母の日

一条真也です。

今年も「母の日」が来ました。
今日は、妻と次女と一緒に3人で実家を訪れました。
父は、観光大使を務めている気仙沼に行っており、不在です。
妻が自分で花を買ってきて作ったフラワー・アレンジを持って行きました。


            妻が作った「母の日」のフラワー・アレンジメント


5月は、わたしにとって特別な月です。
5日の「子どもの日」、10日の自分の「誕生日」、そして「母の日」があるからです。
「母の日」は5月の第2日曜日なので、今年は8日というわけです。
幼いときから、いつもこの3つの「日」は3点セットでした。
最近は、この3つは実は同じことなんだと気づきました。
それは、自分を産んでくれた母親に感謝する日だということです。


                      「母の日」に母と


ヒトの赤ちゃんというのは自然界で最も弱い存在です。
すべてを母親がケアしてあげなければ死んでしまう。
2年間もの世話を必要とするほどの生命力の弱い生き物は他に見当たりません。
わたしは、ずっと不思議に思っていました。
「なぜ、こんな弱い生命種が滅亡せずに、残ってきたのだろうか?」と。
あるとき、その謎が解けました。
それは、ヒトの母親が子どもを死なせないように必死になって育ててきたからです。
出産のとき、ほとんどの母親は「自分の命と引きかえにしてでも、この子を無事に産んでやりたい」と思うもの。実際、母親の命と引きかえに多くの新しい命が生まれました。
また、産後の肥立ちが悪くて命を落とした母親も数えきれません。
まさに、母親とは命がけで自分を産み、無条件の愛で育ててくれた人なのです。


                     実家で母と一緒に


実家に行くと、母は嬉しそうに迎えてくれました。
「母の日」の花を手渡すと、とても嬉しそうでした。
みんなで一緒にイチゴを食べ、お茶を飲んでから、母と一緒に写真を撮りました。
最後に、母に「いつまでも元気でね」と言いました。帰宅してから、安達充の「僕が生まれた時のこと−It was when I was born−」を聴いて、しんみりしました。
横浜の長女からは、妻宛てに緑色のパワーストーンのブレスレットが送られてきました。
説明書によれば、その石は「健康」や「人間関係」に良い影響を与えるとか。
先日、わたしと一緒に中華街に行ったときに求めたプレゼントのようです。
親元を離れてみて、あらためて母親への感謝の念を抱いたのかもしれません。


2011年5月9日 一条真也