父の喜寿祝い

一条真也です。

今朝、鎌田東二先生と松柏園ホテルで朝食をともにしました。
先生をお見送りした後、わたしは実家に向いました。
今日は、父の「喜寿」の祝いが開かれたのです。
帰省している長女が加わったわたしの家族も揃って出席しました。
弟の家族も集まり、東京の開成高校1年生の甥っ子にも会いました。
久々にファミリー全員集合となりました。


                     喜寿を迎えた父


日本には、長寿祝いというものがあります。
61歳の「還暦」、70歳の「古稀」、77歳の「喜寿」、80歳の「傘寿」、88歳の「米寿」、90歳の「卒寿」、99歳の「白寿」、などです。そのいわれは、次の通りです。
還暦は、生まれ年と同じ干支の年を迎えることから暦に還るという。
古稀は、杜甫の詩である「人生七十古来稀也」に由来。
喜寿は、喜の草書体が「七十七」に似ている。
傘寿は、傘の略字が「八十」に通じる。
米寿は、八十八が「米」の字に通じる。
卒寿は、卒の略字の「卆」が九十に通じる。
そして白寿は、「百」から「一」をとると、字は「白」になり、数は99になるわけです。 



父は大の沖縄好きで、よく那覇石垣島を訪れています。
沖縄の人々は「生年祝い」としてさらに長寿を盛大に祝いますが、わたしは長寿祝いにしろ生年祝いにしろ、今でも「老い」をネガティブにとらえる者が多い現代において、非常に重要な意義を持つと思っています。
それらは、高齢者が厳しい生物的競争を勝ち抜いてきた人生の勝利者であり、神に近い人間であるのだということを人々にくっきりとした形で見せてくれるからです。
そう、それは大いなる「老い」の祝宴なのです。
神道は、「老い」というものを神に近づく状態としてとらえています。
神への最短距離にいる人間のことを「翁」と呼びます。
また7歳以下の子どもは「童」と呼ばれ、神の子とされます。
つまり、人生の両端にあたる高齢者と子どもが神に近く、それゆえに神に近づく「老い」は価値を持っている。だから、高齢者はいつでも尊敬される存在であると言えます。
アイヌの人々は、高齢者の言うことがだんだんとわかりにくくなっても、老人ぼけとか痴呆などとは言いません。高齢者が神の世界に近づいていくので、「神用語」を話すようになり、そのために一般の人間にはわからなくなるのだと考えるそうです。
これほど「老い」をめでたい祝いととらえるポジティブな考え方があるでしょうか。
老い」とは人生のグランドステージを一段ずつ上がっていって翁として神に近づいていく「神化」に他ならないのです



かつて、古代ギリシャの哲学者であるソクラテスは、「哲学とは、死の学びである」と言いましたが、「死の学び」である哲学の実践として2つの方法があると思います。
1つは、他人のお葬式に参列することです。
もう1つは、自分の長寿を祝ってもらうことです。
神に近づくことは死に近づくことであり、長寿祝いを重ねていくことによって、人は死を想い、死ぬ覚悟を固めていくことができます。もちろん、それは自殺とかいった問題とはまったく無縁で、あくまでもポジティブな「死」の覚悟です。
人は長寿祝いで自らの「老い」を祝われるとき、祝ってくれる人々への感謝の心とともに、いずれ一個の生物として自分は必ず死ぬのだという運命を受け入れる覚悟を持つ。
また、翁となった自分は、死後、ついに神となって愛する子孫たちを守っていくのだという覚悟を持つ。祝宴のなごやかな空気のなかで、高齢者にそういった覚悟を自然に与える力が、長寿祝いにはあるのです。
そういった意味で、長寿祝いとは生前葬でもあります。
冠婚葬祭業界の中でも、特にわが社はこれまで長寿祝いに力を入れてきました。
わたしは、この長寿祝いという、「老い」から「死」へ向かう人間を励まし続ける心ゆたかな文化を、ぜひ世界中に発信したいと思っています。


                    金婚式を迎えた両親


ちなみに、今日は両親の金婚式も兼ねていました。本当は、お世話になっている方々をお招きして盛大に開催したかったのですが、母の足が悪いもので断念しました。
それでも、子どもや孫たちに金婚式を祝ってもらい、母も嬉しそうでした。
50年間も夫婦を続けることは大変なことだと思います。
わたしたち夫婦は結婚23年目なので、再来年は銀婚式を迎えます。
そのときは、娘たちが祝ってくれるでしょうか?
東日本大震災以来、「家族」というものが見直されています。
このように長寿祝いや結婚記念祝いを開くことは、「血縁」の絆を強く結び直すためにも大切ではないでしょうか。今日は、そんなことを考えました。


2011年8月21日 一条真也