浅田真央さんへ・・・・・

一条真也です。

フィギュアスケート日本女子のエースである浅田真央選手が、内臓疾患で闘病していた母親の匡子さんの容体が急変したため、カナダのケベックで行われるグランプリ(GP)ファイナル(ケベック=カナダ)を欠場して9日午後、緊急帰国しました。
しかし匡子さんは、9日早朝に肝硬変のため名古屋市内の病院で死去されました。
真央選手は、最愛の母親の最期に間に合いませんでした。


「日刊スポーツ」12月10日号



真央選手は6日にカナダ入りし、7日の公式練習ではトリプルアクセルも着氷しました。
3年ぶりのファイナル制覇へ好調ぶりを見せていましたが、ケベックの現地時間8日早朝に容体が急変したという連絡を受け、即座に欠場を決断しました。
現地のチームリーダーである小林芳子日本スケート連盟フィギュア強化副部長によれば、真央選手は「回復したという連絡があれば出たいと思っていたけど、かなわなかった。ご迷惑をお掛けします」と、気丈に振る舞っていたといいます。



亡くなられた匡子さんは、48歳の若さでした。わたしと同じ年齢だったのですね。
長女の浅田舞選手と次女の真央選手の競技生活を支え、バレエの経験を生かした技術的なアドバイスを送ったことで知られます。
昨年のバンクーバー冬季五輪では、真央選書は同い年のキム・ヨナ(韓国)に敗れはしたものの銀メダルを獲得しました。そのとき、「メダルを誰に見せたいか」と問われると、「お母さんです」と即答していました。超一流のアスリートとしての過酷な選手生活の中で、母親である匡子さんが一番の理解者だったのです。
フィギュアスケートという競技は、家族の協力なくしては絶対に続けられません。
真央選手の幼少の頃から、練習の送り迎えはすべて匡子さんが車を運転しました。
匡子さんは、「24時間365日、真央のことを考えている」と語っていました。
真央選手が就寝する前には、匡子さんがマッサージをして体をほぐしたそうです。



バンクーバー五輪後、匡子さんは穏やかな表情で次のように語られたそうです。
バンクーバーで私は引退。もうこれからは私ものんびり好きなことをさせてもらいますよ。真央も大人の階段を上っているから」
実際、佐藤信夫コーチに指導を依頼して、真央選手に付き添う時間は減りました。
真央選手も「何でも自分でできるようにならないといけない」と思い、今年7月には運転免許を取り、自ら運転して練習に行くようになったそうです。



匡子さんの病状は深刻で、もう長くないことはわかっていました。
真央選手は「このオフは悲しいことがあって、よく泣きました」と語っていました。
彼女は、そんな悲しみを胸に秘めてカナダに向かったのです。
そこには、「最後に晴れ姿をお母さんに見せてあげたい」という強い想いがあったことでしょう。しかし、非常に残念な結果となってしまいました。
本当は、GPファイナルでの活躍を匡子さんに見せてあげたかった。
真央選手が完全復活した姿を見せて、安心させてあげたかった。
もちろん、こんなことを安易に言うべきではないかもしれません。
しかし、また多くの人が思っていることでもあるでしょう。



わが家では家族揃って、浅田真央選手というより「真央ちゃん」の大ファンでした。
ミラクル・マオ」と呼ばれていた少女の頃から応援していました。
彼女が氷上を舞う様は、本当に妖精のようです。
彼女がいま、どんな気持ちでいるかを考えると悲しくなります。
まだ21歳で母親を亡くすことはどんなに辛いことでしょうか。
でも、真央ちゃんのように、愛する人を亡くした人は、この世にたくさんいます。
わたしも、日々、そういった方々の悲しみに触れています。
そんなわたしから、真央ちゃんにぜひ伝えたいことがあります。
それは、お母さんが亡くなったことは、たしかにとても悲しい出来事ではあるけれども、けっして不幸な出来事ではないということです。



日本では、人が亡くなったときに「不幸があった」と人々が言い合います。
この言葉には、わたしは大きな違和感を感じてきました。
わたしたちは、みな、必ず死にます。死なない人間はいません。
いわば、わたしたちは「死」を未来として生きているわけです。
その未来が「不幸」であるということは、必ず敗北が待っている負け戦に出ていくようなものです。わたしたちの人生とは、最初から負け戦なのでしょうか。
どんな素晴らしい生き方をしても、どんなに幸福感を感じながら生きても、最後には不幸になるのでしょうか。あの、あなたのかけがえのない愛する人は、不幸なまま、あなたの目の前から消えてしまったのでしょうか。
亡くなった人は「負け組み」で、生き残った人たちは「勝ち組」なのでしょうか。
わたしは、「死」を「不幸」とは絶対に呼びたくありません。
なぜなら、そう呼んだ瞬間、わたしは将来かならず不幸になるからです。



死は決して不幸な出来事ではありません。
愛する人が亡くなったことにも意味があり、あなたが残されたことにも意味があります。
これから、残された方々が深い悲しみを抱きつつも、亡くなられた人のぶんまで生きていくという気持ちになって下さることを願っています。
それは、何よりも、あなたの亡くした愛する人がもっとも願っていることだと思います。
浅田真央さん、深い悲しみから立ち直るのは大変なことだと思います。
でも、これからも、ぜひスケートを続けて下さい!
そして、リンクでの華麗な姿をまた見せて下さい!
あなたが妖精のように氷上を舞う姿は、天国のお母さんへの最大のプレゼントになるはずです。そしてお母さんは、そんなあなたをきっと守ってくれるはずです。
最後に、浅田匡子さんの御冥福を心よりお祈りいたします。合掌。


2011年12月10日 一条真也