう。



「人生の目的」についての考え方にも、なかなか説得力があります。
著者は「人生の目的って、健康なこと? それは何か間違ってるんじゃないの? 人生の最大の目的は『健康に過ごすこと』ではなくて、『楽しく過ごす』ために健康が必要、だから健康になるべき。そういうことじゃないかな、という気がするんだよね」と、じつに説得力のある言葉を吐いています。そして、次のように続けるのです。
「だから逆に言うと、まずいものを食べて太ることが一番許せない! とても美味しいものを食べて太っちゃうなら、それは仕方がないと思えるけどね。人生で一番幸せを噛み締めるときは、締め切り明けとか恋の成就であったとしても、それってそんなに長くも頻繁にも味わえないけど、美味しいものを食べてお酒を飲んで楽しんでいる時間は、金と意志さえあればいつでもやれる! 世界で一番簡単に手に入る幸せ、それは美味しい食事よ。そして『ああ、これ絶対カロリー高いわ!』って言いながらも、それでも食べちゃうときのあの感覚が幸せ」
わたしは、この文章を読んで、「うう〜ん」と唸りました。
まずいものを食べて太ることが一番許せない!
世界で一番簡単に手に入る幸せ、それは美味しい食事!
まさに、その通りではありませんか。著者が人生の達人であることがよくわかりますね。



最後に、編集者に対して言ったという著者の次のセリフが印象に残りました。
「私の中にはさあ、一条ゆかりを育てるプロデューサーと、実際に描く作家の一条ゆかりがいるんだよね。で、そのプロデューサーの方が、どんなジャンルでも全方向で何とか楽しみたいと思っているんだ」
この言葉には、非常に納得させられました。いや、ほんとに。
わたしの場合も同じで、佐久間庸和一条真也をプロデュースしているからです。
もしかすると、著者のように1人の人間をシェアして2役を演じることが人生を「楽しく過ごす」コツなのかもしれないなどと思いました。
ただ単に同じ「一条」という同姓のよしみから本書を読み始めたわたしですが、思いも書けず人生の真髄を学ぶことができました。
それにしても、こんな名著が、わずか定価500円とは!
つねづね本ほど安いものはないと思っていますが、大事なことをワンコインで教えてくれた著者に対して、ただただ感謝あるのみです。


2011年5月1日 一条真也