「仰げば尊し」

一条真也です。

ムーンサルトレター」第81信がUPしました。
7日の夜にわたしが書いたレターをTonyさん(鎌田東二先生)にお送りしたばかりなので、今回のUPはこれまでで最速ではないでしょうか。


ムーンサルトレター第81信



今回わたしからのレターでは、次女の小学校の卒業式のことを書きました。
そして、そこで歌われた「仰げば尊し」について触れました。
卒業生たちが「仰げば尊し」を合唱したとき、会場の感動は最高潮に達しました。
もともと、この歌は、わたしの大好きな歌なのです。
この名曲は、師弟の縁・学友との縁を歌った「有縁社会」の歌だと思います。


仰げば尊し」は、明治17年(1884年)に作られた文部省唱歌です。
その歌詞は、以下のようになっています。
1.仰げば 尊し 我が師の恩
  教(おしえ)の庭にも はや幾年(いくとせ)
  思えば いと疾(と)し この年月(としつき)
  今こそ 別れめ いざさらば
2.互(たがい)に睦し 日ごろの恩
  別るる後(のち)にも やよ 忘るな
  身を立て 名をあげ やよ 励めよ
  今こそ 別れめ いざさらば
3.朝夕 馴(なれ)にし 学びの窓
  蛍の灯火 積む白雪
  忘るる 間(ま)ぞなき ゆく年月
  今こそ 別れめ いざさらば


かつて日本映画『二十四の瞳』でこの歌が流れたとき、わたしは感動で涙しました。
その場面は、YouTubeでも御覧になれます。こちらをクリックして下さい

「我が師の恩♪」というフレーズが流れたとき、わたし自身の小学校のときの先生のことを思い出しました。大変なイタズラ小僧で先生方にはいつも御迷惑ばかりかけていましたが、あの頃のワルガキが成人して自分の子どもの卒業式に参列して、しかも保護者を代表して謝辞を述べたと知ったら、みなさん、どんな顔をされるでしょうか。 あの先生方は、まだお元気なのか。それは存じません。しかし、突如として思い出された「我が師の恩」への感謝で、わたしの胸は一杯になりました。


ムーンサルトレター第81信



わたしは、ざっと以上のようなことを書きました。
すると、鎌田先生から以下のような言葉が返ってきました。
「実は、わたしは『仰げば尊し』という歌がとてもとても好きなのですよ。特に、サビから三・四行目の『思えばいと疾しこの年月 今こそ別れめいざさらば』のところが、中でも、『別れめ』のフェルマータの箇所でグッとくるのです。いつも」
おおっ、鎌田先生も「仰げば尊し」が大好きだったとは!!
さすがは義兄弟です。しかも、鎌田先生は続いて次のように書かれています。
「この曲は、スコットランド民謡かとばかり思っていましたが、ウィキペディアによると、『The Song Echo: A Collection of Copyright Songs, Duets, Trios, and Sacred Pieces, Suitable for Public Schools, Juvenile Classes, Seminaries, and the Home Circle.』という、1871年にアメリカで出版された楽譜に収録されていて、作詞者T.H.ブロスナン、作曲H.N.Dとあります」


共同通信社の記事より



さらに、鎌田先生は2011年1月24日に共同通信が『「あおげば尊し」原曲の楽譜発見 19世紀米国の歌』という記事を配信したことを教えてくれました。
それは、以下のような内容です。
<卒業式でよく歌われてきた唱歌あおげば尊し」の原曲とみられる米国の歌の楽譜を、一橋大名誉教授(英語学・英米民謡、歌謡論)の桜井雅人さん(67)が24日までに発見した。研究者の間で長年、作者不詳の謎の曲とされていた。
桜井さんによると、曲名は「SONG FOR THE CLOSE OF SCHOOL」。米国で1871年に出版された音楽教材に楽譜が載っていた。直訳すると「学校教育の終わりのための歌」で、友人や教室との別れを歌った歌詞という。作詞はT・H・ブロスナン、作曲はH・N・Dと記されていた。
旋律もフェルマータの位置も「あおげば尊し」と全く同じという。桜井さんは約10年前から唱歌などの原曲を研究。何十曲もの旋律を頭に入れ、古い歌集や賛美歌などを調べていたところ、1月上旬に楽譜を見つけた。
桜井さんは「日本にはたどれる資料がなく、今の米国でも知られていない歌。作詞・作曲者の実像など不明な点も多く、今後解明されればうれしい」と話している。>


この共同通信の記事について、鎌田先生は次のように書いています。
「そうだったんですね。でも、たぶん、この『H・N・D』さんは、スコットランドアイルランドからの移民だったのではないかな。そんな気がします。楽曲の響きの感じが。まちがいなく、アイルランドスコットランドケルト的です」
鎌田先生は、「仰げば尊し」の原詞(英詞)もレターで紹介してくれました。
それは、以下のようなものです。


We part today to meet, perchance, Till God shall call us home;
And from this room we wander forth, Alone, alone to roam.
And friends we've known in childhood's days May live but in the past,
But in the realms of light and love May we all meet at last.

Farewell old room, within thy walls No more with joy we'll meet;
Nor voices join in morning song, Nor ev'ning hymn repeat.
But when in future years we dream Of scenes of love and truth,
Our fondest tho'ts will be of thee, The school-room of our youth.

Farewell to thee we loved so well, Farewell our schoolmates dear;
The tie is rent that linked our souls In happy union here.
Our hands are clasped, our hearts are full, And tears bedew each eye;
Ah, 'tis a time for fond regrets, When school-mates say "Good Bye."


この直訳が、ウィキペデイアに載っていますが、それは次のような訳です。


私たちは今日別れ、まためぐり逢う、きっと、神が私たちをその御下へ招く時に。
そしてこの部屋から私たちは歩み出て、自らの足で一人さまよう。
幼年期から今日までを共にした友は、生き続けるだろう、過去の中で。
しかし、光と愛の御国で、最後には皆と再会できるだろう。

さよなら古き部屋よ、汝の壁の内で、楽しく集うことはもう無い。
朝に声を揃えて歌うことも、午後の賛美歌も、もう繰り返すことはない。
だが、幾年も後の未来に、私たちは愛と真実の場を夢見る。
私たちの最も大切な思い出は、汝、幼き日々の教室となるのだろう。

さよなら私たちがかく愛した汝よ、さよなら親愛なる級友たちよ。
私たちの魂を、幸せなひとつの繋がりとしてきた絆は解かれた。
私たちの手は固く握られ、心は満ち、そして目には涙をたたえ。
ああ、これぞ惜別の時、級友たちの言葉は「さよなら」。

 

鎌田先生は、この原詞と訳詞について、「すばらしいですね。この原詞。直訳も。わたしたちが歌っている日本語訳よりずっと情感があり、また神への祈りと級友たちとの惜別の念に満ちていて。特に、一番の四行目の『But in the realms of light and love May we all meet at last.(しかし、光と愛の御国で、最後には皆と再会できるだろう。)』のところなど。『いまこそ別れめ いざ さらば』もいいのですが、抽象的です。それよりも、具体的で、キリスト教祈りを感じます」と書かれています。


いやあ、思わぬところで「仰げば尊し」についての知識が増えました。
そして、いろんなヒントを得ることができました。
鎌田先生は、今回のレターで次のようにも書いて下さいました。
「Shinさんの娘さんの卒業式の話を読んで、わたしも息子の卒業式のことを思い出しました。息子が中学三年の時、わたしはPTAの会長を務めました。埼玉県大宮市立大成中学校と言います。ちょうどどの時は、創立50周年だったので、わたしは50周年記念事業の実行委員長も務めることになりました。そんな節目に当たる年に、あの『酒鬼薔薇聖斗事件』起こったのです。わたしの息子は酒鬼薔薇聖斗と同学年でした。その衝撃から、わたしは『神道ソングライター』になったと言っても過言ではありません。
1998年3月、わたしは校長先生の式辞に続いて、PTA会長として祝辞を壇上から述べました。その時、わたしたちはみなひとりひとりが『世界の果て・宇宙の果て』であるという話をしました。だからこそ、その『世界の果て・宇宙の果て』から、新しい地平を切り開き、新しい海に航海していきましょうというような話をした記憶があります。
その冒頭で、息子が生まれた時の話をしました。
彼はそのころ妻が勤務していた東京の虎の門病院で生まれました。住んでいた川崎市宮前区宮前平のマンションから虎の門病院に初めて面会に行った日の帰り、電車の中で胸の中に火が点ったような何とも言えないあったかい気持ちになりました。その火は今も消えずに胸の奥に燃え続けています。いのちというものは、そのようなあたたかい火なのだと、その時実感し、今もそう感じています」



わたしは、この文章を読んで、とても感動しました。
息子さんとは何度かお会いしたことがあります。
小倉のわたしの実家にも遊びに来てくれました。
国際基督教大学の附属高校から横浜市立大学の医学部に進学されました。
このたび卒業され、国家医師試験にも合格し、4月1日より、研修医として、母校の横浜市立大学附属市民総合医療センターに勤め始められたそうです。
素晴らしいですね。本当に、おめでとうございます!



鎌田先生は、次のようにも書いて下さいました。
「Shinさんのレターの感動的な話を読みながら、そんな昔のことをあれこれ思い出して、なんか、なつかしい気持ちに浸りました。そして、『仰げば尊し』の歌詞をもう一度調べてみようといろいろ検索していて、上記の記事に行き当たり、新たな発見に至りました。
まことにありがとうございました」
それから、魂を揺さぶるような素晴らしい満月の写真(鎌田先生が撮影)を見せていただいた後、レターの最後には次のようにも書かれていました。
「『仰げば尊し』という感じを満月はもたらしてくれます。
Shinさん、いろいろなことを思い出させてくれて、ありがとうございます」



とんでもない、お礼を述べるのはわたしのほうです。
鎌田先生との毎月のレター交換は、わたしにとって魂の養分となっています。
今回のレターも、じつに高カロリーの栄養を与えていただきました。
お釈迦様に誕生日に、昼間は満開の桜を楽しみ、夜は満月を楽しむ。
そして、敬愛する師から栄養たっぷりのレターが届く・・・・・。
わたしの胸は、幸せな気分でいっぱいです。
鎌田先生、本当にありがとうございました。
鎌田先生ご自身が、わたしにとって「仰げば尊し」という感じをもたらしてくれます。
なお、教師経験者の葬儀では、ぜひ教え子のみなさんは「仰げば尊し」を歌われるといいと思います。「別れめ」のフェルマータは、きっと故人の魂にも届くことでしょう。


2012年4月9日 一条真也